英国は需要不足に陥っているのか?

という議論が一頻りブロゴスフィアの一角を賑わせた。

議論のきっかけは、リチャード・ウィリアムソン(Richard Williamson)という英国人ブロガー*1の疑問をタイラー・コーエンがMarginal Revolutionに掲載したことにある。そこでウィリアムソンは、英国はデフレに陥っておらず、むしろインフレは高まっているので、需要不足という通常言われるストーリーは当てはまらないのではないか、と書いている。


ウィリアムソンは自身のブログでフォローアップエントリを書き、不況ならば価格に問題があるはずだ、という昨年11月のカール・スミスのエントリの言葉を引用している。そして、失業率が高止まりする一方で実質賃金は下がり続け、既に7年前の水準を下回っているのに、労働市場の不均衡を解消するためにあとどれだけ実質賃金が下がれば良いのか、と問うている。
この問い掛けに対しスミスは、分からない、と率直に認めている
そのスミスの応答エントリのコメント欄にAndy Harlessが姿を見せ、価格に問題があるとしてもそれは実質賃金とは限らない、むしろこの場合は実質金利の問題ではないか、という考察を示した*2。ウィリアムソンもそのコメントを自ブログで取り上げ、そのコメントがHarlessの以前のブログエントリと同趣旨であることを指摘している。


一方、スティーブ・ワルドマンは、負債が問題になっている状況下では実質賃金の低下は問題を悪化させる、という考察を示した
それに対し、同エントリでポストケインジアンにとってのツンデレフレネミーと呼ばれたサムナーが反応しイングランド銀行のようにインフレ目標を掲げている場合は、実質賃金が下がってもケインズが懸念したようなデフレのさらなる悪化*3は発生せず、雇用を増やすことはあり得る、と指摘した。とは言うものの、その相関関係は有意ではないので、(ワルドマンが物価との関係で論じている時間当たりの)実質賃金に焦点を当てるのは止めて、実質所得を増やすことに焦点を当てるべき、両者は別物なのだから、と論じている。
なお、このように依拠する経済理論には齟齬はあるものの、ワルドマンとサムナーは、名目GDPの落ち込みが問題であり、名目GDP目標政策を推進すべき、という点では意見の一致を見ている*4


負債を問題視するワルドマンの議論に対しウィリアムソンは、名目GDPの落ち込みは米国も英国も似たようなものなのに対し、米国で見られる負債削減の動きは英国では見られない、と指摘した(ここここ)。それに対しワルドマンは、米国では取りあえずデレバレッジは峠を越したが、英国ではまだこれから、という解釈を示した。そうした説得工作が効を奏してか*5直近に立てたエントリでウィリアムソンは、やはり名目GDPの落ち込みが問題なのかも、としてワルドマン説を事実上受け入れている。
ただし、そのように彼が考えるようになった理由は、ワルドマンの説得だけではなく、間接税を除いたベースで計算すると英国の名目GDPの落ち込みが米国より大きい、という点に気付いたことにもある。そのデータの存在を彼は、Britmouseという別の英国人ブロガーの直近エントリで教わっている。


ちなみにBritmouseについてサムナーは、英国の需要不足の問題を巧みに示した、と(前述の自ブログエントリの末尾で)評価している。一方、Britmouse自身は、直近エントリで、Jason Raveというさらに別の英国人ブロガーのエントリにリンクし、この件に関して最も良い考察、それに付け加えるべきことはあまり無い、と称賛している。
そのRaveの主張を一言でまとめると、インフレ率が高いからといって需要不足が起きていないわけではない、ということになる。彼が提示する考えを小生なりに模式化すると以下のようになる。

即ち、当初は長期の垂直な供給曲線LRASと需要曲線ADの交点にあった経済に、短期の供給ショックが発生し*6、SRAS曲線がSRAS'曲線にシフトした。そのため、インフレ率はSRAS'とAD曲線の交点にまで高まるはずであるが、同時に需要不足も発生したため、インフレ率はSRAS'とAD'曲線の交点に収まっている。従って、需要不足が無ければ英国のインフレ率はむしろもっと高まっていたはず、というのがRaveの考察である。


英国には需要不足以外に供給面の問題もあるかもしれない、というのはサムナーも前述のエントリで指摘していたところであり、Harlessの実質均衡金利が低いという議論が暗に示唆したところでもある。では、具体的にどのような供給ショックが起きたのか、という点についてウィリアムソンは、前述の負債のほか、ここここでそれぞれ付加価値税と金融部門を候補として考察しているが、(前者は税率を上げる前に一旦下げていること*7、後者は金融部門の付加価値の推移が全体の平均をむしろ上回っていることを理由に)いずれも違う、という結論に達している。

*1:自己紹介では「a management consulting associate and former philosophy student」と書いている。また、例えばこのエントリこのコメントでは、自分は経済学の専門家ではない、と断っている。

*2:cf. このエントリで紹介したクルーグマンの議論。

*3:cf. ここ

*4:ワルドマンは自身をポストケインジアン寄りと位置づけているので、この意見の一致は、ここで紹介したような彼の唱える大同団結への第一歩と言えるのかもしれない。

*5:ワルドマンはウィリアムソンのエントリのコメント欄で上記の解釈を示したのだが、それへの応答コメントでウィリアムソンは「you are starting to win me over」と書いている。

*6:cf. このエントリ

*7:その下げた時期(=2009年)の付加価値税除くベースのインフレ率は英国の方が米国より高かったことをウィリアムソンはグラフで強調している。これは、英国の方が米国よりインフレが高進しているというウィリアムソンの主張に反論するために、2010-11年の両国のインフレ率は大差無いことを示したクルーグマンのブログエントリを持ち出したInterfluidity(ワルドマンのブログ)のコメンターへの再反論を意図したもののようである。サムナーも前述のエントリで、ウィリアムソンは同エントリでクルーグマンの誤りを明確に示した、と評している。ただ、ウィリアムソンのエントリのコメント欄では、2009年の付加価値税減税は総合CPIを下げて金融緩和を容易にしたという面もあり、その時期の付加価値税除くベースのインフレ率が高かったことを強調する意味が不明、という指摘が見られる。また、サムナーのエントリでは、Mark A. Sadowskiというコメンターが、付加価値税、エネルギー、食糧を除くコアインフレを試算すると(EU諸国はなぜかその数字を出していないとの由)、もっと低くなる、と指摘し、ウィリアムソンやサムナーと論争になっている。