タモリ 恩人・横澤さん死去で異例のコメント

[ 2011年1月11日 06:00 ]

フジテレビの名物プロデューサーとして「笑っていいとも!」「オレたちひょうきん族」などを手がけた横澤彪さん

 「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも!」などを手掛けたフジテレビの元プロデューサー横澤彪(よこざわ・たけし)さんが8日午後8時2分、肺炎のため都内の病院で死去した。73歳。群馬県出身。横澤さんから「いいとも」の司会に抜てきされたタモリ(65)は「番組は今秋30年目を迎えます。大変お世話になりました」と追悼のコメントを寄せた。

 タモリ、ビートたけし(63)、明石家さんま(55)らをスターに育てあげた名物プロデューサーが急死した。

 都内の自宅で報道陣に対応した長女の瑞絵さんによると、横澤さんは正月三が日は元気で、テレビ各局のお笑い番組を楽しんでいた。5日に急に高熱が出て、救急車で都内の病院に搬送。車内では「原稿…原稿…」とつぶやき、自身のコラムの締め切りを気にしていたという。小康状態が続いたが8日夜、妻の雅子さん、瑞絵さん、長男が見守る中で眠るように亡くなった。瑞絵さんは「本人は死んだと分からなかったと思う」と話した。

 82年「笑っていいとも!」の初代プロデューサーに就任し、異色芸人だったタモリを司会に起用した。タモリはこの日の生放送終了後、「夜の番組にしか出せないと言われていた私を、いきなり昼の真ん中に起用しました。私で大丈夫なのかと横澤さんに聞いたことがありました。その時の答えは“番組はもちろん、ライブまでリサーチした結果、いけると確信しました”とのことでした。大変お世話になりました」とコメント。タモリが著名人の死去でコメントを寄せるのは異例で、横澤さんの存在の大きさをあらためて証明することとなった。

 75年から4年間、「ママとあそぼう!!ピンポンパン」の3代目おねえさんとして横澤さんと仕事をした酒井ゆきえ(56)は「あいさつ、礼儀を教えてくださった。芸能界の師匠で父親でした」と涙ながらに話した。一緒に浅草演芸場に足を運んだこともあり、故東八郎さんを紹介してくれたという。昨年秋、渋谷駅ホームで横澤さんを見かけた。「声をかけておけばよかった」と悔やんだ。

 遺体は現在、自宅に安置されている。枕元には愛読書、眼鏡が置かれているという。

 ◆横澤 彪(よこざわ・たけし)1937年(昭12)12月15日、群馬県生まれ。東大文学部卒業後、62年にフジテレビ入社。「オレたちひょうきん族」の「ひょうきん懺悔(ざんげ)室」には神父役で出演。95年に同局を退社し吉本興業に入社。東京本社代表、専務を歴任。

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2011年1月11日のニュース