甘辛いタレにピリッとスパイシーな味わいの手羽先唐揚。名古屋めしの代表選手であることは言うまでもない。
では手羽先唐揚といえば、どのお店を思い浮かべるだろうか?
「世界の山ちゃん」と答えたアナタは、おそらく名古屋以外の人だろう。
「世界の山ちゃん」と双璧をなす……というよりも、手羽先唐揚を名古屋で最初に広めたお店があるのだ。
それが「元祖手羽先唐揚 風来坊」。
とは言っても、手羽先唐揚は、いつ、誰によって生み出されたのだろうか?
実は「風来坊」のルーツに、手羽先誕生のヒミツがあったのだ。
唐揚げにタレをつけるという「発明」
やってきたのは、2018年5月にオープンした「元祖手羽先唐揚 風来坊 名駅5丁目店」。
ここ以外にも栄店と千種店、東桜店を手がけるオーナーの久保山憲仁さんに話をうかがった。
そもそも「風来坊」の始まりとは、どんな形態だったのだろう。
久保山さん:第一号店は名古屋市内の熱田区にある比々野店ですね。現・風来坊チェーンの大坪健庫会長が昭和38年に開店させました。当時は鶏料理のほかに焼きそばやちゃんぽんも出していて、しっかりと食事ができて、お酒も飲めるというお店でした。
▲「元祖手羽先唐揚 風来坊」チェーン初代会長、大坪健庫氏(写真提供:風来坊チェーン本部)
大坪会長は北九州出身。名古屋へ来る前は、門司で奥様とともに小さなお店を営んでいた。そこで鶏肉を素揚げしてタレをつけた唐揚げを出していて大好評だったという。これが後に手羽先唐揚の誕生へとつながるのだが、唐揚にタレをつけるという発想はどのようにして生まれたのだろうか。
久保山さん: 九州も鶏料理店が多く、会長がいろんなお店を食べ歩く中で他店とは違うものを出そうと研究を重ねたそうです。仕事の合間を縫うようにして、広島や大阪にまで出かけていったようですね。そうしていくうちに、唐揚の味や香りを引き立てるためにタレをつけるという結論に至ったそうなんですが、これが実際に味を完成させるまではかなり大変だったと聞いています。
唐揚げにタレをつける。この「発明」とでもいうべき工程がついに生み出されはしたものの、まだ手羽先唐揚が完成するにはもうすこし先になる。
▲第1号店の「風来坊 比々野店」(風来坊チェーン本部提供)
丸鶏の発注ミスがきっかけに
大坪会長は昭和4年生まれで、今年卒寿(90歳)を迎える。第一線こそ退かれたが今でもお元気に過ごしてらっしゃるという。「風来坊」を創業したのは34歳のとき。北九州から名古屋へ来たのは、大坪会長がこだわったタレが完成し、鶏料理専門店として勝負するためだった。東京ではなく、名古屋だったのは、当時は集団就職で九州から名古屋へ来ることが多かったからだ。
また、当時は鶏料理専門店であれば、店名に“鳥”をつけるのが常識だった。そんななかで「風来坊」と命名したのも興味深い。信念はあるがいろいろなことに挑戦する大坪会長を見て奥様が名付けたという。
久保山さん:創業当時の名物がひな鶏の半身を丸ごと素揚げして、秘伝のタレと調味料で仕上げた「ターザン焼」(写真下)でした。これは今も風来坊の人気メニューですが、力強いイメージにしようと当時はやっていた映画『ターザン』から大坪会長が命名しました。当時は同じ味付けで、もも肉やむね肉をぶつ切りにした唐揚も出していました。
▲「ターザン焼」の名に恥じないワイルドなルックス(870円 ※名駅5丁目店の価格)
店名といい、メニュー名といい、このあたりのセンスが常人ばなれしている。時代の2歩、3歩どころか30歩くらい先へ行っている。
実はこの「ターザン焼」が手羽先唐揚誕生の布石となったのだ。お店の代名詞どころか名古屋を席巻し、全国にその存在を知らしめた手羽先唐揚は、あるミスから生まれたという。
久保山さん:ある日、発注ミスでターザン焼用の丸鶏が入らなかったことがありました。そこで大坪会長は丸鶏の代わりにと、業者の倉庫で山のように積み上げられていた手羽先をお店に持ち帰ったんです。当時、手羽先はスープの材料くらいにしか使い道がなかったのですが、「この手羽先にターザン焼のタレをつけたらどうか」というアイデアが浮かんだんです。
揚げ方から盛り付けまで計算し尽くされた手羽先
ここで「風来坊」の手羽先が出来上がる過程を見ていこう。
手羽先唐揚は、まず素揚げすることからはじまる。以前は低温で中まで火を通した後、高温で表面をカリッと揚げる「二度揚げ」を行っていたが、名駅5丁目店はセントラルキッチンであらかじめ火を通した手羽先を仕入れているため、一度のみ(二度揚げをしている店舗もあります)。
これにより作業効率も上がり、注文して提供するまでの時間も短縮することができたという。手羽先も時代とともに進化しているのだ。
素揚げした後、網の上に並べてタレを塗っていく。片面を塗り終えたら、網を返して残る片面も塗る。
味にムラが出ないように、満遍なく丁寧に塗るさまはまさに職人の仕事。見ていてとても心地良い。
その後、調味料とゴマをかけて手羽先唐揚の完成!
これが「元祖手羽先唐揚」(5本 450円)。
注目すべきはその盛り付け。言うまでもないが、手羽先は鶏一羽から左右1本ずつ、計2本しかとれない。1つの皿に右側と左側が混在すると、見栄えが良くないため、向きをそろえて盛り付けてあるのが「風来坊」の特徴だ。
「世界の山ちゃん」創業者もここから巣立った
安くておいしい手羽先唐揚は、瞬く間に大ヒットとなり、大半のお客さんはそれを目当てに訪れるようになった。大坪会長は1号店の開店から約2年後に熱田区伝馬町に2号店をオープンさせた。
久保山さん:一号店は大坪会長の一番弟子である久保山鉄男、つまり、私の父が店長となって引き継ぎました。さらに昭和50年代から60年代にかけて30店舗展開したのですが、フランチャイズではありません。すべて大坪会長のご兄弟やご親戚、師弟関係の弟子たちが経営しています。昔ながらののれん分けですね。お金もうけよりも、人を育てることや技術を継承すること、安くておいしいお店を作ることを第一としていて、それが「風来坊」の経営理念となっています。
▲大坪会長(右)と久保山さんの父である鉄男氏(左)。確かに親子で似てらっしゃる!(写真提供:風来坊チェーン本部)
昭和50年代後半には、ほかの飲食店オーナーたちがお店に通って味を研究し、自分のお店で手羽先唐揚を出すようになった。
その中の一人が「世界の山ちゃん」の創業者、故・山本重雄氏だ。
久保山さん:ほかのお店がウチのまねをしたからこそ、名古屋名物として認知されたのだと思います。ただ、手羽先唐揚を出すお店が増える中、ウチが元祖であることをPRしなければなりません。そこで考えたのがCMです。当初は映画館で流していたのですが、テレビでもやってみようと。
「風来坊」のテレビCMは、いくつかの種類があるそうだが、昭和63年に制作され、現在も放映中のCMがこれ。
「風来坊でございます。今日もお仕事ご苦労様です」と、カメラに向かって語りかける大坪会長の姿がいかにも素人っぽいが、かえってその方が実直さもにじみ出るというもの。当時は企業のトップが出演するローカルCMも多かったような気がして、思わず懐かしくなってしまった。
かくして、「風来坊」は名古屋を中心とした東海エリアほぼ全域にその名を知らしめることとなった。
▲大坪会長とお弟子さんたち(写真提供:風来坊チェーン本部)
手羽先以外のメニューも要注目
現在「風来坊」は、北は北海道、南は九州、さらに海外はアメリカまで68店舗を展開している。
「手羽先唐揚」などの鶏料理はすべての店舗で食べられるが、それ以外のメニューは各店舗ごとに異なる。それもまた、のれん分けの良いところだ。
こちらは名駅5丁目店で好評の「照り焼きチーズつくね」(580円)。
熱々の鉄板の上には新鮮な国産鶏ミンチを使用した自家製つくね。地元産の醤油がベースの甘口照り焼きソースととろけるチーズの相性は抜群だ。
〆のメニューでおすすめは、ピリ辛の台湾ミンチをたっぷりとのせた「台湾飯」(550円)。フライドガーリックのサクサクとした食感と風味がアクセントになっていて、卵黄を絡めて食べるとマイルドな味わいになる。
久保山さん:私も含めて、現在は大坪会長の直弟子の子ども世代がお店を任されています。お店を訪れるお客様も世代が変わっていく中で、伝統の味を守りつつ、新メニューの開発など新たなチャレンジをしていきます!
今や誰もが知る名古屋の手羽先唐揚は「風来坊」から生まれた。これは紛れもない事実である。
素揚げした手羽先にタレをつけ、調味料で仕上げるというアイデアを半世紀以上前に思いつき、実行した大坪会長のバイタリティーは相当なものだ。しかも、大坪会長のチャレンジ精神が多くの弟子たちに継承されているのである。それらに思いをはせながらビール片手に手羽先唐揚を堪能したい。
店舗情報
元祖手羽先唐揚 風来坊 名駅5丁目店
住所:愛知県名古屋市中村区名駅5-23-12
電話:052-756-2365
営業時間:17:00~24:00
定休日:日曜日
ウェブサイト:http://www.furaibou.com/
書いた人:永谷正樹
名古屋を拠点に活動するフードライター兼フォトグラファー。地元目線による名古屋の食文化を全国発信することをライフワークとして、グルメ情報誌や月刊誌、週刊誌などに写真と記事を提供。最近は「きしめん」の魅力にハマり、ほぼ毎日食べ歩いている。