玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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フラクタル 第2話 ネッサ10歳が無難

一話は面白く見れましたが。
いかん。無難だ。これ、1クールなんでしょ?オリジナルなんだから、もっと無茶をやらなきゃあああっ!
ネッサは立体映像だけど謎の美少女型アンドロイドで、物に触る事が出来たり、触った機械に誤作動を起こす事が出来ると言うオーバーマンなのに、なんか、キングゲイナーほどの無茶っぽさがなかったなー。
三悪のエンリの兄のスンダがゲイン・ビジョウというかエウレカセブンホランドみたいなテロリストなんだけど、顔見世程度。
富野アニメに比べて、アンサンブルの登場人物が少ないのが致命的か?ガチャガチャした感じが無くって、ザラッとこないんだなー。疾走感が足りないっつーか、おとなしい。富野の2話だったら、ニューロピアは炎上するし、最低でもヤッサバ隊長は攻めてくるよな。
まー、富野アニメばっかり好きな俺も濃い味付けばかり好んでるから、オリジナルSFにちょっと期待しすぎなのかもしれないけど・・・。
うーん。


以下、愚痴
少年クレイン小林ゆうがネッサ10歳花澤香菜に触られて、頬を赤らめて、落とし穴に落ちてウフフってのは、萌えアニメの文脈を無難にこなしてる感じで、SF的センスオブワンダーの疾走感はなかったですねー。お前さあ、ボーイミーツガールより、もっと謎存在や謎組織に対する警戒感とか闘争の感情を持てよ。
つーか、富野アニメの青少年だったら10歳の少女に似せたアンドロイドに気を取られるのは恥ずかしいと思ってもっと意地悪するよな。ま、それは性癖の問題だけどー。
なんか最近のアニメのなよっとした主人公は美少女に気を遣いすぎです。最近の男の子は、女を母親と同化して、母親の言う事を聞く延長で、女におびえてるんじゃねーか?いや、僕も人に気を遣いすぎる自覚症状は在るんだがね。
でも、美少女アニメの主人公は美少女中心思考過ぎる所はやっぱりあるよなあー。僕としては「男には美少女をほっぽり出してもやる事が在る」ってのが好きだったりするんだが。


フラクタル 第一話 モノローグ主人公に宝島を見た。 - 玖足手帖-アニメ&創作-
↑一話は宝島の「導入なのに説明しすぎない主人公の限定されたモノローグ」に絡めて割と楽しんで感想を書いたけど。二話は演出スタイルへの興味や、世界観の謎のインパクトも初回よりは薄れるわけだし。
宝島二話はジムのモノローグが無くなって、もうドラマが疾走してるのに、フラクタルは逆にクレインのモノローグがさらに増えてて、しかもそれが「物語世界への導入&謎ときガイド」という機能より、クレインの気持ちのしつこい自分解説っていうか、普通の一人称ライトノベルのアニメ化作品みたいになってて、ちょっとがっかりかな。
僕の興味は、クレイン少年の愚痴レベルにはないので。もっとたたみかけるような謎の連続に対してのリアクションとしてのモノローグなら面白かったんだろーけど。オリジナルなのになー。謎組織の島本須美が大人しかったよなー。さっそく武力行使するよな。富野原作なら。富野は絶対に詰め込む。でも、フラクタルは11話しかないという噂なのに、このゆとり展開。


というか、無難。
山本寛は「アニメに対する思い入れでフラクタル」って言ってたけど、うーん、「アニメ好きの作ったアニメ」って感じで、テレビアニメのフォーマットを大人しく守ってるっぽい。自分で考えろよ。
っつーか、交響詩篇エウレカセブンっぽかった。どっかで見た作品のレイアウトとか設定を借りてきた東浩紀的サンプリングっぽさとか、絵面の綺麗さとか、モノローグ主体の少年がボーイミーツガールするとか。すっごいエウレカ
エウレカも未来世界でのなんたらだったけど、世界の謎よりガール優先に成ったしなー。
あと、未来世界には未来世界のルールが在るってのは良かったんだけど、どーも、2話からの流れだと「管理社会で仮想現実だけど、実態が在るボーイミーツガールが良いよね」っていう普通の倫理観に無難に着地しそうで、それは意外性がないなーと。
しつこく富野だが、富野は基本的に現代が嫌いな人だから、自分哲学の自分倫理を炸裂させて、キャラクターの恋愛事情がどうなろうが、その世界の都合に合わせてイデを発動させたりするんですよー。
いや、それが正しいっていうより、僕の好みが単に「朝日新聞の社説レベルの、”愛と平和は素晴らしい”、”バーチャルより現実がいい”とかいう常識的な現状の追認了承のための無難な思想作品より、現状を認知して徹底的に憎んで暴走するオリジナル作品」が好きなんです。
モノローグが多いのはまだしも、未来なのにクレインが「未来の普通の少年の思考」ではなくて「21世紀のアズマンが21世紀の問題意識を喚起する程度の目的のために喋らせている思考」って感じで、富野世界観ファンタジーに慣れている僕には不愉快でした。基底現実の人間程度が美しい非実在青少年の思考を作品を売るための道具にするなよ。
「未来の常識に適応しているはずの普通の少年」が、ちょっと変な女に在った程度で「体制に反発しようと思い始める思考をして親の機械に反発する」ってのがいまいち物語の説得力として弱い。反抗期と言ってもなー。いや、「本当の親に言えない事を親の機械に向かって愚痴を言う歪さ」を演技面でもうちょっと補強する演出が有ればハイファンタジーとしての説得力はあったのか・・・。
エクソダス主義者みたいなスンダと遭ったってのが、思想の転換点としてもっとはっきりクローズアップされるよーだったらなあ。キングゲイナーは体制に取り込まれていたゲイナー君が、親の死、ひきこもり、ゲームの世界、ガウリ隊のサラ、そしてエクソダス請負人のゲインに巻き込まれて思想を考えるっていうのは未来SFとしてとても良くできてたなあ。
クレインは一応「その時代の人には珍しく古い物を愛する心」を持ってるけど、やっぱり科学ヲタのジャン・ロック・ラルティーグ君(ふしぎの海のナディア)や、ひきこもり自意識過剰ゲームチャンプのゲイナー。サンガ君に比べると「特別な原動力」は弱いよなー。
でも、今の視聴者が数千年後のキャラクターの思想を想像するのは難しいのかなー?富野はそこら辺は設定が多くてとっつきにくいか?いや、でも、設定を感情レベルまで微分したら富野アニメの人って未来でも現代人と同じと言うか、太古からの人間の原則に従ってるんですけどね。
宝島のジムもあくまで「昔の外国人の少年が考えそうな事」を考えつつ、現代の視聴者にも興味を持たせるっていうのが良かったわけですしねえ。


あ、フラクタルの絵と声はきちんとしてて綺麗だと思いました。
まー、CGによる背景動画はきれいですが、宮崎駿小林七郎が自分の手と勘で描いたような意志的インパクトは薄かったけど。まー、リアル目の背景で、そんなにインパクトのある背景でもなかったかー。今回は。まあ、淡々と。


と、いうか、ダ・ヴィンチに関連コンテンツ載るし、「カジュアルにサブカルチャーっぽいアニメ」を目指してるのかなーとかいう意図を感じた。そこらへんもエウレカっぽい。
そーすると、ジブリの引用とかも「フラクタルのこのシーンの元ネタはー」という、サブカルっぽいコミュニケーションを、エウレカとかエヴァみたいな消費の仕方を狙ってるのかなーって。
そのために、ある程度のマニアックさと、ある程度の一般っぽい内容とこぎれいさを身にまとってるんだなーって。絵柄のさっぱり感も含めて。宮崎駿よりは、左さん原案のキャラクターの衣装の装飾が多いのでオタクよりですが。まあ、萌えアニメに比べたらエウレカ程度の一般訴求タイプでしょう。
そこらへんがあざとい。
もっと無茶苦茶するのが僕は好きですねー。いや、俺は濃い味付けを好み過ぎるんだけどな。


というか、あずまんはシミュラクール(この用語はあまり好きではない)理論の人だから、そーいうデータベース消費をされることを前提にした作品を作るのかなー。
うーん。
俺は、視聴者程度の愚民に消費されるような弱い作品より、勝手に作品の中の人が暴れて視聴者を異様に高揚させて常識を逆にハッキングして破壊するような作品が好きですね。
ニュータイプ理論とか、リアルに人生を踏み外させたじゃん。ニートジャミル)とか。