ならなしとり

外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。

むしろサイエンスライター仕分けを

2010-10-10 01:39:14 | Weblog
 書こうと思っていたらこんなに遅くなってしまったネタです。まぁいいか。
サイエンスライターとして有名な竹内薫氏が産経ニュースにこんなことを書いていました。

【竹内薫の科学・時事放談】科学は誰のものか

・・・・・・いや、たった3例で科学者が公共心を持たない人間のように言うのはどうなのさ。2例目なんて秘書が嫌味を言ったわけで、その科学者本人は関係ないでしょ。なにを秘書の問題から科学者の問題にすり替えてるの?とくに最後のケースなんて同業者から誤解されかねないし。データの加工にデリケートになるのは当たり前でしょうが。火消しをするのも楽じゃないですよ?
個人的に一番ひどいと思ったのが最後のページ。
以下引用
この3つの事例に共通するのは、税金で研究をしていながら、国民に研究内容をフィードバックしようという意識が希薄な科学者の姿である。優れた科学者が、同時に優れた広報官である必要などないが、もう少し「公共心」を持ってもバチはあたらないのではないか。

 もちろん、すべての科学者がこういった態度を取るわけではない。だが、科学という営みの構造が変化したにもかかわらず、科学者の意識は、イギリス貴族が趣味でやっていた時代と比べて、あまり変わっていないのかもしれない。

 私も、そろそろ事業仕分けで科学予算を仕分けるお手伝いでもしてみようかしら。いや、無論、冗談であるが…。
引用終わり
なにをバカなことを。たかだか3つの事例で科学者全体を論じるとは非論理的にもほどがあります。

あまりにも酷い内容なので、すぐさま反論が出ました。

たった3例で「科学者は非常識な人間だらけ」と断じられてはたまらない

リンク先にはほぼ同意です。こんなのが有名なサイエンスライターだなんて・・・。
これに対してこういった意見も出ました。

科学は誰のものでもない

サイエンスコミュニケーターとしてあげられている例に脱力。そもそも内田とか福岡とかそいつらは硬派でもなんでもなく、面白い(=妥当性ではない)ことを言ってるから受けているだけでしょう。サイエンス芸人。いや、こんな書き方は本職の芸人に失礼かもしれません。プロの芸人は本業である芸を磨いていますが、彼らは受けのとれる文章だけ磨いて科学を伝えるのに必要な論理性や妥当性は度外視ですし。
僕の所感を書くと、サイエンスライターが10人いたら半分くらいが当たり障りのないことを書き、3,4人が突拍子もないことを書き、きっちり調べた綿密なことを書くのは1人いるかどうかくらいです。とはいえ、当たり障りのない人は記憶に残らず、突拍子もないトンデモさんとごくわずかの優秀な人が記憶に残りやすいので、サイエンスライターにろくでもないが多いという印象になっているのかもしれません。それなりにまともな人はまだ隠れてるはずですよね・・・(・ω・;)
福岡伸一あたりもサイエンスライターとしてあげられるのはどうなんでしょうね。文章は面白いかもしれませんが、「ブラインドウォッチメーカー」も読まずにドーキンスを論破したつもりになるわ、まともな生物多様性の説明をしないわで、確からしい情報を伝えるという点では平均以下ですよ。
竹内薫にしても「99.9%は仮説」でID論を肯定的に取り上げるという全く現実の見えていないことしてくれたり、進化生物学に恨みでもあるのかと。
サイエンスとしては情報や理論の妥当性という評価軸が重要なんですけど、それを伝える人間がこの評価軸で評価されることが全体的に少ないというのがなんとも・・・。
有名なやつほど平均の質を落とすのに寄与しているといういやな状況。
個人的にはサイエンスライター仕分けをやって欲しいくらいですね。評価基準は書いたもの、発言したことの妥当性で。それをやったら竹内薫とか福岡伸一とか世間一般に知られている人はほとんど残らないんじゃないかとも夢想します。僕が関わるとしたら真っ先に切り落とすでしょうし。

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