明日がはじまるとき

事業仕分け 議論の向こうに明日がある

市民まつりはだれのため?

2010-11-24 | 事業仕分け

小諸市の事業仕分け、最後の事業は「市民まつり」

7月の「市民まつり・みこし」と、8月の「市民まつり・ドカンショ」
(小諸ドカンショを踊るもの)の2つ。

これは、昭和48年、日本が高度成長の真っただ中にあって、
団地が増え、地域の伝統的な祭りが姿を消してきたころに、
市民の宝ものとして作り上げたものだそうです。

年月がたち、現在はご多分にもれず、主体があいまいな実行委員会方式。
まつり当日の運営を行う市の職員は増える一方で、
参加者やスタッフはどこまで企画・運営に
責任を持って携わっているのか、と疑問が投げかけられました。

もちろん市民の方は一生懸命に「手伝って」くれますが、
「手伝う」のではなく、市民まつりなら「自ら実施する」のが
本来でしょう。
昔からの地域のまつりや神社の祭りでは
税金もかけず、住民自らがお金も時間もかけて
実施しているのに。

そもそも「主体」は誰か?ということを考えてほしいという
意見が多く出されました。

今となっては行政が「まつり」というイベントをやっているから
見に行くだけ、市民はお客様になってしまっているのです。

また、なまじ税金で実施するから、お金の流れや使い道を
とやかく言われてしまいます。
800円のお弁当が高いとか安いとか、
スタッフにもお茶を出すのか、とか・・・
が、そんな枝葉の事を取り上げ
窮屈なことを言っていたら、担い手はいなくなるでしょうね。

この事業は、市民のアイデンティティーをも考える
深い内容ですから、ほぼ1時間をかけての議論になりました。

市民判定人の結果は、市要改善が9人、
民間・市民自らが実施すべきが12人と拮抗しました。

楽しく、いつまでも心に残るまつりは
この市民まつりなのか
それとも、昔からの村まつり等なのか。

「文化」は長い時間をかけてごく自然に生まれてくるもので
行政が短期間で作れるものではないと思うのですが。
あなたのまちの祭りは、どうですか?

*ちなみに、まつりには
地域に昔から伝えられた伝統的なもの、
商業振興等が目的の興行的なもの、
上記のように、行政が主体となって始めた市民まつり
などがありますが、このような市民まつりは
昭和40年代後半頃から全国で流行り出したようですね。


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2 コメント

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小諸の市民です (tamagawasumio)
2010-11-26 00:19:32
この祭、誰も止める勇気が無いんです。
Unknown (ksmrsmk)
2010-11-26 21:30:47
止めた方が良い、ですか?事業は実施期間が長くなればなる程、関係者が増えてしまい、意思決定が困難に。良い点、悪い点を洗い出し、見直さないといけませんね。ご意見ありがとうございました。

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