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仕立屋になること ガーナ南部における卒業パーティーとポスト多元的な自己の提示について 浜田明範(関西大学) はじめに 本発表の目的は、マリリン・ストラザーンが『部分的つながり』(ストラザーン 2015) のなかで提示した方法の可能性を探究することにある。『部分的つながり』は、簡潔な要 約を許す本ではないが、本発表の趣旨に沿って私なりに要約するのであれば、それは、 (1)人工物や身体やパフォーマンスといった「具体的なもの」を通して、自らに対して 自らを提示するメラネシアの人々のやり方と、(2)そうやって提示されるイメージ間の 関係を成長、反転、切断といった隠喩を用いて理解するというメラネシアの人々のやり方 について、(3)それらの方法を模倣しながら(あるいはそれらの方法を彫琢 elaborate し ながら)記述したものである(浜田 2017) 。 昨年(2016 年)の研究大会において、私は、このストラザーンの議論に着想を得て、 ガーナ南部で行われている一連の集金パーティーを相互に変換されたものとして提示し た。教会での日々の献金や葬式における財の拠出と、結婚式や徒弟制の卒業パーティー、 小王が主催する集金パーティーといった機会は別々のものとして切り離された形で存在し ているのではなく(多元主義的に理解されるべきものではなく)、部分的につながれ相互 に変換関係にあるようなもの(あるいは互いが互いの隠喩になるようなもの)であり、つ まりはポスト多元的に理解されるべきものであるというのがそこでの趣旨だった。それら は時間的空間的に連続した場で行われているし、カネを集めるための形式を相互に借用し あっており、人々はこれらの機会の類似性に自覚的であるからである。更に、ガーナ南部 のパーティーにおいてカネを集める実践は、「贈与・再分配・交換」や「共同性と競覇 性」といった分析的なカテゴリーを用いては充分に理解できないことも主張した(浜田 2016)。 しかし、当時は、時間の都合もあり、このことが当該地域で暮らす人々にとってどの ような意味を持っているのかについては充分に議論を展開できなかった。この不足を補う ことが本発表の目的である。ガーナ南部で行われている一連の集金パーティーが相互に変 換されたものであるならば、このことは、そうでない場合と比べてどのような効果を持っ ているのだろうか。本発表では、(1)ガーナ南部で行われた仕立屋の卒業パーティーと いう特定の形式のパーティーに注目しながら、(2)人工物やパフォーマンスを通して自 分のことを周囲の人々に提示するガーナ南部のやり方を明らかにしたうえで、(3)それ が他のパーティーと変換関係にあることがどのような効果を持っているのかを明らかにし ていく。 ガーナ南部における衣服と仕立屋 ガーナ南部の農村地帯では、仕立屋(seamstress / adepam)は髪結い(hair dresser)と並 んで、女性たちが現金収入を得ることのできる代表的な職業である。仕立屋を目指す少女 たちは、中学卒業から高校卒業後にかけて、すでに店を開いている仕立屋に弟子入りし、 徒弟制を通じて職能を身に着ける 1。弟子入りの際には、修行のための代金としてそれな 1 りの高額(仕立屋にバラつきがあるが、2016 年 8 月の調査では最低約 70US$)を支払う 必要があり、基本的には無給でおおよそ 2 年以上の修行をした後に、卒業パーティーを経 て、一人前の仕立屋と認められることになる。一人前の仕立屋は「マダム」と呼ばれ、文 字通り自分の店を切り盛りする女主人になることができるようになる。 仕立屋の主な仕事は女性や子供用のドレスの作成である。顧客が持ち込む、ントマ (ntoma)やバティック(batik)、マテリアル(material)と呼ばれる布を加工してドレス を仕立てる際の縫い賃が、主な収入源となる。 仕立屋が扱う布のなかで最も代表的なものだと考えられているのは、フランス語圏西 アフリカでパーニュと呼ばれ、ガーナ南部ではントマと呼ばれる派手な色使いと私たちに は奇抜に思えるガラが特徴的な工場生産の更紗である 2。ントマは、名前が付けられた定 番の古典的なガラと、比較的新しいデザインのライフ(life) 3と一括されるガラに大別さ れる。定番のガラには、チュイ語のことわざにちなんだ名前がつけられており、「良いビ ーズは音を立てない Ahene pa nkasa」とか「単独の木は風に吹かれて折れる Duya kuro gye nframa a ebu」といった教訓的な名前が付けられていることも珍しくない 4。 ガーナでバティックと呼ばれているのは木型を用いてロウを布に落とすことで捺染す る、比較的シンプルな柄と色使いの綿製品であり、マテルアルは主に中国から輸入されて くる化学繊維の布である。一般に、ントマはバティックよりも、バティックはマテリアル よりも高値で取引されている。2016 年 8 月に首都アクラのテマステーション近くの問屋 街で調査した際には、人々が一般的に使用することが多い中国のメーカーであるハイター ゲット(Hitarget)社製のントマが 6 ヤードで 10US$程度、国内産のバティックは 8US$程 度の値段で販売されていた 5。 ブルキナファソの仕立屋について調査を行った遠藤は、西アフリカでは、布は富や地位 の象徴するものであったと述べているが(遠藤 2013: 42)、同様のことはガーナ南部でも 当てはまる。例えば、婚姻に際して男に渡される婚資の一覧表(Marriage Items: Both Mother and Father Side: in Akan’s Traditional Methods)には、「ノック(としてのカネ) kɔkɔɔkɔ」や「犬がもうお前を噛まない(ためのカネ)kraman nkawo」と共に「ントマ」 という項目が設定されており、2013 年に私が調査したケースでは 3 ヤード(half piece) のントマ 6 枚が婚資に含まれていた。布がそれ自体で価値を持っていることは、女性たち の布の取り扱い方からも分かる。女性たちの多くは購入したり贈られたりして入手した布 をすぐに服に仕立てるのではなく、服に仕立てないままの状態のントマを数枚、使用する こともなく綺麗に折りたたんで旅行鞄のなかに入れて保管している。それをあえて仕立て るというのは、それなりの決断を要する。仕立屋に依頼した結果、出来上がりが思うとお りでなかった場合にはすべてが台無しになる。縫い賃は布によって変化することもある が、一般に、布の値段に比して少額である(例えば、女性もののツーピースの縫い賃は 2US$程度である)。 仕立屋に発注される仕事の量は年間を通じて一定ではない。クリスマスには、理念的 にはすべての者が一着以上のドレス(クリスマスの服 burɔnya ataarie)を新調するた め、仕立屋は、11 月中旬から 1 月初旬にかけて最も忙しくなる。この時期には、人気の ある仕立屋は文字通り眠る間もなくミシンを回し続けることになるし、普段それほど依頼 を受けることのない仕立屋にも仕事が回ってくることになる。その他に、大きな葬式があ 2 るときには喪服の受注が増えたり 6、新学期の前には学校の制服の発注があったりする 7。このように収入がそれほど安定しているわけではないため、仕立屋の中には、布や裏 地、ファスナーや糸を店先に並べて販売することで、少ない収入を補う者もある。膨大な 労力を必要とするために常に弟子を必要とする髪結いとは異なり(織田 2011)、仕立屋 は自分一人でも仕事をこなせるため、すべての仕立屋が弟子をとっているわけではないこ とも、それほど人気があるわけでもない仕立屋が不定期の仕事を続けることを可能にして いる。 仕立屋の腕の見せ所は、布を持ち込んでドレスを仕立てて欲しいという顧客の要望に 可能な限り応えることにある。顧客は、ポスターやファッション雑誌に載っている様々な スタイルのドレスから自分の希望するものを選ぶ。しかし、持ち込まれる布の大きさや顧 客の体形によっては、必ずしも希望のスタイルのドレスが作れるわけではない。スタイル によって、必要とされる布の大きさは違うからである。顧客の持ち込んだ布が小さめだっ た場合には、よりシンプルなスタイルを提案する。この発注時の見積もりと折衝に失敗す ると、完成時にサイズが合わなくて着られないということにもなりかねない。 そのため、人々はどの仕立屋の腕がいいのかについて饒舌に語る。徒弟制を通じて持 続的に新しい仕立屋が養成されていることや、他の町で修業した者が戻ってきて開業する ケースもあり、農村部においても、仕立屋の競争は激しい。修行を終えて一人前と認めら れた仕立屋は、まずは自宅で作業をしながら資金を貯めながら固定客をつかんでいく。そ うして一定の資金が貯まると、町の中心部やメイン通り沿いに店を開くことで、より多く の顧客を集められるようになる。人目の着くところで毎日ミシンを回し、店の中に顧客か ら預かっているカラフルな布を大量にかけることによって、仕立屋は自らが顧客から勝ち 取っている信頼を誇示することで、自分の職能を間接的に(自分が作成した人工物を直接 展示することなしに)示すのである。評判のいい仕立屋には、一般的なおしゃれ着ではな く、より高価な生地を使用した、結婚衣装などの特殊な衣装の受注が入ることもある。他 方で、修行を終えたものの固定客をつかむことに失敗し、店を開くこともなく、自宅で 細々と仕事を続ける者や仕立屋としての仕事を辞める者も珍しくはない。 このように、仕立屋になるためには、単に、採寸や裁断、縫製といった技術を身に着 けるだけでは不充分である(むしろ、特に若い仕立屋たちは、縫い目の綺麗さなどの技術 的な側面についてはそれほど重視しない傾向がある)。どのスタイルのドレスを作るため には、どれくらいの大きさの布が必要になるのか、布以外の材料(裏地、ボタン、ファス ナーなど)は何が必要でそれはどこで買えるのか、繁忙期にどれくらいの仕事を受けるこ とができるか、どのように顧客に選択肢を提示しその希望をかなえればいいのかといった 能力が必要される。そして、当然のことではあるが、葬式衣装や結婚衣装を含めて、新し いスタイルがメディアを通じて打ちだされていくなかで、あらゆるタイプの衣装を作れる 必要がある。 仕立屋になるためのパーティー 必ずしもすべての者が行うわけではないが、多くの場合、少なくとも 2 年以上の修行 の後、女主人に一人前と認められて弟子は、卒業パーティー(graduation)を開催し、 自らを一人前の仕立屋として人々に提示する(スライドへ)。 3 この卒業パーティーには、大きく分けて 2 つの目的が存在する。まず、卒業パーティ ーは、新しいマダムの誕生を町の人々に伝える、お披露目パーティーとしての側面を持っ ている。同時に、卒業パーティーは、新しいマダムが店を構えるための資金を集める集金 パーティーとしての側面も備えている。このお披露目パーティーと集金パーティーという 二つの側面は、相互に区別可能でありながら、相互に密接に絡み合うことで、仕立屋が自 らをポスト多元的なものとして、提示することを可能にしている。 昨年の発表で報告したように(浜田 2016)、仕立屋の卒業パーティーは、この地域で 行われる唯一の集金パーティーではない。それは、髪結いや左官といった他の職業の卒業 パーティーや、結婚式や王主催の収穫祭などと同じ時期に同じ場所で行われ、同じような プログラムを用いて、同じようなやり方で金を集める機会である。この意味で、仕立屋の 卒業パーティーは、他のパーティーと部分的につながっており(ストラザーン 2015) 、 それ自体、他のパーティーとの影響関係のなかにある、ポスト多元的なものとして理解す る必要がある。 このようなパーティーのポスト多元的な性質は、新たに誕生する仕立屋が十分な職能 を持っていることを示すための絶好の機会を提供することになる。仕立屋の卒業パーティ ーでは、新たに誕生するマダムは、花嫁になぞらえられ、ブライズメイドを伴って、複数 回のお色直しをし、花嫁に特有の方法で集金を行う。この際、彼女は、自分とブライズメ イドの着る服をすべて自作する。パーティーでの集金を当てにし、多少無理をなしながら 材料を買い揃えて、パーティードレスやウェディングドレスを作成する。そうすること で、彼女は、仕立屋としての職能、いずれのタイプの服もセンス良く作れるという能力を 観衆に示すのである(この提示の仕方は、店にたくさんの布をかけて顧客の信頼を誇示す るのとは別のやり方であり、また、成功した場合にはそれを予期させるものでもある)。 この能力の提示は、卒業パーティーが結婚式と部分的につながれているからこそ可能な ものである。同時に、彼女は、多くの場合、未婚でありながら花嫁の姿を装うことで将来 の顧客の姿を先取り(prefigure)し、彼女の着ている服は、将来の顧客のために彼女が 作る服を先取りする。新たに誕生する仕立屋は、自らの個別性と変換可能性を示すことに よって、一人前であることを証明しようとするのである。ここでは、パーティーに関する 多重化された認識を可能にする形式の類似性が、主役を花嫁に見立てることを可能にして いるのである。 この形式という物差し これで、冒頭で提起した問いに対して部分的に回答できただろうか。ガーナ南部におい て様々な集金パーティーが結婚式などと相互に変換関係にあることは、少なくとも仕立屋 が自らの職能を提示する際には、有利に働く。彼女たちは、自覚的に自らを花嫁になぞら えることによって、卒業パーティーの場において自らの職能を効果的に示すことができ る。 もちろんこれは、ガーナ南部のパーティーについて考えるべき側面のひとつでしかな い。パーティーの場は、参加者にとっては主役に対して誰がいくらの拠出を行うのかを可 視化することによって主役に対する親愛の情を示す場でもあるし、親方にとっては弟子を 育てる能力を示す場でもある。これを主役の視点から捉え返すならば、他のパーティーに 4 どのように出席し、どのように振る舞ってきたのかを含め、彼女のこれまでの人間関係を 示す場でもあるとも言えるだろう。 同時に、このパーティーというこの形式は、新しいマダムの職能の一部分を提示するも のでしかないことにも注意が必要である。先述のように、仕立屋としての職能は必ずしも 服を作るための技術を身に着けるだけではない。顧客の希望に沿うためには、交渉や納期 の管理も行わなければならない 8。しかし、パーティーの場では主役のマネージメントに 関する能力は前景化されずに覆い隠されている。パーティーの場では、仕立屋の能力は、 衣服=人工物を作成する能力に限定された形で前景化されている。 このような仕立屋による自己の提示の仕方は、例えば髪結いや左官の卒業パーティーに おける自己を提示するやり方とは大きく異なっている。髪結いは自分で髪を結うことはで きないし、左官は自分が作ったものをパーティー会場に持ってくることはできない。その ため、彼/女たちの卒業パーティーは、どうしても、自己の職能を示す場というよりは、 開業のための集金のための場であったり、主役がそれまでに培ってきた人間関係を提示す る場という側面が前景化されることになる。 この意味で、身体と分離可能で、なおかつ、容易に持ち運ぶことができる衣服を作るこ とを生業とするという仕立屋の特性が、パーティーが相互に変換されたものであるという 状況を最大限に有効活用することを可能にしているのである。 1 ガーナ南部では、女性の仕立屋をシントレス(seamstress)と呼び、男性の仕立屋で あるテーラー(tailor)と区別する。シントレスは女性用の服を縫い、テーラーは男性用 の服を縫うのだが、数としてはシントレスの方がはるかに多い。本発表では女性のシント レスについてのみ議論する。 2 西アフリカにおいて、このタイプの布から仕立てられた衣服は特に女性の間では極めて 一般的なおしゃれ着になっている。西アフリカでこの布が一般性を獲得する歴史的な経緯 については、遠藤による整理(遠藤 2013)を参照されたい。 3 ここでは、英語の life は「おしゃれ」という意味を持っている。チュイ語では、衣服や アクセサリーを身に着けて着飾ることを「ライフを叩く bɔ life」と表現される。 4 遠藤も指摘しているように(遠藤 2013: 18)、ガーナ南部ではケンテと呼ばれる織布の ガラにもことわざや歴史的な出来事、人名などが名前としてつけられてきており(Rattray 1979)、ントマのガラに名前が付けられているのも、この拡張として理解することができ る。他方で、私は、人々がこのガラの名称を用いてコミュニケーションを行っているとい う議論(Domowitz 1992)には懐疑的である。人々は必ずしもそこまで意識的に服を選ん でいるわけではない。 5 布は都市部で安く、農村部で高い商品の典型的なものである。農村部の市場では、この 値段に 3~4 割のマージンが上乗せされた値段で販売されることも珍しくない。 6 ガーナ南部では、葬儀の列席者は赤か黒の衣服を着ることになっており、布屋さんに は、上記のントマやバティックとは異なる喪服専用の布も売られている。これらの布は、 一般的にはより高価である。 7 ガーナ南部では、幼稚園から高校まで制服が指定されるのが一般的である。 8 卒業パーティーの企画は基本的に主役が行うため、パーティーを成功裏に終わらせ、 人々からカネを集めることは部分的には主役のマネージメント能力を示すことになってい るようにも思える。実際、特に景気が悪くなっている近年は、カネを集めるために開催し たにも関わらず、いざパーティーを開催したらそれほどカネが集まらず、赤字になったと 5 いう話をちらほら聞くようになった。しかしそれでも、パーティーを運営するために要求 されることと店を維持するために必要なことには違いがあるように思える。 参照文献 Domowiz, Susan 1992 Wearing Proverb: Anyi Names for Printed Factory Cloth. African Arts 25 (3): 82-7. 遠藤 聡子 2013 『パーニュの文化誌:現代西アフリカ女性のファッションが語る独自性』、昭和 堂。 浜田 明範 2016 (未発表原稿)「集める:ガーナ南部における社会的なものと部分的つながり」、 第 50 回日本文化人類学会、南山大学。 2017 (未発表原稿)「存在論的転回とエスノグラフィー」、第 74 回神戸人類学会、神 戸大学。 織田 雪世 2011 『髪を装う女性たち:ガーナ都市部におけるジェンダーと女性の経済活動』、京 都大学アフリカ地域研究資料センター Rattray, R. S. 1979 Religion and Art in Ashanti. AMS Press. ストラザーン、マリリン 2015 『部分的つながり』、大杉高司他訳、水声社。 6