科学者を展示する.


2013年4月20日、いよいよその「実験」を世に試す時がやって来た.理研の一般公開.理論物理学研究者そのものを展示する、という試みである.

展示中.「うぉーすげぇ、わけ分からん数式書いて英語でしゃべってる」「ひょえー、なにこれ」「科学者って必殺ワザ持ってるん?」「これカッコいいねぇ」「ぼくも黒板でさんすうするー」「がちガリレオ!?」

なぜこんな試みをしたか、少しその理由と顛末を書いてみよう.

通常、どこの研究所の一般公開へ行っても、科学の成果を分かり易く説明するコーナーがあふれている.子供をとりこにするような工夫があったり、大人を惹き付けるような仕組みがあったり.研究者も広報部も大変な努力を払って、世間の方々に科学の仕組みや効用を理解してもらいまた訴えている.僕はこのやり方に、かねてから少し、感覚的に疑問を持っていた.

その疑問の理由が明確になったのは、去年の一般公開の時である.僕は、延與放射線研究室の展示のお手伝いとして、対称性の破れを磁石で実演するコーナーを担当していた.小学校低学年の子供がやって来て、磁石をぐるぐる回して遊んだ後、握手を求めて来たのだった.そばに居た親が、「科学者と握手できるのよ、ほら、行きなさい」と、シャイな子供をこちらに誘導していた.恥ずかしそうに小さな小さな手を出したその子は、僕と握手をして、そして、目が輝いた.

僕は不思議な気持ちになった.科学のアウトリーチというのは、「科学って面白いでしょ、ほらこんなに役に立っているでしょ、素晴らしいでしょ」ということを説明する場所だと思っていた.しかし、例えば僕の研究の「超ひも理論」の場合、説明を聞いた人の反応は、眉間にしわを寄せ、「なんだか難しいことをやっているのですね」「物理苦手なので」がほとんどである.宇宙や素粒子に興味を持って来た人も、「へー、そうなんですか、分かっていないことばかりなのですね」という感じである.ところが、それが子供の場合、僕が科学者であるということがまず信じられないほどびっくりすることで、それで握手をする、という人間同士のふれあいが出来るということがまさに感動を呼んでいたのだ.僕は、子供と握手をした時に自分も感動を覚え、科学者をやっていて良かったと心から思った.


そこでふと気付いたのである.科学者を展示してはどうか、と.科学の成果を知ってもらうだけでなく、本当の科学を創っているまさにその過程を知ってもらうのは、どうか.

理科離れとか科学立国復活とか、世間では色々という.科学と人間をつなぐものは何だろう.自分の人生を振り返ってみると、そこには科学そのものではなく科学者がいた.たいそうなものではない、人並みの経験である.アインシュタインのことをNHKの番組で知って興奮したり、「ホーキング宇宙を語る」で車いすのホーキングが凄いことをやっているらしいとびっくりしたり、高校の物理や化学の先生がひょうきんでとても楽しい授業だったり、大学に入って宿泊研修の夜に話した物理の先生の話にすごく感銘を受けたり.科学の内容は覚えていない.ただ、どんな人に(テレビであれ実際であれ)出会って、すごくエキサイトしたかと言うのは克明に覚えている.この経験こそが、科学のアウトリーチに欠けているのではないか、と理解したのだ.


科学を分かってもらうと同時に、科学者を分かってもらう.人間として科学者が、近所のおっさんと同じように生活をし、ただ科学に没頭して研究成果を出すために人生を賭けている、その事実を展示すべきだ.それが、国民に科学に愛着を持ってもらう近道だ.そう信じるに至った.

目的を実現するための絶好の機会が、理研の一般公開だった.科学に興味を持つ人たちが何千人もやってくるイベント.うちの研究室では、敢えて、科学の説明のための準備は全く行わない、という極端な手法をとった.なぜならこの企画は「実験」だからである.科学には、極限状況を試すことで実際の自然をより深く理解するという手法がある.その教えに従うまでである.

果たして、それは成功だった.もちろん失敗した側面はいくつもある.しかし、科学者が実際に科学を生み出している現場を目にした来乗客の反応は、僕の想像を超えていた.前日までは、まあ30人くらいに見ていただければ最初の試みとしては良いかな、という予想をしていた.ところが、当日は千人ほどの方々に来場してもらい、何時間もそこにとどまって科学者の行動を眺め楽しむ人もいたのである.数々の驚きの声と感想を戴いた.

昨年、自分という理論研究者が研究をしている様子を動画にしてyoutubeに公開してみたのだが、それは最終的にはこの展示のためでもあった.科学は創作活動であり、中身を全部理解できなくても、それを人間として感じることが出来る.芸術と共通の側面を持ち合わせている.youtube動画ではまずそれを、世に問うてみたかったのである.例えば、書道は芸術だが、作品を見るだけでなく、書道家が大きな紙の上で大きな筆を持ち書道の実技をするというパフォーマンスも良くテレビで見るだろう.しかし、科学者がどうやって科学を生み出しているかという様子、特に理論物理の研究者がどうやって科学を創っているのかという様子を公開する、というのは聞いたことが無い.その一方で、朝永振一郎が研究室で楽しそうに物理の議論をしている白黒写真が、科学者としての自分の心に焼き付いている.書道において書道家が実演をするように、科学において科学者が実演をし、それを観客に見てもらうことを、科学者はなぜやらないのだろう.書道家が人間として認知されるからこそ書道が愛されるという側面もあるわけで、科学に愛着を持つ国民を増やし将来の科学者を育てるためには、この側面こそ探求してみる価値が多いにある.


Youtubeは制作者から観客への一方的な流れなので、科学が創られているその一部をテレビ的に流しているだけである.やはり実物が実演しているところを見ていただくのが最も効果的で直接的である.それが、どんなものであれ、またどんな感情をもたらすものであれ、科学が人間の生み出したものであるということを、科学者でない人に最も単純に「感じて」もらうのは、科学を創っている現場を見てもらうことである.こういう理由で、理研の一般公開という最大の機会を利用して、このような展示を開催することにした.




展示内容は単純である.1時間交代で、研究室の若手研究者に、毎日の研究者の議論風景をそのまま(前の日の続きで)黒板で披露してもらう.メインはこれだけである.科学の説明は付けず、議論している研究者の名前と、それぞれの必殺ワザ(カタカナで専門用語.「リサメーション」とか「ホログラフィー」とか「ニュークリアフォース」とか)を表示したパワポiMacで表示.その横に黄色い理研のジャンバーを着た説明員に立ってもらう(これも研究者の回り持ち).質問をし易いように、説明員から声をかけたりする.

その他の展示は少しだけである.遠くから展示が目につき易いように、研究室入り口のすぐ外に大型テレビで、Youtubeの動画をループで大音量で流しておく.入口には、理論研究者の生態を感覚的に述べたスライドをループで流しておく.入り口そばの机で、僕が座って一日数式の計算をしている.観客は、(動画)→(スライド)→(計算する科学者の展示)→(議論風景の展示) の順に自然と誘導される.

なんと、あるセッションでは、実技の議論をしていた研究者が1時間の議論の後「論文ができました」宣言をした.これはなんとも僕の予想を遥かに超えていた.本当に、観客の目の前で、一つの科学が誕生したのである.


来て下さった方のお話は様々だった.「私は会計関係の仕事をしていますが、科学者と同じような感覚もあるのだということを知って驚きました」「大学生の息子が研究者を目指すと言っていたのですが、息子が何をやりたいか分かった気がしました」まさにご自身と科学者を重ね合わせていらっしゃったのである.「式を書いているのに式に数字が無いのはなぜですか」「計算にゴールとノルマはあるのですか」「なぜ外国人がいて英語でしゃべるんですか」科学の内容について、手法について、次々と質問が来る.感動させるコメントがあった:「科学は芸術ですね」


予想以上にたくさんの方に来場いただき、感動してもらって、科学にさらに関心を持ってもらえたという意味で、開催して良かったと思っている.一方、反省点はいくつもある.例えば、科学に興味を持ってもらったその後のフォローアップをやはりやっておかねばならない.今回は極み実験だったのでそれを完全に排したが、やはり、観客に興味を持ってもらったらその後に、もっと知ることが出来る方法なり解説を観客にお伝えするべきだった.twitter/facebook連動や一般公開の他の企画と連動した方が良い.また、この展示だけが理論研究者の全てではなく、世の中にはもっともっと多種多様な理論屋がいて様々なやり方の議論がある、ということも明示するべきだった.もちろん、つまらないと言って通り過ぎる方々もたくさんいたが、それは理解できる.期待していたことと違ってがっかりしたのだろう.僕は、この試みは美術館と同じで、そういう人たちは、一般公開のどこか他の場所、心にしみる作品の前で立ち止まってそれを鑑賞してもらえればそれで良いと思っている.

実演開催中.

「理論の研究者って、こんな風に議論して式を書いて研究してるのねぇ」

この一言が、心にしみた.