Jacques Futrelle(1875〜1912)
ジョージア州、パイク・カウンティで生まれた。
1905年、同紙に思考機械の中篇、「十三号独房の問題」を掲載して好評を得、以降断続的にミステリ作品を発表した。
著者の名を伝説的な程に高めた理由の一端は、その悲劇的な死にもあると言えるだろう。
1912年、夫人と共にイギリスに旅行し、その帰路で夫妻はあのタイタニック号に乗り合わせてしまったのだ。沈没していく船の中で、著者は多くの夫たちと同じように夫人を救命艇に乗せ、自身は船に残り、共に大西洋に没した。
この時、《思考機械》の第三短編集を出版しようと用意していた十篇の内、六篇が失われてしまったという。