「このおもしろい時代を、おもしろく生きてほしい」とエールを送る

 2012年12月8日(土)、都内の法政大学市ヶ谷キャンパスにて、ブシロードの代表取締役社長・木谷高明氏の講演会が行われた。本講演会は、学生の依頼によって実現したもの。会場には受付時間前から人が集まり、大学生からスーツ姿のサラリーマンまで、さまざまな人が詰め掛けた。

 講演会では、自身の持つ哲学、ベンチャー経営論、そしてこれからの日本の文化産業の展望をテーマに掲げ、ブシロードのコンテンツについてのみならず、この業界を目指したきっかけ、起業したきっかけ、約20年間業界に携わって見えてきたもの、そして氏が思うこれからの業界の展望などをテーマに語った。

▲木谷高明氏プロフィール
日本の実業家。1960年生まれ。石川県出身。武蔵大学経済学部卒業。山一證券でアメリカ勤務などをこなし、ベンチャー企業であるブロッコリーを設立。1996年、キャラクターグッズの販売店ゲーマーズを開店。1998年に始まる『デ・ジ・キャラット』のヒットで業績を伸ばし、2001年にはJASDAQ上場を果たした。創業者として代表取締役を勤め、社長や会長を歴任し、2007年に一度経営から完全に離れる。
▲同年、株式会社ブシロードを設立。ヴァンガードを代表するカードゲームを中心に、売り上げを伸ばす。2012年2月、新日本プロレスリング株式会社を子会社化する。同社の商品とコラボをしたりするなどし、プロレスリング業界を盛り上げようとしている。また2012年グループ連結7月期売上高150億円を達成している。海外支社としてブシロードSEA、ブシロードUSAを抱え、国内のみならずアジアやアメリカ市場にカードゲームを投入している。20年までに海外市場開拓とソーシャルゲーム参入で売上高2000億円、経常利益500億円を目指している。
ブシロード 代表取締役社長 木谷高明氏

 最初の話題は、木谷氏の半生からスタート。1960年6月6日生まれの木谷氏は現在52歳で、自身の世代を「小学館のビッグコミックスピリッツで連載された『20世紀少年』の子どもの光景、あれがまさに僕らの時代でした」と語る。その中でも中学時代は、木谷氏にとっての“暗黒時代”だったようで、友達はいたものの“テストの結果で人間の評価が決まる”という制度そのものに対して不満を感じていたのだとか。木谷氏いわく、「生きていると、問題そのものをまず自分で見つけなければいけない。そして、その答えも自分で出さなければいけない。そう本能的にわかっていたのに、学校と言う場所は、人と同じ問題を与えられて、人と同じ答えを言わなければいけなかった。僕はあまのじゃくだったので、そのことにすごく疑問を感じていた」とのこと。その結果、勉強にまったくやる気を出せず、成績や受験については散々だった模様。なんとか受かった大学(武蔵大学)については、非常に感謝していると述べた。

 そんな木谷氏が子どものころにハマったものは、講談社の週刊少年マガジンで連載されていた『デビルマン』。週刊誌から豪華装丁版までを含めると、合計で6回ぐらい買い直しているのだとか。また、集英社の週刊少年ジャンプで連載されていた『男一匹ガキ大将』については、作中に出てくる架空の会社“昭和ハウス”の功績を挙げ、「物の価値が一気に50倍になる、その成長率の高さがすごくおもしろい。そして、それは現実でもいくらでもある話なんですよね。ほかにも、『太閤記』みたいな立身出世ものが大好きでした」と、株、引いては経済に興味をもつきっかけになったことを説明した。さらに、数少ない趣味の中には現在熱心に活動をしている“プロレス”もあり、雑誌の隅から隅までを見ていたとのこと。

 大学卒業後の木谷氏は、かねてより興味のあった金融の世界、山一證券に入社。営業成績がよかったこともあり、アメリカに留学させてもらえることに。そこで深い感慨を受けたハロウィンパーティーが、後に実行する“コスプレパーティー”のきっかけとなったそうだ。ほかにも、アメリカでの経験は、視野を広げる非常に貴重なものとなった。木谷氏は当時の日本とアメリカの違いについて、「当時(1980年代)の日本は大企業至上主義で、ゼロから立ち上げたベンチャー企業を相手にしてくれなかった。一番最初の取引相手はアメリカという会社もあった」と振り返っている。

 そして、小学校時代から「大企業の社長になりたい」と思っていた木谷氏。ベンチャーキャピタル(投資ファンド。複数の投資家から集めた資金を用いて投資を行い、そのリターンを投資家に分配する)に興味を持ち、みずから21社を訊ねてまわったこともあったと言う。そのときに一番注目したのが、従業員たちの“経歴”だ。彼らの多くは有名大学を卒業し、一流企業に就職。その後退職して再度勉強をし直し、起業していたと言う。「日本は、有名大学を卒業した人は皆大企業にいる。しかし、アメリカのベンチャーでは、10人ぐらいの小さなオフィスに優秀な人たちがたくさんいた。それに刺激されて、僕は“自分で会社を作らないとだめだ”と思った」と木谷氏は語る。当時、木谷氏は28歳だった。

 やがて日本に帰ってきた木谷氏が気付いたのは、金融や証券業界が、独立に不向きな事業だと言うこと(信用やブランド力、経済面などから考えて)。そのことを踏まえて、木谷氏は学生たちに“最初に入る会社”について、以下の3つの選択肢を提示する。

1.“大企業”であること。
大企業は全体的に動きが遅く、決定ひとつにもとても時間を要する。では、それはいったいなぜか? 理由については、やはり入って経験するのがいい。また、大企業はキャリアにもなる。

2.独立するであろう業界に近いところに入る
IT業界で独立を目指すのならIT会社に。会社で学んだノウハウを、そのまま仕事に活かせるのが強み。

3.社長の近くで社長の動きを見られる会社
ベンチャーとしてバリバリ働く社長がどういう考え方をするのか、近くで見ることで生の経営論を学べる。

 以上の3つの条件は、重なっているとなおよいとのこと(ただし、大企業の社長は特殊なので、1と3が重なるのは難しい上にあまり意味がないそうだ)。

 木谷氏は起業を決意してからも山一證券で働き続け、その後5年が経過。ちょうど勤務10年目になった年に本格的に独立した。その際、結婚前から「独立する」と言い続けていたかいがあって妻の説得は問題なかったものの、両親を説得するのが大変だったと言う。一番最初に始めようとした会社は“同人誌即売会”を取り扱うものだったのだが、木谷氏の親が企画書を見てもまず“同人誌”という単語がわからないために、説得は困難を極めた。やがて、説得話は証券・金融業界の未来にまで上る。山一證券秋田支店の支店長になることを望む両親に対し、木谷氏は「証券は、経済の規模に乗っかっている商売。だけど、経済自体が芳しくない。これから証券業は衰退していく。僕は泥舟に乗りたくない」とまで言って説得したのだ。その3年後に山一證券が倒産し、悲しいことに本当に“泥舟”であったことが証明されてしまったが、それを含めての“タイミング”も大事だと木谷氏は語る。「人生において何か大きな決断をするときに、環境とかタイミング、運ってすごく大事なんですよ。起業したいと考えたときに、前向きな理由が7割ある上で、この業界・会社にいても仕方ないというネガティブな感情も3割あった。すごく給料も待遇もよく、安泰した会社にいた場合、多分踏み切れなかった」と述べた。

 木谷氏が起業して同人誌即売会を始めた理由については、「いまコミックブレイドで連載している『業界偉人伝 ジンカン~人の間はおもしろく生きる~ 木谷高明物語』を読んでほしい」とのことだが、同人誌即売会をずっと続けるつもりはなかったと言う。実際、その後の木谷氏はいろいろなノウハウを吸収した後、キャラクタービジネス、さらにカードゲームビジネスに身を入れるようになる。1990年代に日本でトレカ(トレーディングカード)が大ブームを巻き起こした際、木谷氏は“カードゲームはインフラビジネス”だと思ったそうだ。そこで、当時ほかのメーカーがやっていなかった宣伝に大々的に力を入れたり、ユーザーから「大会をやりたい」という要望があって初めて実施していた大会を、発売前から設定するなど、いろいろな要素をいち早く取り入れていた。木谷氏は語る。「カードゲームは、ずっとつづくという安心感。もっともっとプレイする仲間が増えると言う安心感が大事だとすぐに理解しました」と。そんな木谷氏が唯一の反省点としてあげたのは、自身があまりゲームをプレイしなかったこと。カードゲームの70%まではすぐに理解できても、やはりプレイしなくてはたどり着けない境地があると説明。後に『ディメンション・ゼロ』をやりこんで、ようやく“ユーザーの気持ち”を理解できるまでに達したとのことで、「なぜユーザーが減っていくのかと言うと、負け続けていると楽しくないからですよね。自分は強いと自信を持って大会に出てきたのに、帰るころには自信を喪失している。5戦して5敗だったら、二度とやりたくないと思う」とプレイヤー目線からの感想を語った。そして、その部分を徹底的に意識して作られたのが、ブシロードのカードゲーム第1段となる『ヴァイスシュヴァルツ』だった。『ヴァイスシュヴァルツ』は勝負が拮抗するようなシステムに設定されており、実力差があっても表面上は“惜しかった”ように見える。そのため、ユーザーのやる気を削ぎにくいのだと言う。さらに、キャラクター好きの人にも楽しんでもらえるように工夫し、最終的に最高30億円を売り上げ、異例の大ヒットとなった。

 “カードゲームで世界一を目指す”ことを目標にしていた木谷氏。つぎの取り組みとして、カードゲームに造形の深いマンガ家の伊藤彰を迎えて、キャラクター、子ども向けカードゲーム『カードファイト!! ヴァンガード』を立ちあげた。イラストが親しみやすく、またルールがおもしろいこともあり、『ヴァンガード』は海外でもヒット作となる。また、タレントのDAIGOを起用したCMも好評を博し、カードゲームを遊ばない人でも『ヴァンガード』の名前は知っているくらいに育ったと木谷氏は述べた。ちなみに、DAIGOが出演しているCMは、現在放送されているもので11作目。残り1作でいまのシリーズが完結し、2012年のゴールデンウィークに放送したドラマとストーリーが繋がるのだと言う。CMにストーリーを持たせ、さらにそこから連動し、膨らませるといった手法も、木谷氏の得意分野のひとつと言えるだろう。

 また、2012年1月に子会社化した新日本プロレスリングについては、「カードゲームはずっと考えていたが、新日本プロレスは当初の計画にはなかった。子会社化したのは偶然で、半分はキャラクタービジネスとしての可能性があると思ったからであり、半分は自分の好きな分野を盛り上げたかったから」だと述べている。そのプロレスを題材にしたオンライントレーディングカードゲーム『キング オブ プロレスリング』は、1回目のリーグ戦に2500人が参加。アナログの世界では実現が難しい数千人分の場所の確保や、地方在住者の来場も、オンラインであれば関係なく全国どこでも実現できると語った。そして、「購入はアナログで、対戦はオンラインでという形は、つぎのビジネスに広がる可能性がある。また同じタイプのものを出す可能性もあります」と今後の展開も覗かせた。

 スマートフォン業界に乗り出した『ブシモ』については、「とんでもなくリスクが大きいビジネス」と述べ、「開発費だけもかなりかかる。僕自身も参入は怖い」と珍しくやや不安げな様子。しかし、「参入は怖いが、エンタメの会社として参入しなかった場合の方がもっと怖い」と語り、腰を据えて向き合う姿勢を見せていた。今後のブシロードについては、“アナログのカードゲーム”、“購入はアナログ、対戦はネットワークのカードゲーム”、“ソーシャルのカードゲーム”の3本柱で展開していくとのこと。

■学生たちから寄せられた質問
――ブシロードを設立したとき、他社のブランドに対抗できる自信はあったのですか?
木谷 ありました。技術とノウハウは絶対自分たちの方が上なのに、負けているのが悔しかった。絶対に勝とうと思っていました。

――他社ブランドの欠点が見えていたのですか?
木谷 見えていました。ノウハウがあったら作るだろうマーケットを、他社は作っていなかった。それで彼らにノウハウがないと思ったんです。

――好機と思ったときに心がけていることは何ですか?
木谷 即断即決です。ここぞと言うときに、“張り”ますね。

――いままでの経験から得た教訓を教えてください。
木谷 在庫は悪です(苦笑)。

――木谷社長にとってTCG(トレーディングカードゲーム)とはなんですか?
木谷 働きがい、生きがいです。世の中にTCGというものがあってくれて、本当に感謝しています。子どもたちと、『ヴァンガード』で対戦できるのも本当に幸せですね。自分が作ったもので、家族といっしょに遊べるものってそう多くないですから。

――“萌え”と“ファイト”では、どちらが好きですか?
木谷 難しい質問ですね。僕は“ファイト”の方が好きなんですが、“萌え”ってすごいなと思います。日本から発信して、世界中にどんどん広がっている。アメリカでは受け入れられないと言われていましたが、そんなの関係なくどんどん広がっている。人間が皆“萌え”という感情を共有できたら、戦争なくなるんじゃないのかなと思っています。萌えにはやさしさがある。そういう意味で好きです。

――目標達成のために、社員に対して働きかけていることはなんですか?
木谷 いまの時代は“突破力”が大事です。前年1割増し、2割増しではなく、3割増し、5割増しくらいの大きな目標を持ってほしい。計画として1割増しを設定するのはいいけれど、目標は大きく持ってほしいですね。

――入社試験時に重宝されるスキルを教えてください。
木谷 コミュニケーション能力があるかどうかですね。TOEICの点数なども書いてあれば、当然見ます。そして一番大事なのは、突きぬけてくるものがあるかどうかの“オーラ”。やる気や自信や、いままでの経験が積み重なってきたものがオーラとしてにじみ出てくると思っています。

――南米や南アジア市場などに進出する予定はあるのですか?
木谷 プロレスは遠いので厳しいですが、カードは可能性があります。社内にスペイン語版をやりたがっている人がいるので、そのうちやるかもしれないですね。

――これから、どのように新規ユーザーを取り入れていくのでしょうか?
木谷 じつは、マーケットの拡大は5月で一度終わって、そこから横ばい状態になっているんです。そして世間に広げるには、新しいタイトルが一番いい。つぎに打ち出すのは、新しいタイトルをリリースするときです。

――音楽業界が厳しい中、響ミュージックを設立した理由を教えてください。
木谷 ヴァンガードやミルキィホームズを含めて、自社コンテンツが増えてきたのが理由ですね。オープンエンド(曲)がつくので、自社でやるものがあってもいいだろうという判断です。新日本プロレスの入場時の音楽も自分たちでやっていきたい。入場時、勝ったとき、負けたときに音楽をわけて、プロレスの中でも音楽コンテンツを拡大させてもいいと思っています。

――ヒットさせるのは、“売れる要素”と“クリエイターオリジナル要素”のどちらが重要だと思いますか? また、理想的なバランスの比率はどのようなものでしょうか?
木谷 過去の大ヒット作は、期待していなかったものがあたっている気がします。それに対して、ヒット作は売れる要素を集めたもの。『ヴァイスシュヴァルツ』は、自分が好きな要素はいっさい入れませんでした。好きな要素を入れたら売れないとわかっていたので、どうやったら売れるのかだけを考えました。いまはやりたいからやるというプロジェクトも混ざっていますが、そこから広がる可能性もあります。売るためにやるのか、やりたいからやるのか、というプロジェクトの位置づけは大事。そして売れる見込みがない、と思っているものが意外と大ヒットしたりするのは、じつは需要があったのに提供されていなかったからですよね。あと、もうひとつ、僕はクリエイターやものを作る人を総じて“アーティスト”だと思っているのですが、ユーザーがアーティストのどこを見ているのかと言うと、彼らの“生きざま”を見ていると思うんですね。だから生きざまが映し出されているものほど、大ヒットする可能性があるんじゃないのかと思っています。

――地域によって売れるコンテンツに違いがありますが、それは今後もずっと変わらず残ると思いますか?
木谷 残ると思います。地域によってそれぞれの好みがありますからね。アメリカでずっと続いているメジャーなカードゲームがあるんですが、日本ではあまり人気がなくマイナーです。どうしてかと言うと、アジア向けに作られたカードに、日本テイストと韓国テイスト、中国テイストが全部混ざっているからなんですね。日本のファンタジーが海外でなかなか売れない理由もここにつながります。日本から海外はごっちゃに見えているけれど、日本や韓国、中国がそれぞれ違うように、海外も北欧、西欧、南欧ともっと細かくわかれている。それぐらい違いがあるので、地域制に関することはこれからも残っていくと思います。

――普及の仕方次第では、トレカがワールドカップの盛り上がりを抜くことはあるんでしょうか?
木谷 参加する国の数だけだったら抜ける可能性はあります(笑)。『ヴァンガード』の世界大会は14ヵ国で開催され、アメリカだけでも6ヵ所で開催されました。

――日本が今後、世界のオタク業界、日本の業界を盛り上げていくことは可能ですか?
木谷 日本のオタクコンテンツは、いま世界で盛り上がっていると言われていますが、東南アジアに行くと思った以上に見かけないんですよ。クールジャパンとして日本政府が対外文化宣伝をしていますが、10億と言わずにもっと費用をかけて日本のコンテンツを外に出していくべきですね。テレビ枠を買い取ったり、日本チャンネルをどんどん流したり。また、日本はいま人口が減少していますが、日本人が減って産業も縮小、ではなく、海外にいる“日本語をしゃべれる人”をもっと増やせばいいと思います。日本は好きになってもらえる国だから、留学生をどんどん呼んで日本を好きになって帰ってもらう。国家目標として、日本語を4大言語目として世界に打ち上げるくらいの勢いがほしいですね。あと、現在海外でもがんばっている企業は、“現場力”(現場のスタッフがみずから問題を発見し、みずから解決する能力)があるところなんですね。シンガポール国立大学で面接をしたことがあるのですが、彼らは皆大学で“リーダー教育”(リーダーシップ、みずから発言することが大事という教育)を受けている。日本では調和や協調性が大事にされていますが、もっと“組織を動かす癖”というものを幼いころから教育でつけていかないと、言うことを聞くだけで、自分からは何もできない社員に育ってしまうと思います

――エンタメ業界に求められるスタンス、スキルを教えてください。
木谷 エンタメ業界に入りたいと言う人は、大抵“関わりたい”という理由がほとんどなんですよ。その会社にいるだけで幸せ、タイトルに関われるだけで幸せ、という。でも、それじゃだめなんです。ゼロから作れる人に対するリスペクトが日本では足りないですが、ゼロをイチにできる人は非常に貴重。また、いまは無理でも、成長や経験によってゼロをイチにできる可能性もあるので、そこは諦めないで自分を磨いてほしいです。

――ヅラでは?とネタにされたり、首輪に繋がれて退場したりといった演出が好きなので、これからも続けてください。
(会場が笑いに包まれる)
木谷 (笑)。ちなみに、経営者というのは、Mじゃないとやっていけないんですよ。打たれても打たれても向かっていくのは、Sの性格では厳しい。このピンチが楽しいかも! ここを脱出するのが楽しいかも! と思えるくらいでないと。自分の気持ちをどう奮い立たせるのかが大事です。……写真を見ると僕も「あ、これはヅラに見えるな」と思いますけど(笑)。

 学生たちからの質問に答えた後、木谷氏は今回の講演会のまとめを述べた。「会社の立ち上げと、コンテンツの立ち上げは似ています。ゼロをイチにして、スタッフを集めて売り上げて、そこから再投資して……。僕がそのことに気づき、自分でコンテンツを作れるなと自覚したのは38歳のときなんですよ。なので、若いうちから自分の可能性を諦めないでほしい。いまはだめでも、今後成長するかもしれない。素養も大事だけれど、経験で素養を磨くのも大事。僕もまだまだチャレンジするし、皆さんにもチャレンジしてほしいです。そして、いまの時代は歴史上始って以来の大成長時代。今後人口も、経済的に豊かになる人も、マーケットも増えていく。先行して豊かになった日本は逆に人口が減っていく難しい状態になっていますが、こんなおもしろい時代はない。なぜ、それをおもしろがって前向きに生きようとしないのか、と僕は疑問に思うんですね。日本でもチャレンジできる分野はまだたくさん残されていますし、海外に行けばマーケットは無限に広がっている。若い人ほどチャレンジしなければいけないのに、若い人ほど守りに入っていると思えてならない。そうではなく、若い人にはぜひ自分を成長させつつ、おもしろい人生を歩んでいただきたい。物事は考え方ひとつで決まる。前を向いているから、運も向いてくる。常に走る必要はなく、ときには休むことも大事です。でも、どんなときでも、前を向いていることが大事。そして、このおもしろい時代を、おもしろく生きてほしい」とエールを送った。

▲お土産にアメを配る木谷氏。
▲講演後、木谷氏(右から4人目)に聴講者が殺到。急きょ列を作っての挨拶会となった。
▲聴講者に配られたパンフレット。