AIDMA → AISAS の次は、「SIPS」かな
2010年9月21日(火) 9:08:10
この3連休、ソーシャルメディアのことをつらつら考えていた。
というか、ソーシャルメディアの浸透が引き起こす今後の広告コミュニケーションの変化について、か。
アメリカでの革命的変化に比べて、日本ではまだまだ先の話ではあると思うけど、広告の現場でも確実に変化の潮流はある。
たとえば、社会貢献系キャンペーンが増えてきたのもソーシャルメディア浸透の流れの上に乗っている。「共感」を流通貨幣とするソーシャルメディアでは、生活者の間に「一緒に生きている社会をよくしようという連帯意識」がとても生まれやすい。そしてそれを企業にも求めるようになる。つまり社会貢献系キャンペーンは一時の流行ではなく、必然の流れだったりするわけだ。
要するにすべての行動のドライブ元が「共感」になりつつあるということ。
このように「共感」がいきなり主役に躍り出てきつつあることも必然の流れだったりするわけなのだが、ここは論文の場ではないのでこの辺の説明は端折る。
そういう中、消費行動のプロセスとして提唱されてきた「AIDMA→AISAS」の「A」である「Attention」も変質せざるを得ないだろう。
変質というより消失か。単なる「注意喚起」は共感を呼ばない。共感を呼ばないからRTもされないし、いいね!ボタンも押されない。つまり、広まらない。広告はもっと「共感喚起」に変化していかないといけない。クリエイティブ的に言うと「被RT力」とか「被いいね!力」が重要になるだろう。
まぁこの辺「実名でのリコメンドの普及」が前提となるので、まだまだ匿名主流の日本の場合、多少事情が違う。
ただ、「情報洪水・成熟市場の中、信頼できる情報に短時間で辿り着くニーズが高まる」とか「情報に出会う順番が『マスメディア→ソーシャルメディア』から『ソーシャルメディア→マスメディア』に変わる」とか「検索の不便さがバレる」とか、いろんな状況が重なって、友人・知人のリコメンドを中心とした「共感社会」が丘の向こうに見えてきているのは確かだと思う(この辺も論を端折る)。
となると、「AIDMA→AISAS」の次も必然的に決まってくる。
たぶんそれは「SIPS」みたいなものだろうと思う。
「SIPS」。
つまり「S(Sympathy:共感)→ I(Interest:興味)→ P(Participation:参加)→ S(Share:共有)」。
※追記:その後、「Interest」から「Identify(確認)」に変更している。
「共感」がまずド頭にある。これは共感喚起を中心にした「広告」よりも、「普段の企業活動」や「ソーシャルメディア上での企業の『ふるまい』」が大きく関係してくるものになるだろう。そして「興味」を経て「企業活動に参加」し、その過程や結果や将来像をソーシャルメディア上で「共有」する。そしてそれがまた「共感」につながって……、と、サイクル化していく。
この結果、企業と生活者は長い関係性を築いていくことができる。
ただしそれは「生活者の参加」を伴うものなので、透明性、社会貢献、傾聴、誠意などが「企業の当然のふるまい」となるだろう。
生活者が「説得して売る相手」から「一緒に社会活動するパートナー」に変わるんだから、つきあい方も根底から変化する。一時の「恋」から、長続きする「愛」への変化と言うことも出来る。相手と長くつきあいたいんだもの、「恋」の時のような見栄っぱり演出ばかりやってはいられない。お互いをさらけ出してイイトコロもデキテナイトコロも見せ、誠意をもってつきあわないと長続きするはずないからねw
ちなみに「SIPS」には購買に当たる「Action」がない。
ソーシャルメディアが浸透した世の中では、購買(消費)は「企業活動への参加意識」に取って代わられると思う。もちろん物は買うわけだが、それは企業の社会活動への参加感に近い感覚になるんじゃないかな。この、「P」が「Purchase」ではなく「Participation」であるところが、ソーシャルメディア時代の消費行動の特徴だとボクは思う。
って、まだ詰めてはいないし、ずいぶん端折ったが、なんとなく今考えていることを書いてみた。もうちょい考え続けます。ご意見などいただければ、発展・更新させていきます。
なお、AIDMAやAISASが消費行動のすべてを説明しきれてないように、「SIPS」も例外や抜けはいろいろあると思う。でもまぁなんとなくこっちの方向だと考えてる、ということで。