何でもは言わないわよ。

言いたいことだけ。

本作「化物語」シリーズは、直江津高校三年生の阿良々木暦および彼の同級生、羽川翼が突っ込みを務める一連の漫才。本entry現在までに

が刊行されており、以下「花」「囮」「鬼」「恋」と物語は続くようである。うち「化物語」はアニメ化された、というより同作はアニメが本編で原作はあくまで草稿である(後述)。

私はまずアニメを見て、第一話冒頭が気になって傷物語を読んで残り全巻を入手した。ここまでが前置き。

プッツン

  • まずは軽くキレておこうか。この講談社BOXというパッケージ、講談社現代新書を抜いて現時点におけるワーストではないかっ。
  • まずBOXの意味がまるでわからない。しかもこれただのプラチナ色のボックスで、カバー絵や背表紙に相当する部分はシールでにゃにゃめにゃなじゅうごどぐらいな感じで張ってある。本当に77度になっているかは戦場ヶ原ひたぎに分度器でも借りてもらって確認してもらうとして、これは阿良々木月火でなくともプラチナむかつく。しかもそのシールの上にシールを張るという暴挙。手元の「化物語(下)」には「傷物語制作決定」という誇らしげな丸いシールが張ってあった。羽川のソックスが見えないぐらいな感じに。
  • まだ箱は許せるとしよう。しかし本の方に背表紙がないって一体なんだよ!?私は立場上出版前見本も多数いただくのであるが、それよりも低クォリティではないかっ。羽川なら猫とおりこして虎を出現させるレベル。「背表紙あってこその本だと私は思います」(猫物語(白)P.196)って言ってるしね。
  • なので、本棚に並べる時には本の背ではなく箱の背を表にして並べるしかないのだが、これでは箱の方を本棚に入れたまま本体を取り出せないではないか。箱入りの本を収納する際には、かならず本だけ取り出せるようにする私としては看過しがたい。神原駿河のように床に散乱させておけとでもいうのか?担当者を駿河問いしたい…。
  • しかも本棚に入れたら入れたで、タイトな本棚であれば箱のシールが出し入れしているうちに剥がれそうだ。千石撫子に頼んで蛇切縄で締めてもらった方がいいのか…責任者を。
  • アニメの方はここまで無惨ではないが、しかし正規ルートでの入手困難さってどうよ。Amazonは見てのとおりだし。現状一番手軽に視聴する方法は、ニコニコチャンネルのようだが、これではオーディオコメンタリーが聴けない上、画質も360pとしょぼい。DVDすら在庫切れぎみの上、Blu-rayに至っては初回限定版しかなく、新規入手はさよなら絶望的ときている。神原の言う通り「BL憂い」もいいところだ。

デレ

  • しかしそのパッケージのひどさをさっ引いても、このシリーズは超ウケる(a la エピソード)。西尾作品を読んだのは今回が初めてなのだが、もっと早く読んでおくのだった。ブームが去って久しい漫才に飢えている人にとっては、砂漠に慈雨ではなかろうか。
  • その漫才でやりたくてもやり難いのが漢字変換ギャグ。本シリーズのキモはこれといっても過言ではなく、これを抜いちゃったら本作品の魅力は心臓を抜かれたハートアンダーブレード並みに落ちてしまう。「茲非」「心がねえ!」には心からマイッタ。忍野メメでさえ「阿良々木は廿い」とか言ってるし。
  • しかしその音声では伝わらないこのギャグも、アニメはあっさりクリアーしてしまうのであった。私はかなり強烈な一般論としての原作厨で、特に尺もたせのために原作にないお話を作ってしまうことに、おもし蟹にもっていってほしいほどの嫌悪感を感じるタイプで、「うる星やつら」のメガネとか氏んでほしいし、ビューティフルドリーマーとかほんとなかったことにしてほしいぐらいなのだけど、こと本作に関してはアニメ版の方がさらによかった。
  • なぜよかったかといえば、やはりスタッフ一同が作品世界をきちんとそれぞれの心にインストールしてから作ったことが最大の理由だろう。「化物語」執筆時点ではまだ固まっているとは言えなかった本作の世界観を、同作のみならず「傷物語」や「偽物語」まできちんと読んだ上で、原作者自身の全面協力を得て制作したのだから、原作者もこれには同意するしかないだろう。そのあたりは「化物語アニメコンプリートガイドブック」でもさんざん触れられている。パッケージがひどい本シリーズにおいて、一番「まとも」だったのが以外にもこれだった。
  • そのアニメ版の第一話冒頭が「傷物語」だったというのは「よく読んでるなあ」と感心しきり。というかこの冒頭がなければ小説版を入手することもなかっただろう。あれほど効果的なプロモーションはないよなあ。改めてアニメ化するようだけど、今から愉しみだ。
  • こと「化物語」に関しては原作よりもアニメというのは、あの絶妙な台詞まわしを、漢字変換ギャグまで忠実に、しかしアニメにしか出来ない方法で再現したから。「さよなら絶望先生」も感嘆したけど、絵がVOFANのイラストしかなかった化物語ではさらにその感は強まる。
  • それまで込み声を当てた声優一同は、もはや声優というより怪異に取り憑きかれていたのではというレベル。特に神原役の沢城みゆきの当意即妙ぶりには、プロの凄さを噛みまみた。
  • 音楽も普通に神だし。いや神前か。
  • その原作の無理無茶無駄をアニメ版では実にさりげなく、原作の魅力を120%発揮する形で直していたのも評価が高い。「助けて…忍」のシーン、原作ではずっと「逆後背位」だったけど、アニメではちゃんと阿良々木を猫が首吊り直してたし。
  • それだけに、TV放映時は大変だったようだ。定時に提供するには無理で無茶すぎるもの。完成してみれば無駄ではなかったのだけど。
  • で、原作の方はまだ続くようなのだけど、読み始めるならやはり「傷物語」からかな。本シリーズの世界観に、漫才以上のものを期待するのであれば。個人的には一番気に入ったのは、私がオッサンだからかもしれないけど。
  • 別枠で書評すべきなのかもしれないけど、手身近に「傷物語」のキモを紹介しちゃうと、子供の白黒が大人の灰色に敗北するお話ということになる。そしてそれを一番悔いているのが大人というのが、本シリーズの縦軸。「みんなが不幸になる方法ならある」。忍野のこの台詞に出会ってはじめて、本シリーズの世界を私は実感することが出来た。そしてこの台詞を受けての阿良々木の台詞。らぎ子ちゃん、蕩れるぜ!
  • けれどシリーズ全体を通して蕩れるところまで個人的にいけなかった理由が、ディテール。レイニーに限らずデビルはディテールに宿るのだが、吸血鬼どおしの吸血がゼロサムなのかプラスサムなのか納得できないんだよなあ。フィクションである以上どんな荒唐無稽な設定があってもおkではあるのだけど、都合の頭に「ご」が付いてしまうとやはり萎えずにいられない。
  • ディーテールでもう一つ不満があるとしたら、直江津高校生たちの「学業」部分。異様に中学じみてるんですけど。「偏差値チェック」はさておき、なぜ羽川は私立高校に入学したのか、普通を志向するならむしろ公立を目指しそうなものだし、阿良々木唯一の得意科目も「数学」でひとまとめというのは説得力に欠けるというか、作者自身が「数学が出来れば頭がいいと思い込んでいる」証左ではにゃいか。あげくのはてに「理科」なんて言葉まで出てくる。もっとも私は高校というものを書物でしか知らないので、このあたりは実際に高校生であったことのある読者には気にならないのかもしれないけど。
  • 「傷物語」で世界観を提示された後だと、忍野がいなくなった後の後日談がイマイチ締まらないのも萎えポイント。漫才的にはむしろ面白いし、非実在青少年的には阿良々木君のチャレンジはさらに上を狙って行くのだろうけど。貝木や影縫や臥煙は現時点では蛇足感が強すぎ。僕はキメ顔でそう言った。
  • あと囲い火蜂はビー(bee)じゃなくてワスプ(wasp)ないしホーネット(hornet)だよね、スズメバチだし。

まあとりあえずこんなところで。何かいいことあったらいいね!

Dan the Posessed