書物蔵

古本オモシロガリズム

天国への門の鍵「池坊華道圖書館報」 附.へっぽこ強制収用論

なんぢゃこりゃーぁああ!

池坊華道圖書館報<イケノボウ カドウ トショカンポウ>. -- (AA12401296)

  • 2號 (昭16). -- 京都 : 池坊華道圖書館, -1941.4

注記: 記述は2號 (昭16)による
継続後誌: 池坊華道文庫報
著者標目: 池坊華道圖書館<イケノボウ カドウ トショカン>
所蔵図書館 1
岡大植物研 植物研図 2<1941-1941>

たったいま、旧webcatを引いてて腰を抜かしたでち(^-^;)
それにまた!!!

池坊華道文庫報<イケノボウ カドウ ブンコホウ>. -- (AA1240130X)
3號 (昭16)-. -- 京都 : 池坊華道文庫, 1941.5-
継続前誌: 池坊華道圖書館報
著者標目: 池坊華道文庫<イケノボウ カドウ ブンコ>
所蔵図書館 1
岡大植物研 植物研図 3-17,20,24-29<1941-1943>

びっくりしゃっくりこんこんちき!(゚∀゚ )アヒャ 
ちなみにこの世に現存しとるかどうかわからん初号は、

池坊華道圖書館報 準備第一号 

が『図書館雑誌昭和16年4月号に載ってをるから、3月ごろでたらしい(゚〜゚ )
天国の門は開かれた…
秘密が埋まってをるでヨ(*´д`)ノ
ぬぅ、また岡山か!(-"-;)
大東亜図書館学の最重要機密が岡山に埋まってをるのだ…(*゜-゜)

結局、責任はどこがとるんだろうねぇ

しかし、かういった、この世に一部しか残ってなさそーな雑誌を参照する必要が出てきたときに思うことは。
この最後の1館が廃棄しちゃったらどーなっちゃうの、ということ。
でも安心めされい。
いまの図書館関係者でそんなことを心配する人間は一人もいないから(だって図書館情報学の知識体系にそんな項目ないんだもの)、こっそりひそかにこの世から消えてなくなって、だれも問題にしないから、どんな問題にもなりませんよ。
ヘーワですのー(*゜-゜)
いままではごくごく一部の出版社が、欠号をさがしまわって穴埋めして揃いで復刻するなんてこともあったけど、そういった、欠号をさがしまわって穴埋め、といった書誌的活動をきちんとしている図書館は一つもないなぁということを言いたいのだ。今まではレア雑誌の発見や欠号埋めを復刻出版社がやってくれとったけど、国会のデジ化で復刻自体がパァになりつつあり、ぢゃあ、どっかが(たとえば国会が)そういった細かい書誌的なことをやるなんてことは、これは聞いたことがないんだよね。それにあそこは明治期マイクロの砌から単館行動主義だからなぁ。新聞はまだしも、総目を作ろうと(できはわるいが)しとるよーだけど、雑誌の総目は結局、昭和30年代に放棄しちゃったしねぇ。
webcatがあるっちゃーあるけど、結局NIIはコンテンツを創ることは一切しないから、メタデータの先にある(はずの)コンテンツにも無答責ゆえに無責任ってトートロジー。NIIも、短期的に派手なことは得意なんだけど、長期的な政策はぜんぜん駄目なんだよなぁ。ってか、短期的なものばかりで長期的に役立たんと、御国の為にならんとてツブされちゃいますぞよ。せっかく、大学図書館現場から上澄みだけを引き抜いてまわしてんのに、結局は図書館全体の底上げにはいまいち貢献できなかったような気もするですよ。こんなんだったら、現場に人材をはりつかせたまま、TRCに総目を作ってもらったほうがよかった、なんてヘッポコ図書館史に書かれちゃうよん。
論理的には答えは明らかで。
webcatで所蔵が最後の1館になったものが廃棄される瞬間に、所有権を取り上げて(納本制度みたいに私権を制限して)、国会図書館に国会は嫌がるだろうが無理やり送りつける制度をつくるべきなのだNIIは。