黄金の夜明け団

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黄金の夜明け団
Hermetic Order of the Golden Dawn
黄金の夜明け団の薔薇十字徽章
略称 G.D.
前身 英国薔薇十字協会英語版
後継
設立 1887
解散 1903
種類 秘密結社
本部 ロンドン
所在地
首領
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黄金の夜明け団(おうごんのよあけだん、英語: Hermetic Order of the Golden Dawn)は、19世紀末のイギリスで創設された西洋魔術結社、儀式魔術を実践する秘密結社で、典型的な秘教主義教団である[1][2]。中流階級の男女による近代オカルティズムの小グループである[2][3]黄金の暁会とも訳され、G.D.と略名される。

概要[編集]

黄金の夜明け団(黄金の夜明けのヘルメス教団)は、19世紀末のイギリス、安価な印刷物の魔術書が世界中に出回るようになったヴィクトリア朝時代の1888年にロンドンに設立された、近代的な魔術結社で[2][3][4]、近現代の西洋魔術の思想信仰と実践に強い影響を与えた[5]

創設者のウィリアム・ロバート・ウッドマン英語版ウィリアム・ウィン・ウェストコットマグレガー・メイザース[注 1]の三人はフリーメイソンで、メイソン系の薔薇十字団体の英国薔薇十字協会英語版の会員であった。黄金の夜明け団の儀式は元々、亡くなった英国薔薇十字協会員の論文にあったフリーメーソンの五つの等級に基づいている[5]。ウェストコットはより完全なオカルト体系を作り上げるために、その資料を発展させるようメイザースに依頼した[5]。メイザースは新しい儀式体系の作成に取り組み、その基としてユダヤ教カバラ生命の樹を選び、その10のセフィロト英語版(または意識のレベル)を様々な儀式の等級の基礎として用いた[5]

同団は厳格な階級組織で[1]、組織の階層構造と通過儀礼はフリーメイソンの組織原則に基づいていた[3]。建前上、三つの団(オーダー)による階層構造をなしており、第一団の「黄金の夜明け」は一般団員用で秘教的な知識と自己の成長に焦点を当てており、第二団の「紅薔薇黄金十字」[注 2]は幹部団員専用でより高度な魔法の実践を探求し、第三団は世界を導くと信じられている神秘的な存在秘密の首領らが在籍する霊的団体とされた[4]。この三層の総称として黄金の夜明け団と呼ばれる。団員はフリーメイソンに限定されず、女性が男性と平等に実践に参加することを認め、補職と待遇に性差での区別を付けなかった。

当時の西洋は世俗化が進み、科学的な自然観が普及していった時代であり、メイザースら創設者たちは、新たな体系を一から作るのではなく、複数の伝統を(団員だった詩人のイェイツの言葉を借りれば)「綜合(synthesize)」し、近代的な魔術体系を作り上げ、自分たちの教義に正統性を与えようとした[2][4]。この過程をイェイツは「伝統の発明(the invention of tradition)」と呼んでいる[2]。19世紀半ばには、創設者たちが所属していたメイソン薔薇十字の中には、エジプト魔術や東洋哲学の要素が加わっており、黄金の夜明け団の教義は、カバラやフリーメイソン、薔薇十字、エジプト魔術、東洋哲学、グリモワール(魔術書)など秘教のそれぞれの伝統に依拠しながらも、それらを近代的な解釈のもとに綜合し、新たな象徴体系として構築するというものであった[2]。教義は秘教的な象徴主義に満ちており、カバラの思想を中心に、様々な要素が「綜合」され、独自の体系が形成されている[2]。体系には、タロットや占星術のような占いの儀式と、超自然的な存在との交信を目的とした儀式魔術が組み込まれた[4]。創設者たちは、これらの儀式の研究と実践を通じた、霊的・精神的な向上と魔術哲学のためのカリキュラムを構築しようとした[4]。「ケルト」を自称するメイザースが中心となり、カバラ錬金術占星術タロット(タロー)等の膨大な資料から体系をまとめ上げた[8]。このような綜合的な象徴体系の成立には、「魔術的および錬金術的伝統、タロー(タロット)解釈、それにほとんど知らないヘブル・カバラをロマン主義化した」フランスの魔術作家エリファス・レヴィの影響が強く見られる[2]。英国王立芸術大学のジェイムズ・マッケンは、同団の思想が最近生み出されたものである証拠として、明らかに近代的なシンクレティズムを持つことを特に挙げている[9]

教団自ら定義した目的は、自然魔術を通じて個人と異界との関わりを強化することで、それは初期の心理学に似た論理で機能した[10]。教団の思想は、実証主義科学、技術革新、そしてフェビアニズムなどの新しい政治運動の目的と部分的に合致している[10]。教団にとって魔術とは、普遍的な意志(universal will)に従って意識または物質的世界に変容を引き起こすための方法論を実践することだった[4]。歴史家のロナルド・ハットン英語版は、同団の魔術の「それぞれの作業の対象であり中心は今や魔術師その人であり、目的は、想像力を燃え立たせ、変性意識状態へのアクセスを提供し、意志力を強化し集中させることによって、彼又は彼女を精神的成熟と潜在能力に接近させることだった」と述べている[4]。団員は主に、自己の精神的成長の実現のための魔術哲学と伝統的な儀式の実践に関心を持っており、その目的には、ヴィクトリア朝時代に流行した自己啓発の教えが反映されている[4][10]

団員は写本や近代の印刷物を読んで魔術について学び、古代エジプトヘレニズム世界について考古学的発見で解明されたことも付け加えられた[3]口伝によって教義が伝承される昔ながらの魔術と異なり、教団での教義の伝達には、文書や書物などの文字メディアが使われた[2]。団員は文字メディアでの学習で知識を得るため、ある程度高い教育を受けている必要があった[2]。文字メディアの利用は、かつては小サークル中に閉じ込められていた魔術の知識を、教育を受けた中流階級に広く開くという面があった[2]。団員は儀式魔術を実践し、ルネッサンス様式の神秘的な錬金術やカバラ、占星術、タロット、ジオマンシー(土占い)に打ち込んだ[3][2]

研究者の浜野志保は、「魔術の伝統をそのまま継承するのではなく、いくつもの伝統の中から新たな伝統を発明したという点において、黄金の夜明け団の教義は、きわめて十九世紀的な『進歩と進化という概念を、綜合という形で具現化した』ものである。さらに、そのようなプロセスを経て生み出された教義の継承が、“中流階級”の拡張と共に勢力を伸ばした文字メディアを介して行われたという点にも、ヴィクトリア朝という時代の色が濃厚に現われる。」と指摘している[2]。近年の研究では、黄金の夜明け団のような「近代オカルティズム」は、「近代化」「脱魔術化英語版」の流れに逆らうものではなく、むしろそのプロセスの一部で、「脱魔術化」を含む近代精神の産物であるという見方が増えている[2]

教団は、17世紀初期ドイツに起こった薔薇十字団もその神話と儀式の拠り所としており、ウィスコットが用意した偽史と、彼に権威を与えるために捏造された、架空のドイツ人成就者(アデプト)からの一連の手紙によって正当性を主張した[8][11]

霊的・精神的で魔術的な啓蒙という創設目的にもかかわらず、教団は内部対立に悩まされた[4]。教団内での位階が高い者は皆強い独立心を持つ傾向があり、そのため必然的に、教団内では団員同士の対立が起こった[1]。団内の諍いの積み重ねと、教団がスキャンダルに巻き込まれ社会的面目を失ったこと等から分裂し、黄金の夜明け団という組織自体は終了した[12]

団員は主に中産階級で、俳優、芸術家、聖職者、医師、政治活動家、作家など様々な職業の人々がいた[10]。教団での実践の男女平等は、当時かなり進歩的な姿勢であったが、ヘレナ・P・ブラヴァツキー神智学からきており、初期団員の大部分は神智学協会の会員だった[10][4]。同団の団員の多くは男性だったが、「ニュー・ウーマン」と呼ばれる型破りな女性会員の比率が高く[8]、教団の勢いは主に、男女平等により集まった女性達の努力によるものだった[10]。また、多くの団員が、同団と心霊主義運動にまたがって活動していた[10]。団員数は数百人を超えることはなかったが、独自の象徴主義がロマン主義以降の空気と共鳴し、もしくは科学的な客観性を重視する世相に逆らい、アイルランド人の詩人イェイツ等の同時代の芸術家たちが惹きつけられた[2]

1896年までには、イングランドウェストン・スーパーメア区ブラッドフォード市スコットランドエディンバラフランスパリにも神殿(テンプル)が設立された[5]

団員や関係者が出版した魔術書は、現代に至るまで、西洋世界の多くの芸術家、音楽家、作家、映画製作者の想像力を刺激し[3]、後続団体が儀礼と教えを公に出版したことで、主にアメリカで後継者を名乗る多くの団体が創設された[13]

心霊主義は文化史的な視点からの研究が急速に充実しつつあるが、それに比べ黄金の夜明け団に関する学術研究はそれほど多くない[2]。近年での重要な研究としては、アレックス・オーウェン(Alex Owen)『The Place of Enchantment: British Occultism and the Culture of the Modern』(2004年)や、アリソン・バトラー(Alison Butler)『Victorian Occultism and the Making of Modern Magic: Invoking Tradition』(2011年)がある[2]

その名はむしろ学術研究の外で人気が高く。占い好きには、アーサー・エドワード・ウェイトの「ライダー・タロット」やアレイスター・クロウリーの「トート・タロット」等のタロット・カード通して、ヘヴィ・メタルのファンには、オジー・オズボーンの名曲「ミスター・クロウリー」(アルバム『ブリザード・オブ・オズ―血塗られた英雄伝説』〔1980〕に収録)を通して知られている[2]

日本では1992年-1993年に『黄金の夜明け魔法大系』(国書刊行会、全6巻)が刊行され、イスラエル・リガルディ『黄金の夜明け魔術全書』などの基本文献が邦訳されている[2]

誕生までの経緯[編集]

黄金の夜明け団の創設は、フリーメイソン系の神秘主義サロンである英国薔薇十字協会英語版[注 3]の会員ウィリアム・ウィン・ウェストコットが、1887年8月に牧師のA・F・A・ウッドフォード英語版を通して譲り受けた古書類の中から60枚の暗号文書を発見して興味を覚えたことから始まるとされる。それは筆者不明の魔術結社設立に向けた原案メモであり、『ポリグラフィア英語版』に由来する換字式暗号で綴られていたという[18]。ウェストコットが解読すると、魔術教団(Order)の階級儀式と、ヘルメス主義的カバラ英語版、占星術、オカルト・タロット、ジオマンシー、錬金術を含むカリキュラムの概要が記されていたという[4]。「カバラにおける『生命の樹』とタロットとの関係」が書かれており、この文章が黄金の夜明け団の設立の契機、思想実践のベースとなったと言われている[2]。(生命の樹とタロットの関係に最初に言及したのはレヴィである[2]。)

ウェストコットは教団設立の正当性を主張するために、次のように話を作った。同年9月に全文の復号に成功した彼は、文書の中にドイツ在住のアンナ・シュプレンゲルという人物の住所を見つけ、同時に返信を望んでいる一文も確認したという。シュプレンゲルと書簡連絡を取るようになったウェストコットは、彼女を伝説の薔薇十字団の教義を継承する偉大な魔術師であると認め、秘密の首領と仰ぐようになった。かねてより独自のオカルト団体を作りたいと考えていたウェストコットは、シュプレンゲルとの手紙のやり取りの中でその意志を伝えると、彼女が所属するというドイツの薔薇十字系魔術結社 Die goldene Dämmerung (黄金の夜明け)が公認する支部設立の許可を受け取ることになり、同時にその教義は暗号文書の記載内容に則ったものと定められた。ウェストコットはこの秘密の首領のお墨付きを元に、友人マグレガー・メイザースと英国薔薇十字協会の会長であった年長者ウィリアム・ロバート・ウッドマン英語版を共同創立者にして、1888年3月1日に神殿(テンプル)[注 4]と称する魔術結社の運営施設をロンドンに開いた。

これが黄金の夜明け団の発足であり、ドイツ薔薇十字団の流れを汲むものとされた。この創立譚はあくまで神話である。暗号文章の由来と信憑性には当時から疑いの目が向けられており[10]、ジェイムズ・マッケンは、中世の薔薇十字団と秘密の首領たちによる暗号写本が教団の輝かしいルーツであるという話には、「そこには一片の真実もなかった」と断言している[9]。前述の暗号文書はウェストコットの偽造ではないと考えられているが、現代の研究者は入手経路に関するウェストコットの主張を額面通り受けとっていない[22]。古書ディーラーで魔術・秘教組織の歴史の権威ロバート・ギルバートによると、この暗号文書は、ウェストコットの仲間でフリーメイソン的薔薇十字思想家のケネス・マッケンジー英語版が書いた文章の中にあったもので、儀式の概要が暗号文で書かれていた[11]。暗号は簡単に解読できたため、ウェストコットはウッドマンとメイザースの助けを得て、この概要を基に実際に行える儀式の形に発展させた[11]

「アンナ・シュプレンゲル」は架空のドイツ人成就者(アデプト)で、文通はウェストコットを権威付けるための捏造、おそらく彼自身によるものであろうと考えられている[23][17][11]

ウェストコットが運営面を担当し、メイザースは教義面を担当した。冒頭の英国薔薇十字協会の会長でもあるウッドマンは権威付けのための名義貸しのようなものであった。この三人は同時にアデプトとなり団体の首領 (ruling chief) となった。英国薔薇十字協会はキリスト教神学の一種であるキリスト教秘儀派英語版のサロンであり、在籍者はフリーメイソンに限られていた。黄金の夜明け団は事実上その分派であったが、一般人でも入団できたことから組織的な繋がりはなく、また教義上の系譜も否定された。

神殿の開設[編集]

フロレンス・ファー
ミナ・ベルクソン
モイナ・メイザース
アニー・ホーニマン
モード・ゴン
パメラ・コールマン・スミス
コンスタンス・メアリー・ロイド

1888年3月1日に最初の運営施設となる「イシス・ウラニア神殿」が英国ロンドンに開かれた。続けて年内にサマセット州ウェストン・スーパーメア区に「オシリス神殿」が、ウェストヨークシャー州ブラッドフォード市にも「ホルス神殿」が開設された。さらに主要団員のジョン・ウィリアム・ブロディ=イネス英語版がスコットランドのエディンバラに「アメンラー神殿」を設立した。1892年にメイザースはロンドンを離れてフランスのパリに移住し、そこで「アハトル神殿」を立ち上げた。またアメリカからの参入者も増えたので[要出典]、1900年までに「トートヘルメス神殿」など複数の支部がアメリカに設置された[24]。こちらでは物好きな米国人のための[25]位階売買が行なわれてメイザースの収入源になっていたという[26]

フリーメイソン限定であった英国薔薇十字協会と異なり、ウェストコットの意向で黄金の夜明け団は一般人にも門戸が開かれていた。また、メイザースは、女性の権利の活動家・社会活動家で、神智学協会ロンドンロッジの会長だったアンナ・キングスフォード[注 5]と彼女のパートナーのエドワード・メイトランド英語版の影響を受け、教団内の立場の男女平等を強硬に主張、ウェストコットは反対したが、メイザースが参加を拒否したため受け入れた[12][10]。メイソン系とは一線を画して団内は男女平等となり、また補職と待遇に性差での区別を付けなかった。

団員は主に紹介と推薦やメイソン系機関紙上の広告によって集められ、また大英博物館周辺などでこれはと思った人物を勧誘することもあった。その際はフリーメイソンと英国薔薇十字協会のブランドが利用され、さらに興味を引いた人間には薔薇十字団の名も持ち出された。こうして設立から2年の間に文化人、知識人、中産階級を中心にして100名以上が加入した。

隆盛そして軋轢[編集]

1890年秋の時点で黄金の夜明け団には、ヴィクトリア朝社会の様々な階層から参加した100名以上のメンバーが在籍していた。並みいる団員の中には、女優・演出家のフロレンス・ファー英語版アイルランド独立運動の闘士で女優のモード・ゴン英語版[注 6]、詩人でアイルランド演劇運動を主導したウィリアム・バトラー・イェイツ(のちノーベル文学賞受賞)、小説家のアーサー・マッケンアルジャノン・ブラックウッド、詩人ウィリアム・シャープケルト復興運動英語版の覆面作家フィオナ・マクラウド)、物理学者ウィリアム・クルックスオスカー・ワイルド夫人のコンスタンス英語版といった当時の著名な文化人、知識人が短期間の在籍を含めて名を連ねていた。隠秘学方面の人物としては著述家のアーサー・エドワード・ウェイト、魔術師アレイスター・クロウリーウェイト版タロットを描いた画家パメラ・コールマン・スミスなどがいた。1897年の年末までに、331人の男女(男女比はおよそ3:2)が加入儀礼を受けたが、うち25%は退団した[28]

1891年、ウェストコットは秘密の首領であるシュプレンゲルからの連絡が途絶えたと公表し、団体運営は新たな節目を迎えた。これはより自由なスタイルで今後の教義と活動の幅を広げようとする意思表示でもあった。同年末に高齢の首領ウッドマンが死去した。

メイザースは教団のための儀式を作る仕事に取りかかり、ジョン・ディーエドワード・ケリーエノキアン魔術英語版を作り直した[12]。妻のモイナ英語版(フランスの哲学者アンリ・ベルクソンの妹のミナ・ベルクソン[8])には超能力があったと言われ、2人はチームとして協力し、彼女は透視を行い、内なる霊と交信した[12]

メイザースは妻のモイナを通じて知り合った資産家アニー・ホーニマン英語版の助けでホーニマン博物館英語版で仕事を得ていたが、議論好きが災いして職を失い、1892年に貧乏からロンドンを離れてパリで生活することを余儀なくされ、ホーニマンの財政支援に頼って暮らした[12]。パリで新たな秘密の首領との接触に成功したと発表。ウェストコットは驚いたようで、この辺から団内のぎくしゃくが始まったと見られている。ウェストコットは対立を避けてこれに同調し、以後の教義はメイザースが全面的に作成することになった。メイザースは1894年にパリにロッジを設立[12]。エジプトの宗教を復活させることに熱心で、彼とモイナはイシスの儀式とエジプトのミサを行い、収入を得るためにそれを劇場で上演することもあった[12]。ホーニマンはメイザースが教団以外の活動に時間を割くことに不満を抱き、1896年に財政支援を取りやめた[12]。彼は、秘密の首領のみが属する第三団に自分が入門したと宣言し、すべての団員に完全な忠誠を要求、ホーニマンが拒否すると、報復に彼女を教団から追放[12]。この傲慢な行いに、教団内には不満がくすぶるようになる[29]

1897年頃にウェストコットは、突然首領職を辞して団体運営から手を引いた。これには諸説あるが、ロンドン警察の検死官が本職であるウェストコットは、団員の誰かが辻馬車内に置き忘れた団内文書から勤務先の当局に魔術結社との繋がりを知られてしまい、職業倫理上の規定に従わざるを得なかったためという話が有力視されている。こうしてパリ在住のメイザースが唯一の首領になった。メイザースはロンドンのイシス・ウラニア神殿の運営をフロレンス・ファーにまかせてイギリス側の代表とする新体制を発足させたが、ファーをはじめとするロンドンの団員たちは、メイザースの日頃の言動と頻繁な会議欠席に不満を募らせて、彼のリーダーシップに疑問を抱くようになっていった。パリのメイザースとロンドンの団員たちの関係は悪化した[30]

1899年、イシス・ウラニア神殿は、同性愛スキャンダルで悪名高く、団内の不評を買っていたクロウリーのアデプト昇格を拒否し、これに反発したクロウリーがパリにいる首領メイザースを頼ったことで新たな波乱が巻き起こった。1900年1月16日にメイザースは自身に反抗的なロンドン側への当てつけも兼ねて、パリのアハトル神殿でクロウリーをアデプトに昇格させた。ロンドンに帰還したクロウリーは、ファーたちにメイザースの昇格決定に従うよう要求したが、ファーは断固拒絶し問題が収束するまでのイシス・ウラニア神殿の閉鎖とイギリス代表辞任の意思を表明した。対立が続く中でパリのメイザースは、ファーたちの背後でウェストコットが糸を引いていると疑心暗鬼に駆られるようになり、彼の信用を落とせばロンドン側を切り崩せると考えて、2月16日付けの返信内で秘密の首領シュプレンゲルの書簡はウェストコットの捏造であったと唐突に暴露した。これによって団内全体が紛糾することになった。ファーたちはウェストコットの回答も得た上で事態収拾の会合を繰り返し開き、3月3日にメイザースに対して捏造とする証拠の提示を求めた。この予想外の反応に困惑したメイザースは拒否という態度を取った。調停は決裂し、3月23日にパリのメイザースはファーの解任指示を出したが、逆に29日のロンドンの会議で首領メイザースの追放が決定された。

翌4月にメイザースは教団の支配権回復のために、クロウリーをロンドンに送り込んだ[30]。イシス・ウラニア神殿の保管庫にある重要文書と儀式道具をクロウリーに盗ませ、運営不能にするという強硬手段に出たが、建物に押し入ったところで警察に通報されて失敗した(保管庫の所在地からブライスロードの戦いと呼ばれた)。クロウリーに対抗するためにウィリアム・バトラー・イェイツが教団運営に関わるようになり、彼は再度の侵入を警戒して建物に立てこもり、チャールズ・ラッセルに弁護を依頼し、クロウリーを告訴し勝訴した[30]。クロウリーは1900年に短期間で教団を追放された[30][1]

分裂[編集]

ブライスロードの事件で黄金の夜明け団の確執と亀裂は修復不可能になった。ファーたちはメイザースを支持するエドワード・ウィリアム・ベリッジ英語版一派の除名も決定し、追い出されたベリッジらはロンドンの別住所に同名の神殿を開設したのでイシス・ウラニア神殿は二つに分裂した。この内紛を傍観していたホルス神殿とオシリス神殿はそのままメイザースの下に残ったが、双方ともメンバーは少数であった。ジョン・ウィリアム・ブロディ=イネス英語版運営のアメン・ラー神殿はファーたちに合流した。アメリカにある複数の神殿はメイザースとのコネクションを維持した。こうして1900年4月の時点で黄金の夜明け団は、メイザース派とファー派に二分されることになった。

ファーは教団内に自身のグループ(スフィア・グループ)を作り、教団の規律を緩めるよう求め、教団内でのグループ活動を容認するよう迫り、一方復帰したアニー・ホーニマンは厳格な規律と位階制度を堅持しようとし二人は対立、この諍いは教団内の権力争いに発展し、その調停のために、二人と親しいウィリアム・バトラー・イェイツが代表に就いた[31]。イェイツにとって、ファーは古い友人で、彼が主導するアイルランド演劇英語版運動の仲間であり、一方ホーニマンには、次の劇場の支援者としてひそかに期待を寄せているという、複雑で微妙な関係性だったが、イェイツはホーニマンを支持[31]。しかし、ファーは評議会で多数を占めて権力争いに勝利し、イェイツは1901年に評議会を辞任、教団運営から手を引いた[31]

トラブルは続き、ホロス夫妻英語版を名乗る怪しいアメリカ人が教団に入り込んだ[31]。彼らは偽霊媒師のオカルト詐欺師で、メイザースと関係を築き、彼を騙して悪用のために儀式の資料を入手、独自のオカルト団体を設立した[12][32]。1901年12月に、入団の儀式で16歳の少女をレイプした罪で彼らは告訴された[31]。マスコミはこの事件を、黄金の夜明け団の名称と共にスキャンダラスに報道し、教団の名は汚名にまみれた[31]。また、共に我の強いクロウリーとメイザースは仲違いしており、クロウリーはその復讐として、黄金の夜明け団の秘密文書(メイザースによる大英図書館所蔵の17世紀の魔道書の翻訳)を勝手に出版し、メイザースはこれを阻止するためにロンドンで彼を訴えたが、1910年に敗訴した[12][3]。この騒動はすでに亀裂の入っていた教団への最後の打撃となり、黄金の夜明け団はいくつかのグループに分裂した[12]

ファーを始めとする退団者が続出し、社会的体面を重んじるファー派は「暁の星英語版」を作り、ブロディ=イネスとロバート・ウィリアム・フェルキン英語版が代表になった。ブロディ=イネスはエディンバラにあるアメン・ラー神殿を運営し、フェルキンはロンドンのイシス・ウラニア神殿を運営した。ホーニマンもこの頃に退団した。1903年になると儀式魔術の異教的様式を嫌悪していたアーサー・エドワード・ウェイトがイシス・ウラニア神殿内で派閥工作を始めた。自分たちを独立修正儀礼会と称したウェイトは同神殿の重鎮らの支持を得た上でフェルキンたちに活動内容の修正を求めた。この対立は結局、従来の儀式魔術を指向するフェルキンたち多数派の方が新しく用意された物件に移ることで折り合いが付き、その新施設はアマウン神殿と名付けられて「暁の星」の本部になった。こうしてイシス・ウラニア神殿を掌握したものの権威不足を自覚するウェイトは、パリのメイザースと連絡を取った上で表向き彼への忠誠を誓い、その公認団体とする同意を取り付けて「聖黄金の夜明け」と名乗るようになった。メイザースは公認のみで教義上の関与はしなかった。メイザースの信奉者たちは、彼の新しい教団「A∴O∴英語版に参加した[12]。同じ頃、フェルキンの活動方針に不満を覚えるようになったブロディ=イネスは「暁の星」を離れてメイザースと和解し、1907年にアメン・ラー神殿とともに「A∴O∴」へ合流した。残された「暁の星」はフェルキンの下で数々の混乱を経ながら続いた。メイザースは引退して表舞台から姿を消し、その晩年についてはほとんど知られていない[12]

以上の経緯により、黄金の夜明け団は「A∴O∴英語版」「暁の星英語版」「聖黄金の夜明け」といった三つの団体に分裂して[33]、その教義は様々な形で受け継がれながらも黄金の夜明け団は終了した。一方で、分裂の一因ともなったアレイスター・クロウリーは、1907年に「銀の星」を結成した。後年、クロウリーは不当な理由でメイザースを批判している[12]。クロウリーが無許可で出版した同団の魔術書は、ジェラルド・ガードナーに影響を与え、彼がウィッカ(魔女宗)の根拠とした偽の古文書『影の書』は、メイザースの『ソロモンの鍵』とクロウリーの儀式の両方から内容を借用していることがわかっている[3]

分派団体のその後[編集]

暁の星

1903年からアマウン神殿を率いる立場になったフェルキンは、その活動方針を黄金の夜明け団の源流であるドイツの薔薇十字系魔術結社に求めるべきと考え、自分たちを導いてくれる「秘密の首領」探しに没頭した。しかしこれは完全な迷走につながり、星幽体投射で探し当てた霊的首領の教えは団内を却って混乱させ、またドイツ探訪時にルドルフ・シュタイナーを秘密の首領と誤認し、彼の人智学が持ち込まれ、これは団内を更に紛糾させた。1912年にフェルキンはニュージーランドへ移住し、現地で「エメラルドの海」神殿を開設すると、混迷するアマウン神殿を残したままイギリスを離れた。フェルキンは1916年に第一次世界大戦下のロンドンに一時帰還してアマウン神殿の内紛状態を確認し、ブリストル市に「ヘルメス・ロッジ」を設立した。彼は過去の反省からアマウン神殿と同じ轍を踏むのを避けるべく、ロンドンから離れた地に黄金の夜明け団の遺産を残すための組織(ロッジ)を置いた。フェルキンの願い通り、ヘルメス・ロッジのメンバーは1930年代半ばまで安定した運営を続け、アレイスター・クロウリーの秘書だった若いアメリカ人イスラエル・リガルディー[5]の加入で、教団の生き残りは確実なものになった。エメラルドの海神殿は現地に永住したフェルキン家族らによって、こちらでも黄金の夜明け団の遺産を守りつつ1970年代まで存続していた。アマウン神殿は1919年に一時閉鎖状態に陥り、1939年の第二次世界大戦勃発前後に自然消滅した。第一次世界大戦後の社会混乱と世界恐慌に見舞われた大戦間期を通して黄金の夜明け魔術は廃れつつあり、1934年にリガルディーが参入したヘルメス・ロッジでもすでに熱心さは失われていた。ロッジ消滅と共に貴重な知識までもが失われるのを危惧したリガルディーは、黄金の夜明け団の遺産を後世に残すべく、独断で持ち出した多数の団内文書を、1938年から書籍にまとめて公開出版した。しかし、第二次世界大戦が迫る当時、そこまで注目を集めなかった。彼の著作は再版を繰り返して広く普及し、主にアメリカで新たな組織が数多く創設された[13]。これらは当初の黄金の夜明け団の名ばかりの後継者であるが、儀礼を守り、西洋秘教主義の様々な側面を広めた[13]

A∴O∴

A∴O∴はパリに在るメイザースの指導下で安定した運営が行われていた。英国薔薇十字協会員が構成していたホルスとオシリス両神殿は古巣の方に移行したので、1911年時にはパリ、ロンドン、エディンバラと在アメリカ三神殿を合わせた計六神殿を束ねていた。第一次世界大戦が始まった1914年からロンドンの活動が確認されなくなり、ベリッジに代わってブロディ=イネスがイギリス側代表になった。1918年にメイザースは逝去し、妻モイナが彼の遺産であるA∴O∴を受け継いだ。翌1919年にロンドンに移ったモイナはそこで本部神殿を改めて開設し、エディンバラのブロディ=イネスの協力を得てA∴O∴の運営に従事した。同年からアメリカで更に三神殿が設立された。1928年にモイナは逝去し、女性のアデプトに後事が託されている。A∴O∴では徹底した秘密主義が取られていたので、1900年春の分裂後も変わらずメイザースが編み出し続けていたはずの魔術教義はほとんど後世に伝えられていない。1919年頃に参入し短期間で独立したヴァイオレット・ファース(のちにダイアン・フォーチュンとして知られる)とP・F・ケース英語版の双方を通してうかがえるものだけである。1939年の第二次世界大戦勃発後、A∴O∴はその役目を終えるようにして閉鎖され、無数の教義が記された団内文書も「秘密の首領」に捧げる形で全て焼却された。

聖黄金の夜明け

ウェイトは知識の宝庫としての黄金の夜明け団は評価しながらも儀式魔術の異教的様式を嫌悪しており、英国淑女紳士に適したキリスト教神秘主義様式に修正するべきだと考えていた。しかし同団は元々英国薔薇十字協会の方でキリスト教神秘主義を手掛けていたメイソンたちが、異教的活動も嗜みたいと開いた魔術結社だったので、それは本末転倒であった。1903年時のイシス・ウラニア神殿はフェルキンとM・W・ブラックデンの共同運営で、前者は教義面を担当し後者は神殿施設の所有権を含む事務面を担当していた。ウェイトの支持者は少数派だったが、肝心のブラックデンがウェイト側に回ったので形勢逆転し、同神殿はウェイトが望む常識的な神秘主義研鑽団体になった。同時に従来の儀式魔術支持者はアマウン神殿の方に移った。しかしウェイトが考案した神秘主義儀礼はやがて不評を買い始め、1914年になると元の儀式魔術を懐かしむ者たちとの間で団内は分裂した。ウェイトは自身の支持者を連れて「薔薇十字友愛会」という新たな団体を立ち上げた。残された者たちは「暁の星」に戻り、その事情を知ったフェルキンの計らいで1916年に設立された「マーリン・ロッジ」に所属して1920年代まで活動した。薔薇十字友愛会はウェイトの下で安定運営され数々の知識人文化人が参入している。第二次世界大戦下の1942年のウェイト逝去と共に解散した。

教義概要[編集]

タロット

ダイアン・フォーチュンによる次の定義が、教団の定義を的確に述べている[11]

人類一般には知られていない秘密の智恵を学び、試験と儀礼が行われる加入儀式という手段により入会が許可される[11] — フォーチュン

黄金の夜明け団の教義は、古今東西の隠秘学知識の綜合体とも言うべきものある。ユダヤの秘教哲学であるカバラを中心にして、エノク語エジプト神話学グリモワール古典元素タロット占星術ジオマンシー錬金術、薔薇十字伝説、近代神智学系の思想、タットワを含むインド密教などあらゆる知識が習合されていた。なお、彼ら英国人にとって最も身近な隠秘学であるはずのキリスト教神秘主義は、創設者たちがメイソン系団体の方で手掛けていた事情からあえて避けられており、これは同時に一つの方向性を示す事にもなった。カバラに内包される生命の樹が団内の聖典的な象徴図表とされ、上述の各分野から引用される多種多様な知識は生命の樹の各要素に対照させる形で分類され整理された。その中にはこじつけ的な照応も散見されるが、あらゆる隠秘学および神秘思想分野から蒐集された知識群の比較的高度な体系化が黄金の夜明け団教義の最大の特徴であった。また「埋蔵金発掘や個人的な復讐など俗世の欲に基づく低俗な目的で魔術は使わない」「魔術師は常に知識や技術を習得する事での全能感、己の心と戦い続けながら清廉に生きるべし」という規律を掲げていた。

上述の知識群は、創設者をはじめとするアデプトたちが言わば自由研究的に持ち寄って考察を加えた後に、団体の方向性に沿う形で再解釈され、必要に応じて団内のカリキュラムに組み込まれた。魔術の研鑽に必要とされる様々な知識は、アデプトによってテキスト化されて秘儀参入者たちが学んだ。団内ではアデプト一人一人の独自研究が奨励されており、それぞれの研究成果は「飛翔する巻物」と題された団内文書の各巻に編集されてアデプトたちの間で相互に閲覧された。この自由な知識探究の気風は団内の教義を発展させる原動力となったが、他方で迷走の一因にもなった。団内ではマグレガー・メイザース考案の教義が最も大きな影響力を持っており、極端に言えば黄金の夜明け魔術とはメイザース思想の体現物と言えた。中でもエノク語を土台にしたエノキアン魔術英語版は彼の奥義と言えるものであり、5枚のタブレットに記された合計644の区画からなるエノク文字図表は、前述の生命の樹をも包括した更に高度な万物照応による知識の体系化を実現していた。後にメイザースから離反した団体の者でさえ彼の考案物には一目置き、またある者は彼のブランドを積極的に利用した。

秘儀参入者たちは団内で得た知識を口外せぬよう誓約していたのでその教義内容が公にされることはなかった。しかし第一次世界大戦後の混乱と世界恐慌に見舞われた大戦間期の社会情勢の中で魔術結社の活動も下火になり、それらの解散に伴う知識そのものの喪失を危惧したイスラエル・リガルディーが団内文書を書籍にまとめて公開出版するという手段に踏み切ったことで、黄金の夜明け団教義の大部分が一般に入手できるようになった。なお、リガルディーは1969年に、自宅を魔術マニアに荒らされ数々の貴重なコレクションを盗まれている[34]

錬金術三原質 四元素 性質 占星術 四大精霊 方位 大天使 シンボル
硫黄
(形相・不揮発性原質)

(不可視・微細で精妙な状態)
熱+乾 白羊宮
獅子宮
人馬宮
サラマンダー ミカエル 🜂

(可視的・固体的状態)
冷+乾 金牛宮
処女宮
磨羯宮
ノーム ウリエル 🜃
水銀
(質料・揮発性原質)

(不可視・気体的状態)
熱+湿 双児宮
天秤宮
宝瓶宮
シルフ ラファエル 🜁

(可視的・液体的状態)
冷+湿 巨蟹宮
天蝎宮
双魚宮
ウンディーネ 西 ガブリエル 🜄

(運動・媒介)
第五元素
(エーテル)

実践内容[編集]

スクライング

当時人気のあったヘレナ・P・ブラヴァツキー神智学協会との大きな違いは、メイザースが魔術師として、会員に絶えず実験やデモンストレーション(体験)の機会とその方法を与えたことである[35]。それぞれの等級に結び付いた儀式は、独創的な言葉と秘教的で宗教的な象徴を幅広く組み合わせ、志願者に効果的に強い心理的・霊的なショックを与え、西洋秘教主義の本質を首尾よく植え付けるよう設計されていた[28]

黄金の夜明け団は儀式魔術を眼目にした団体であり、上述の教義知識はそのセレモニー(魔術儀式)の中で活用された。儀式魔術とは、舞台となる密室の設置から室内に細かく配置する大道具小道具の取り揃えおよび参加者それぞれの衣装と台詞と動作の一つ一つに特定の知識を伴うという特別な演劇を媒体にした秘教哲学の体現化芸術であった。儀式魔術の実践は団員の連帯感を高めると同時に、参加者たちの感性と知覚能力に一定の影響を及ぼすと信じられており定期的に履行された。またゆっくり一つ一つ「段差」なく魔術を理解できるように、世界の統一された真理の解明を進めており、自らの手で必要だと感じた奇跡の起こし方を調達するために、精巧なボードゲームを参考にして、永遠に終わりの見えない「工作キット」の開発を目指していた。

また、アストラル投射と称される夢見技法も持てはやされていた。黄金の夜明け団はこの夢見技法をマニュアル化しており、かなりの個人差はあったが、それなりの確率で白昼夢の世界に入り込むことができたようである。アストラル投射の手順とは、特定の象徴物を凝視しながら意識を集中し、自分自身がその象徴の中に入り込むように想像力を強く働かせるというものであった。熟達するにつれて始めはむりやり想像していたイメージの実感が徐々に明確になり、ついには立体化した想像空間が意識の集中を離れて自動的に脳内で織りなされるようになる。それがアストラル旅行の出発点となった。スクライング(水晶占い)との違いは、より能動的に幻視された世界を動き回れることである。凝視する象徴物の組み合わせを変えることで、アストラル旅行の内容も様々に変化するという奥深さが多くのアデプトを虜にした。前述の生命の樹を中心にした象徴照応教義はこの時に最大活用された。ただし情緒不安定を誘引するという副作用も指摘されており、多用は戒められていた。

魔術儀式[編集]

インペレーターからセンティネルまでの10人が役割を決めて、それに準じた装束や象徴武器で身を固め、特定の順序で呪文や動作をこなしていく。カバラを下地にして、エジプト神話ギリシャ神話、タロット、エノクなどを組み合わせ、共通する神の記号や光の象徴を抽出して本質に迫る術式群を備えている。探索者がクリスチャン=ローゼンクロイツの墓所を発見するエピソードにちなんだ儀式が代表格である。蒸気機関などの自然科学が席巻する時代に生まれたこともあり、聖書の記述を鵜呑みにせず、聖書発生以前の古代宗教の変遷を紐解く試みも行い、母体のヘルメス学の影響から、地中海を挟んだ最も身近な異界であるアフリカ大陸に残るエジプト神話に特に着目し、儀式にはエジプト神話の神々の恰好をしていた。

クラス 役職名 原語 意味 対応神 元素 必要階級
三首領 インペレーター Imperator 司令官 ネフティス 6°=5
プレモンストレーター Praemonstrator 指導者 イシス 7°=4
カンセラリウス cancellarius 書記 トート 5°=6
主要司官 ハイエロファント Hierophant 司教 オシリス 5°=6
ハイエルース Hiereus 司祭 ホルス 4°=7
ヘゲモン hegemon ガイド マアト 3°=8
準司官 ケルックス Kerux ヘラルド アヌビス 2°=9
ストリステス Stolistes 準備 ムト 1°=10
ダドゥコス Daduchos 松明 ネイト 1°=10
センティネル sentinel 番兵 西アヌビス 0°=0

シンボル[編集]

黄金の夜明け団の儀式中に胸に装着されたデザインは、薔薇十字団カバラ、メイザースによって教えられた色の象徴に基づいた紅い薔薇と黄金の十字架である。薔薇の22枚の花弁はそれぞれ異なる色で、ヘブライ文字の22文字の三母字、七複字、十二単字を表している。そして22本の小径にも対応している。薔薇の花弁の中央にはと霊的な復活を象徴する聖十字架がある。薔薇は十字架の上にあり、熟練者が心の中で金に変身しなければならない要素を象徴している。また五芒星四元素に加えて本質を表している。

団員の位階[編集]

セフィロトの樹

教団の統括方法、加入儀式の等級体系は、ウェストコットが事務局長を務めていたフリーメイソン的な薔薇十字の団体英国薔薇十字協会英語版のものに依拠している[11]

等級の最下位に「新参者(ニオファイト)」位階を新設し、最上位に「イプシシムス[注 7]」を追加した。黄金の夜明け団の初位階である「新参者」とその上の4位階は暗号文書に依拠していたが、その4位階の名称は18世紀ドイツの黄金薔薇十字団(: Gold- und Rosenkreuzer)のそれと一致していた[36]。英国薔薇十字協会の位階制度も黄金薔薇十字団の模倣であった[37]。魔術結社風のアレンジとして各位階を生命の樹の10のセフィラと22個の小径に対応させ、上昇=下降のペア階段値を付け加えた。「新参者」位階は生命の樹の枠外とした。入団者は「新参者」を出発点とし、それぞれの段階の昇格試験をクリアすることで上の位階へと進んだ。この黄金の夜明け団の位階制度は、後継魔術団体の手本とされて現代に到るまで踏襲され続けている。

11の位階は第一団(外陣)、第二団(内陣)、第三団の三層に分割されており、それぞれ別グループに扱われて個別の団名を持った。黄金の夜明け団は建前上この三層構成とされた。外陣は一般団員用で、火・空気・水・土の四元素を学ぶ。ポータルは外陣と内陣の橋渡し段階であり、アデプト(達人)になる前の準備期間とされた。内陣に進むと晴れてアデプトとして認められた。内陣は幹部団員専用であった。当初は肉体を持ったままの魔術師が到達できるのは「小達人(アデプタス・マイナー)」位階までとされていた。第二の位階に進んだものは約4割で、次の段階は非常にきつく、アデプタス・マイナーより先に進むものはごくわずかだった[1]。第二の位階の会員は皆強い独立心を持つ傾向があり、必然的に組織内の対立を生じることとなった[1]

「被免達人(アデプタス・イグゼンプタス)」は創立者専用の名誉位階として用いられることが多い。第三団はほとんど架空の存在であった。

位階 セフィラ 意味 大天使 四元素
慣用 和訳 原語 数字記号
第一団
「黄金の夜明け」
(外陣)
ニオファイト 新参者 Neophyte 0°=0
ジェレーター 熱心者 Zelator 1°=10 マルクト 王国 サンダルフォン
セオリカス 理論者 Theoricus 2°=9 イェソド 基礎 ガブリエル
プラクティカス 実践者 Practicus 3°=8 ホド 栄光 ラファエル
フィロソファス 哲学者 Philosophus 4°=7 ネツァク 勝利 ハニエル
ポータル 予備門 Portal
第二団
「紅薔薇黄金十字」
(内陣)
アデプタス・マイナー 小達人 Adeptus Minor 5°=6 ティファレト ミカエル
アデプタス・メイジャー 大達人 Adeptus Major 6°=5 ゲブラー 峻厳 カマエル
アデプタス・イグゼンプタス 被免達人 Adeptus Exemptus 7°=4 ケセド 慈悲 ザドキエル
第三団
(秘密の首領たち)
マジスター・テンプリ 神殿の首領 Magister Templi 8°=3 ビナー 理解 ザフキエル
メイガス 魔術師 Magus 9°=2 コクマー 知恵 ラジエル
イプシシマス Ipsissimus 10°=1 ケテル 王冠 メタトロン
ヘブライ文字 小径 タロット 西洋
占星術
色階
文字 名称 分類 大アルカナ
א aleph アレフ 三母字 ケテル-コクマー 愚者 黄色
ב bet ベート 七複字 ケテル-ビナー 魔術師 水星 黄色
ג gimel ギメル 七複字 ケテル-ティファレト 女教皇
ד dalet ダレット 七複字 コクマー-ビナー 女帝 金星
ה he ヘー 十二単字 コクマー-ティファレト 皇帝 白羊宮
ו vav ヴァヴ 十二単字 コクマー-ケセド 教皇 金牛宮 朱色
ז zain ザイン 十二単字 ビナー-ティファレト 恋人 双児宮 橙色
ח chet ヘット 十二単字 ビナー-ゲブラー 戦車 巨蟹宮 マリーゴールド
ט tet テット 十二単字 ケセド-ゲブラー 獅子宮 黄色
י yud ユッド 十二単字 ケセド-ティファレト 隠者 処女宮 黄緑
כ chaph ハフ 七複字 ケセド-ネツァク 運命の輪 木星
ל lamed ラメッド 十二単字 ゲブラー-ティファレト 正義 天秤宮
מ mem メム 三母字 ゲブラー-ホド 吊るされた男
נ nun ヌン 十二単字 ティファレト-ネツァク 死神 天蝎宮 シアン
ס samekh サメフ 十二単字 ティファレト-イェソド 節制 人馬宮
ע ain アイン 十二単字 ティファレト-ホド 悪魔 磨羯宮 藍色
פ phe フェー 七複字 ネツァク-ホド 火星
צ tsadi ツァディ 十二単字 ネツァク-イェソド 宝瓶宮
ק kuph クフ 十二単字 ネツァク-マルクト 双魚宮 マゼンタ
ר resh レーシュ 七複字 ホド-イェソド 太陽 太陽 オレンジ色
ש shin シン 三母字 ホド-マルクト 審判
ת tav タヴ 七複字 イェソド-マルクト 世界 土星 藍色

在籍した人物[編集]

名前 生没年 職業 位階 魔法名 意味 分裂後
ウィリアム・バトラー・イェイツ 1865-1939 詩人、劇作家、アベイ座の設立者 7°=4□ Demon Est Deus Inversus 悪魔は裏返しの神 暁の星英語版
アーサー・エドワード・ウェイト 1857-1942 著作家 5°=6□ Sacramentum Regis 王の秘蹟 聖黄金の夜明け団 → 薔薇十字同志会
アレイスター・クロウリー 1875-1947 魔術師、登山家、詩人 5°=6□ Perdurabo われ(最後まで)耐え抜かん 銀の星
東方聖堂騎士団
9°=2□ To Mega Therion 大いなる獣
パメラ・コールマン・スミス 1878-1951 画家 1°=10□ Quod Tibi id aliis The same for thyself as for another 聖黄金の夜明け団
アルジャーノン・ブラックウッド 1869-1951 小説家 Umbram Fugat Veritas 聖黄金の夜明け団
アーサー・マッケン 1863-1947 小説家 Avallaunius 聖黄金の夜明け団
マグレガー・メイザース 1854ー1918 魔術師 5°=6□ 'S Rioghail Mo Dhream 王族こそわが種族 A∴O∴英語版
7°=4□ Deo Duce Comite Ferro 神を導きとして、剣を伴として
ウィリアム・ロバート・ウッドマン英語版 1828-1891 医者 5°=6□ Magna est Veritas et Praevalebit 真理は偉大にして卓越し続けるであろう
7°=4□ Vincit Omnia Veritas 真理はすべてのものに勝利する
ジョン・ウィリアム・ブロディ=イネス英語版 1848-1923 弁護士 5°=6□ Sub Spe 希望の下に 暁の星英語版A∴O∴英語版
ウィリアム・ウィン・ウェストコット 1848ー1925 検死官 5°=6□ Sapere Aude 敢えて賢明たれ
7°=4□ Non Omnis Moriar 悉く滅することあらじ
フレデリック・リー・ガードナー英語版 1857-1930 株式仲買人 5°=6□ De Profundis Ad Lucem 奈落を出でて光へ
モード・ゴン英語版 1865-1953 アイルランド独立運動の闘士、女優(アベイ座) Per Ignem Ad Lucem 火を経て光へ
フロレンス・ファー英語版 1860ー1917 女優・演出家(アベイ座) 5°=6□ Sapientia Sapienti Dono Data 知恵は賢者に授けられた賜物
ロバート・ウィリアム・フェルキン英語版 1853-1926 医師 5°=6□ Finem Respice 終わりを慮れ 暁の星英語版
エドワード・ウィリアム・ベリッジ英語版 1843-1920 ホメオパシスト 5°=6□ Resurgam 再び立ち上がらん A∴O∴英語版
アラン・ベネット英語版 1872-1923 化学者 5°=6□ Iehi Aour 光あれ テーラワーダ → 英国仏教協会
アニー・ホーニマン英語版 1860-1937 メイザースの金銭的後ろ盾[8]、演劇の支援者 5°=6□ Fortiter et Recte 勇敢に、公正に
モイナ・メイザース英語版 1865ー1928 美術学芸員 6°=5□ Vestigia Nulla Retrorsum 不退転 A∴O∴英語版

在籍が取り沙汰される人物

登場する作品[編集]

鎌池和馬とある魔術の禁書目録

アレイスター・クロウリー - 学園都市統括理事長。元世界最高最強の魔術師にして現世界最高の科学者。
黄金夜明 - マグレガー・メイザース率いる勢力。「王室派」襲撃時は、プレモンストレーターをロバート・ウィリアム・フェルキン、インペレーターをウィリアム・ウィン・ウェストコット、カンセラリウスをアーサー・エドワード・ウェイト、ストリステスはフレデリック・リー・ガードナーの後でアニー・ホーニマンが務めた。他にミナ=メイザース、アラン・ベネット、エドワード・べリッジ、ジョン・ウィリアム・ブロディ=イネス、フローレンス・ファーが登場する。後継団体からもダイアン・フォーチュンイスラエル・リガルディーが登場する。

石踏一榮ハイスクールD×D

黄金の夜明け団 - マグレガー・メイザースとウェストコットの一族が登場する。

田畠裕基ブラッククローバー

魔法騎士団の1つ「金色の夜明け団」

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 江口之隆は「マサース」、ヘイズ中村は「マザース」、吉村正和は「マザーズ」とカナ表記している。
  2. ^ 原語はラテン語で「Ordo Rosae Rubeae et Aureae Crucis (R. R. et A. C.)」。「紅い薔薇と黄金の十字の教団」の意。澁澤龍彦は「紅薔薇黄金十字」[6]、江口之隆は「ルビーの薔薇と金の十字架」団と翻訳[7]
  3. ^ 英国薔薇十字協会は、秘教的な事柄に関心をもつ少数のフリーメイソン(フリーメイソンリーの会員)によって1866年に結成された[14]。メイソンのみで構成された団体ではあるが、フリーメイソン組織ではなく[15]、メイソンリーに付属する秘教研究会のような存在であった(黄金の夜明け団とは異なり、魔術は研究対象ではなかった)[16]。1870年代から1880年代にかけて、同協会ではいくつかの儀式や、カバラやフリーメイソンの象徴性についての講義などが行われていた[17]
  4. ^ 黄金の夜明け団の「神殿(: temple)」は一般にテンプルと和訳される。フリーメイソンリーなどでいうロッジの代替名である[19]。ロッジはメイソンリーを構成する組織的ユニットであり、第1に「特定の集会所に属する会員で構成される組織」、第2に「その構成員が集会を催す会場(建物)」という2つの意味を併せもつ[20]。元来は建築に従事する石工の設営する仮小屋を指したが、メイソンリーにおいては組織や会合を指す抽象的概念となり、また、その集会所はメイソンリーにとって重要なソロモン神殿の象徴ともみなされた[21]
  5. ^ アンナ・キングスフォードは1884年にヘルメス協会を設立し、東洋の霊性に焦点を当てていた神智学協会と異なり、ヨーロッパの秘教伝統に取り組んでおり、黄金の夜明け団の明らかな先駆者である[10]
  6. ^ 子どもを病気で亡くし失意のどん底にあったモード・ゴンは、交霊会やヴィジョン、あやしげな超能力者に救いを求め、心配した友人のウィリアム・バトラー・イェイツに説得され入団した[27]。しかし、彼女にとって教団の儀式は興ざめで、会員のほとんどは「英国中産階級の愚鈍のエッセンス」にしか見えず、短期間で退会した[27]
  7. ^ 「真の自己」を指す造語[36]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f Gillbert 2009, pp. 448–449.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 浜野 2012.
  3. ^ a b c d e f g h Owen Davies (2023年10月31日). “The Hermetic Order of the Golden Dawn and the Origins of Wicca”. Yale University Press. 2024年5月16日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k Hermetic Order of the Golden Dawn”. NEW RELIGIOUS Movements. 2024年5月16日閲覧。
  5. ^ a b c d e f Drury 2011.
  6. ^ キング & 澁澤訳 1978, p. 90.
  7. ^ 江口 & 亀井 1983, p. 50.
  8. ^ a b c d e 杉山 2019, p. 71.
  9. ^ a b Machin 2020.
  10. ^ a b c d e f g h i j Dennis Denisoff, “The Hermetic Order of the Golden Dawn, 1888-1901””. BRANCH. 2024年5月16日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g Gillbert 2009, p. 447.
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o MATHERS, SAMUEL LIDDELL MACGREGOR”. OCCULT WORLD. 2024年5月15日閲覧。
  13. ^ a b c Gillbert 2009, p. 450.
  14. ^ Goodrick-Clarke 2008, p. 196.
  15. ^ 吉村 2013, pp. 52.
  16. ^ 吉村 2013, pp. 62–63.
  17. ^ a b Goodrick-Clarke 2008, p. 197.
  18. ^ 吉村 2013, p. 64.
  19. ^ 有澤 1998, p. 37.
  20. ^ 有澤 1998, pp. 276–277.
  21. ^ 有澤 1998, pp. 277–278.
  22. ^ 吉村 2013, pp. 63–64.
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  24. ^ 江口 & 亀井 1983, pp. 65–66.
  25. ^ 江口 & 亀井 1983, p. 65.
  26. ^ キング & 江口訳 1994, pp. 134–135.
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  33. ^ 江口 & 亀井 1983, pp. 93–94.
  34. ^ リガルディー編 & 江口訳 1993b, 訳者解説.
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  36. ^ a b 吉村 2013, p. 67.
  37. ^ 吉村 2013, p. 73.

参考文献[編集]

  • フランシス・キング『魔術 もう一つのヨーロッパ精神史』澁澤龍彦訳、平凡社、1978年。 
  • 江口之隆、亀井勝行『黄金の夜明け』国書刊行会、1983年。 
  • フランシス・キング『英国魔術結社の興亡』江口之隆訳、国書刊行会、1994年。 
  • 吉村正和『図説 近代魔術』河出書房新社、2013年。 
  • Gilbert, R. A. (1997). The Golden Dawn Scrapbook. Samuel Weiser 
  • Goodrick-Clarke, Nicholas (2008). The Wstern Esoteric Traditions. Oxford University Press 
  • 有澤玲『秘密結社の事典』柏書房、1998年。 
  • Robert A. Gillbert執筆「黄金の夜明け団」『現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ』クリストファー・パートリッジ 編、井上順孝 監訳、井上順孝・井上まどか・冨澤かな・宮坂清 訳、悠書館、2009年。 
  • 浜野志保「書評 Alison Butler, Victorian Occultism and the Making of Modern Magic : Invoking Tradition」『ヴィクトリア朝文化研究』第10巻、日本ヴィクトリア朝文化研究学会、2012年11月、59-63頁、CRID 1520853832761817728 
  • Nevill Drury (2011). Stealing Fire from Heaven: The Rise of Modern Western Magic. pp. 43–76. doi:10.1093/acprof:oso/9780199750993.003.0004. https://academic.oup.com/book/5515/chapter-abstract/148439443?redirectedFrom=fulltext. 
  • 杉山寿美子『祖国と詩 W・B・イェイツ』国書刊行会、2019年。 
  • James Machin「Aleister Crowley and Occult Meaning」『The Palgrave Handbook of Contemporary Gothic』Palgrave Macmillan、2020年https://researchonline.rca.ac.uk/4532/1/Making%20Occult%20Meaning%20-%20James%20Machin.pdf 

関連文献[編集]

  • イスラエル・リガルディー 編『黄金の夜明け魔術全書(上)』江口之隆訳、国書刊行会、1993年。 
  • イスラエル・リガルディー編『黄金の夜明け魔術全書(下)』江口之隆訳、国書刊行会、1993年。 
  • 『ロンドンを旅する60章』 (42章「魔都」ロンドン 執筆担当太田直也) 2012年、明石書店、ISBN 978-4-7503-3603-9

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