発言の責任とアホな取り巻き問題

前回前々回のエントリに予想外の反響をいただきました。みんな気にしてんのねこれ。

なんだかんだ言って、今は概念すら危うい「モヒカン」気質であるところの僕としては、実のところはるかぜちゃんがやっていることに問題があるとはかけらも思っていないのですが、どなたかがブクマで指摘されていたように、結果起きてしまっていることについて現実的な対処をどのようにすれば良いのかというのはジレンマを感じる部分ではあります。

当事者間の問題に終始するのであれば何も問題ないと思っているのですが、どうにもバカ想像力豊かな取り巻きが本人の意によらず勝手に攻撃をするという事例が多発する場合があってそれをどうしたらよいかというのは結構大きな課題です。

攻撃される側の発言も問題なんだよ、覚悟がないよ、という話もあります。ただ、誹謗中傷の類ならいざしらず、好き嫌いであるとか、真面目な批判・批評に対してもそれが起こりうる、というのはどうなんだろうかと思うことがあります。特に有名人について好き嫌いの発言が飛び交うのはそれこそ有名税
批評・批判に対しては、太古の昔から本人が得物持って襲いかかってくることを覚悟して発言しなければならないと決まっており(ぇ)、取り巻きがいるのが見えているのに本人や取り巻きに届くように批判したり陰口を叩いたりするのはDQNの所業だ、ということはわかりきっている話で有りますから、やるほうがバカだと思います。
とはいえ、アホな取り巻きというのはアホが故に理由ははっきりしているけど筋が通らない行為を行うわけです。それを止めたかったらどうしよう、というのは考えなければならない。

個人的には、少なくともウェブでの論争(誹謗中傷を含んだ悪口合戦含む)にとどまるのであればそもそも口火を切ったのは批判側なのでそのくらいの覚悟をするべきかな、とは思いますね。ただ、事がリアルに波及するというのは避けなければならない。あ、論争のストレスとかはダメよ。あくまで本名、住所晒し上げとか勤め先に電凸とかそういうのね。それは完全にルール違反だと思う。そうじゃない限り、荒れるのは覚悟の上、というか、元々ネットで発言するってそういうことでしょ、としか思わない。
とはいっても、アホがアホなことをすることに付き合うのはリソースの無駄遣いです。それは、取り巻かれている当人にとってもアホに祭り上げられている、という事実によって評価を下げる話ではあります。
アホがアホであることによってアホな行為が行われることについて、当人が責任を取ることはできませんが、それをある程度統御することが可能なのであれば、積極的に行うべきかなーと思ったりはします。それによってまた別の揉め事が発生したとしても、それもまた自己の発言による結果なので覚悟があってしなければならないことではありますよね。