タモリの日本住宅変遷史


11月18日(木)に放送されたNHK総合ブラタモリ」は、「日本の住宅をブラタモリ」。
これまでのように都内の一地域に焦点を絞ってブラブラするのではなく、日本の住宅が江戸から昭和にかけてどう移り変わっていったのか、その変遷をたどっていました。
タモリNHK久保田祐佳アナが、江戸、明治、大正、昭和初期、昭和30年代とさまざまな時代に建てられた家を訪ねて、日本人の住まいの変化を追う。
その模様をここでも振り返ってみます。


オープニングで久保田アナと街角をブラブラするタモリ

今日は根津に来てます。根津の路地。


これはすごいよー、この大木。樹齢すごいですよね。
途中で折れたかなんかしてまた生えてきて。
路地にバカーッとああいうのがあると、ものすごいインパクトですよね。


民家の玄関になぜかデビルマンのフィギュアが置かれているのを発見。

はぁ〜……。
デビルマン、これ活躍できないよねぇ。


(近所のおばあさんに対して)
なんでこれちゃんと「番」してるんですかね?
魔よけのつもりですかね?


デビルマン


ブラ歩きが楽しい。

細部を見ていくと、路地ってのは飽きないね!
先進めないねこれ。


路地だけで行くか! 今日は(笑)

1.江戸の長屋


ここからタモリは、5つの時代の住宅を順を追って見ていくことに。
まずは江戸情緒を受け継ぐような長屋住まいの家庭を訪問。

これ、井戸? 未だに?
(住人「掘ったんですよ自分で」)


家屋の中に入ってみる。

おじゃまします。


あっ! これ、土間ですね
(専門家「『三和土=たたき』とも言います」)


あー、懐かしいですね、土壁。
下地を竹で編んで、わらと粘土で作って、上に漆喰。
これ見たことないでしょ?
布でカーテンしてるのをあけて、隣とこう話す。
落語に出てきますよね。


土壁


内風呂。

これは何?
(住人「内風呂です」)
どうぞどうぞ
(久保田アナが入ってみるフリ)
あー、十分じゃない?
狭いなりにちゃんと工夫してあるんですね

2.明治の洋館


明治時代の洋館、上野の旧岩崎邸へ。

これはちょっと驚きますよ。


明治になって列強に肩を並べようと。
当時の一流国家ってのは洋風にすべきだってことで、
見栄を張ってでも洋館を外国人の設計者に作らせて。
ただ、(洋館の)横に和風の家もある。


(久保田アナ「迎賓館的な?」)


そこはね、プライベートな空間だと思いますよ。家族とか。
やっぱりどうしても全部そこまでやると(=西洋化すると)
「なんかちょっとこれ、落ち着かないんじゃないか?」って


(久保田アナ「畳がいいよね、みたいな」)


よく、ばあさんが旅行から帰ってきて
「はーあ、やっぱり家がいい」ってのと(似てる)
じゃあおまえ行くなよと(笑)


立派なもんでしょこれ。これ。個人の家だったんですよ。
(明治から遡って)つい何年か前までは江戸の人たちが
これに「住め」って言ったら、
いくら上流の人でも「ちょっと私、ここでは……」
ということになるんでしょうか。


旧岩崎邸


この洋館を作ったのはイギリス人の建築家ジョサイア・コンドル

コンドルは本当に飛んでいきますからね。
いろんなところに行って、設計しまくり〜
ってやつですよ(笑)


工学博士に「バルコニーとベランダの違いってご存知ですか?」と尋ねられて。

屋根があるかないか?
(あ、そのとおりです。さすがです)

屋根があるのがベランダ。その最初期の姿がこの旧岩崎邸。


久保田アナがタモリの子どもの頃に住んでいた家について尋ねる。

完全に和風の家ですね。
ぜんぶ克明に覚えています。床の間の位置から。


ある脳科学の先生に聴いたんだけど、
間取りを全部書くと、どんどん昔のことを思い出す。
それはいいらしいですよ脳のためにも。

(その脳科学の先生って茂木健一郎のことでしょうか)

3.大正時代の一軒家


千駄木の旧安田邸を訪問。荘厳な一軒家。

純和風なんですね。
(専門家「『玄関』という言葉の意味は、神聖なる世界に入っていく入り口という意味)
幽玄の「玄」ですよね。
(教授「関門の『関』ですからね」)


旧安田邸


久保田アナ「タモリさんの昔のおうちの玄関はどんな感じでしたか?」

玄関、まぁまぁ当時としては立派ですかね。
タイル貼りで、こちら側に棚があって、三日月みたいな窓があって。
上がったところが3帖ありましたね。


そこにあのー、高校のときに、
(玄関を)上がったところに屏風みたいなのがあって、水墨画が描いてある。
あれに憧れて、で、倉庫探したらあったんですね、何も書いてない屏風が。


それに適当に描いてイモ判を捺して飾ってたら、
いちいち客が感心するんだよね(笑)。


旧安田邸の玄関に入る。

大きい石ですね、これ。立派ですね。
靴もちゃんと揃えなきゃいけないと思っちゃいますね。


ガラス戸と「トグルマ」。

これは、そんなに古いもんじゃないんだ。
トグルマ(ガラス戸の下に取り付ける車輪)。
懐かしいな。これ倉庫にね、何本もあったんですよ。


私はその頃から鉄道ファンだったんで、
これでカマボコ板で車両つくって、
ファーって(転がしてた)。


トグルマ


昔の冷蔵庫。

あー懐かしい! 氷冷蔵庫。子どもの頃これだった。


ここに氷を入れて、下に食品を容れる。
この中がおがくずなんですよね。断熱材が。


氷屋さんが必ずくる。夏場。
怒られるんだけど、カチッ!と割って(氷を)食う。
バレないように向こうの面をカチッ! て。


ここで専門家の話。
「住まいはかつて接客の行為を通して社会に開いていた。
でも日本の住宅は接客の空間をどんどん排除した。
家族だけだとクローズしてしまう」


この話を聞いて、タモリがカミングアウトしてました。

あのー、これ初めて言うんですけど。


ある芸能人の年取ったときの住まいを今、
基本設計ぼくがやってるんですよ。


ずーっとやってるんですけど、
そのこと(接客の空間を作ること)を再びやろうとしてるんですよ。
「プライベートな空間と平屋で、2つの空間ちゃんと取ろうよ」と。


お客もダラーッて入ってくるんじゃなくて
そのため(接客用)の空間と、
泊まるための専用の部屋(を作る)。
で、こっちはプライベート、と。

とある芸能人の住宅の基本設計をやっているという。

4.昭和初期のコンクリート住宅


大正から昭和にかけて、
関東大震災の復興と同時に鉄筋コンクリートの建物が登場。


タモリが訪れたのは東京・深川にあるコンクリート住宅。
幾何学的なデザイン。昭和3年建築という話です。

昭和3年? はぁ〜!(感心)


コンクリート住宅の全世帯、押し入れの中に地下室への入り口がある。
もともとは倉庫だったが、戦時中は防空壕として使われた。


このパートは戦争がらみでやや重ためで、タモリはほとんど聞き手でした。

5.昭和30年代の団地


戦後の人口増加による住宅難を解消するため、昭和30年代半ばに生まれた「団地」。
タモリ一行は、当時制作された映画「団地への招待」をロケバス内で鑑賞します。


「団地への招待」の女性ナレーションを聞いて。

このアナウンサー(の声)、よく聞くなぁ、昔の映像で。
(久保田アナ「なんで昔ってこんな喋り方なんでしょう」)
男も(声が)高いよね。
(カン高い声で)「どこから現れたのか?」「自転車の一団が!」(笑)


「団地への招待」でチーズ入りの野菜サラダが紹介されていた。

ちょうどそのころ福岡に団地がボチボチ出来始めて、
うちのおばあの一家がそこに住んでた。
あの家と(「団地への招待」に出てくる部屋が)まったく同じつくり。
そこに行くのが楽しみだったの。


(久保田アナ「まさに『団地への招待』ですね」)
そう! あれですよ!


ぼくはそこで初めて、やっぱりね、チーズを食ったなぁ(笑)


西東京市ひばりが丘団地を見学。

あ、懐かしいねー、この感じは。団地。
こんな感じですよ。おばさんの家。


ひばりが丘団地


「DK=ダイニングキッチン」という考え方は、日本の団地で生まれたという話。
狭い住宅で生活するためにひねり出した苦肉の策だった。

「ダイニング」と「キッチン」はだいたい別物だもんね。
(教授「それを一緒にしたっていうのは大きな考え方の変化」)


一般の一戸建ての住宅にも
「DK」っていう概念はかなり浸透するんですよ。


うちの親戚のおじの家は、
かなり広い、鳥小屋があるくらいの家なんですよ。


それでもDKなんですよ。


(久保田「くっついてるんですか」)
くっついてるんですよ
(専門家「モダンの象徴だったんですね」)


そしてひばりヶ丘団地のベランダでエンディングトーク

日本人は建物が変わることに対して何の躊躇もないんだよね(笑)。
受け入れるんですよ新しい物。


だって明治になって住み方が全部変わったときに、
江戸の文化をぜんぶ捨てたんですからね日本は。
住まいも文化も変えたし。躊躇なく捨て去る文化。
住まいがどんどん変わるっていうのも躊躇しないんでしょうね。


おもしろいね本当に。
東京の住宅をこれだけ見て回って、こんな国はないんじゃないですかね。


まだまだ探せばあると思います。今日はおもしろかった。


底が知れない