物語をプロレス的に観ることと、格闘技的に観ることの真逆さ
【自分語りPOST】さっきハッとして気がついたのだが、自分の物語観の殆どの部分は十年来の格闘技観戦歴が形作っているのではないだろうか。なんというか、十代前半の時分、たとえば周りの皆が少年漫画を読んでいるところ、独り格闘技ばかり見ていた、という具体的な経験込みでw
最近、「プロレスファン」と「総合格闘技ファン」と「格闘技ファン」の友達からよく意見を聞いているテーマです。
彼らの「格闘技観」と「物語観」が重なっているところを照らし合わせてみると、フィクションに対して「正反対の見方をする人達」がいることがわかる気がしたんですね。
すごく大雑把に対比するなら、「興行」やショーとして発展してきたプロレスと、「競技」の延長であるはずの総合格闘技に分けられるとして。
そうすると、ものごとを見る順番も逆になっていきます。
- お約束や様式で演じられるドラマに「うまく騙され」ながら、その中に真剣(ガチ)な瞬間を求める見方 = プロレス
- 「作りもの」ではなく真剣勝負(ガチ)だという幻想を抱きながら、その中にロマンを求める見方 = 総合格闘技
観客は「作りものっぽさ」と「本物っぽさ」の両方を作品から感じるものです。
そして、観客側の思い込みによって「どちらを前提にしてその作品に入るか」が変わってきますし、前提が逆であれば、あとから考えることも逆になる道理です。
興行タイプと競技タイプ
現実のプロレスや総合格闘技はひとくちで語れるものではないので、便宜的に「興業タイプ」と「競技タイプ」と分けて話を進めましょうか。
この二種類の見方は、格闘技やショースポーツにかぎらず、娯楽全般に当てはまることだと思います。
例えば「わかりやすさ」という言葉もキーワードになるでしょう。
「興行タイプ」の人達にとって、物語というのは「やるべきことが決まっている」からこそ、わかりやすく「明白」に描いてほしい、高い説得力で感動させてほしい、手を抜かずに「本気」で魅せてほしい、と望むことが多いんじゃないでしょうか。
予想を外した展開だとしても、「お約束に則った上で裏切ってほしい」なんていうのは「わかりやすい感動への期待」の最たるものでしょう。
逆に「競技タイプ」の人達は「リアリティの積み重ね」を重視するので、お約束や様式というのはハナから関係ないはずです。
お約束から外れたわけのわからない展開だろうが、むしろご都合主義的にうまくいきすぎた展開だろうが、描かれたままを事実として解釈し、納得する。
「ああ、意外だけど確かにそういう考え方で行動するキャラだった、なら当然だ」とか、「ああ、この技はシチュエーションによって微妙に性能が変わるのか、なら当然だ」といった具合にリアリティを感じ取っていく。
その事実のつながりにウソっぽさを感じないかぎりは、展開のひとつひとつを「不自然」と感じたりもしないでしょう。
あっと、ここで「リアリティ」を安易に使うのも危険ですね。
ときには、興行タイプでいうところの「お約束に則った展開」が「もっともらしいリアリティ」と称されることもあるのですから! しかしそれは、「リアリティというよりも合意性と呼ばなければならない」と伊藤悠さんが指弾していたものに近かろうと思います。
一方で、競技タイプで語る場合のリアリティも、追及してみれば「なんというか……とにかくリアルなんですよ!」としか主張しようがないものです。
土台となる世界観がリアルかどうかなんて、完全に主観によるものなんですからね。
「競技としての格闘技」に対して「リアルな強さ」を語ろうとしたら、まるで議論の成り立たない概念だとわかってしまう、という問題に近いかもしれません。
「ガチっぽい」と信じられていた幻想が、実はちっともガチじゃなかった、なんてことは当たり前のようにあることですしね。
メタな論理に則った合意性と、明白なわかりやすさを重視した「作りものの世界」として物語を見るか。
それとも、劇中で積み重ねられる事実のつながりを重視した「リアルな世界」として物語を見るかの違い。
……とまぁ「◯◯タイプの人達」と分けてはみましたが、両方の見方を同時に行う人が多いと思います。
自己分析してみても、作品やシチュエーションによって、前提にするものや期待するものはケースバイケースですからね。
それに、間口の広い作品というのは「どっちの見方から入っても楽しめる」ように出来ているものかもしれません。
しかし作品のフックによっては、「興行的なお約束を求めようとしたら地味すぎて飽きてしまう」という作品や、反対に「お約束を前提にしないとウソっぽすぎて冷めてしまう」といった作品に別れていく気がします。
日常系アニメと『TIGER&BUNNY』の対照性
今の深夜アニメでは、『あの花』や『花咲くいろは』、『日常』のような、「私たちの日常との地続き感」をフックにした作品が多く発見できます。
これは「競技タイプ」に受け入れられやすいアニメが流行ろうとしている、という風に考えても良さそうです(作品自体は「それ」ばっかりではないですが)。
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そうすると対照的に感じるのが、今期のアニメにおける勝ち組のひとつ……『TIGER&BUNNY』のユニークなテイストです。
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『TIGER&BUNNY』は、現実の企業からスポンサーを募るなど、メタ的な部分で「現実との地続き感」を出しつつも、舞台となるのはアメコミ的な異国の近未来です。
アニメ作品としても、あざといほど「これは番組です」という様式を何重にも感じさせるメタな作りが特徴的だと思います(次回予告ナレーションにおける「番組っぽさ」が特に!)。
これがヒットに至ったというのは、「Twitterをしながらみんなでアニメを実況する」という、現代のネットが持つ「祝祭空間」の性質と非常にマッチしたからだと分析しているんですけどね。
アニメそのものが「興行(ショー)」として観客たちに受け入れられているように感じています。
まさに、ショーと観客の関係……。タイバニを観賞するコミュニティには「みんなで眺めている」という実感があるからこそ、ただの視聴者ではなく「観客」と呼ぶのがふさわしいでしょう。
まとめ
以上のように分類してみましたが、作品のスタイルを分析するよりも、自分の見方をセルフチェックするのに便利な考え方だと思います。
「今の自分はどっちの見方をしてたんだろう?」「今のシチュエーションはどっちの見方をするべきだったんだろう?」と問い返すことで、ちょっとした勘違いをほぐすことができるかもしれません。
今回はあえて具体例を挙げませんでしたが、「見方」が逆になることで「期待外れ」「意味不明」などと言ったりすることは多いですからね。
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ちなみに、このアイディアのきっかけをくれた渡辺さんは、「総合格闘技ファンとして見た『進撃の巨人』」というテーマで記事を書いてくれるそうですが……。
作者の諌山創さんは、本人曰く「漫画よりも総合格闘技の方が好きかもしれない」というほどの熱狂的な総合格闘技ファンです。
確かに『進撃の巨人』という作品には「総合格闘技ファン特有のガチ幻想」がチラホラと垣間見える……それどころか総合格闘技的なセンスそのものが『進撃の巨人』の面白さなんじゃない? という話をよく渡辺さんとしていたんですね。
諌山創の作家論も兼ねて、その切り口から「フィクションにおけるリアリティとは何か」という問題を考えてみたい、というのも今ホットな話題です。
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ぼくが『SFマガジン』に寄稿した『進撃の巨人』のエッセイでもちょっとだけ言及したことなのですが、いずれ踏み込んで語れるようになるといいですね。