日本の敵は「日本」? |
この記事の中でEconomistは、日本の問題点について具体的に指摘しているので、前回に引続き気分の良い話ではありませんが、欧米の金融界の声を紹介するという観点から、抄訳を中心に簡単に紹介してみたいと思います。
まず、記事の冒頭で Economistは、「わずか5年前まで、中国のGDPは日本の半分に過ぎなかった」と指摘しています。
そして、「人口が10倍の中国に、日本が経済規模でいずれ抜かれるのは、宿命であったとは言え、そのスピードは驚くべきものがある。わずか20年前には、世界一の座も狙えると言われていた日本が、世界第三位に転落したと言うのは、心の暗くなるような一大事である」と書いています。
そんな同誌が指摘する日本の問題点は、以下の通りです。
1.日本の「ボス」達は改革を拒んでいる
日本の政財界のトップは「現実の権力シフトを受け入れることを恐れているか、古くて慣れ親しんだモデルにしがみついている」。
・・・この指摘は、一橋大学教授の見解を引用する形で紹介されていましたが、先日のエントリーに頂いたコメントにもあった、「戦後に高度成長を実現した世代が、今では逆に、経済改革の妨げとなっている」というご指摘と、同じ話かと思います。そうした世代が引退するまで改革は出来ないのか、また(悠長な話ではありますが)その世代の引退後であれば、本当に改革が実行できるのかは、共に注目すべき点だと思います。
2.日本のシステムはゾンビ企業を存続させ、産業の新陳代謝を阻んでいる
国が様々な組織(産業再生機構など)を設けることで、倒産して然るべき企業群が救済されている。その中には、時代遅れの携帯通信技術に投資して立ち行かなくなった会社まで含まれ、そういう会社に多額の税金がつぎ込まれているる。日本の企業倒産率はアメリカの半分であり、新興企業が立ち上がる率はアメリカの3分の1以下である。ベンチャーキャピタリストは希少で、官僚的な信用配分は企業の「野心的行動」を阻害し、「ゾンビ企業」を育てている。
・・・このEconomistの議論の背景にあるのは、外国人投資家が日本株に投資をする際の最大の障害となっている、日本の「資本効率の軽視」だと言える気がします。従業員の雇用継続を最重視する、企業存続のために現金を貯め込む、といった企業行動は、日本側から見るとごく自然な事かもしれませんが、外国から見ると、とても不可解に映ります。
実際、企業が保身にこだわるがために、収益性を悪化させて体力が消耗したり、外国企業との競争力が低下したりという事態を招いては、元も子もないように思います。そのような状況を政府も一緒になって生み出している、というのが、Economistの指摘なのではと思います。
3.「年功序列」が実力主義を阻んでいる
日本では、人材資源を最大活用するシステムが、うまく機能しない。と言うのは、「年上を敬う」文化は、すなわち「優秀な」人材ではなく「年配の」人間に、優先的に出世の道を開くことになるからである。社長はいつまでも退社せず、会長や相談役として会社に留まるので、若い新社長は、前代の犯した過ちを正すことを躊躇してしまう。その結果、かつて「現代の侍」と言われたサラリーマンは、「草食動物」などといわれるようになっている。
・・・この話から3つ続けて、日本が人材資源を活用できていないという点を、Economistでは日本の問題として挙げていました。
まず年功序列の弊害例として、03年と10年を比較すると、起業家になりたいという新入社員は半分の14%に低下する一方で、生涯雇用を希望する人の率は倍近くの57%になっている、と指摘しています。
また外国に出たがる人も減っており、外務官僚までもが、国内に留まることを希望している、という話も取り上げられていました。
4.「草食系」男子は、上の世代より更にグローバル化に対応していない
2000年以来、アメリカで勉強する中国人とインド人の数は倍増しているが、日本人学生の数は1/3低下し、アジア諸国からの留学生合計の、ほんの一部にまで落ち込んでいる。日本の中等教育では、英語が何年にも渡って必修とされているにも拘らず、日本人学生の英語力テストのスコアは、先進国内で最低である。
・・・先のエントリーでも触れましたが、Economistも「英語が絶対的に重要と言うつもりはないが、日本は輸出依存型経済であり、その生命線が外国との関係にある」にも拘らずの、国民の英語力の無さは、大いに問題である、と書いていました。これは純粋な「言語能力」ではなく、国際的な場での交渉やコミュニケーション力と言う意味で、その重要度は90年代のグローバル化の時代以降、飛躍的に増した気がします。
そして2010年以降の世界を考えると、日本企業は製造拠点や最終製品販売市場として、ますます中国やアジアへの依存度を高めていくことが予想されます。そのような時代には、英語によるコミュニケーション力に加えて、中国語等アジア言語でのコミュニケーション力も、求められるようになるかもしれません。それを睨んだ先進的メーカーが、管理職に対して、英語プラスもう一つの言語取得を義務付けた、と言うニュースは、象徴的であるように思います。
5.日本は潜在労働力の半分を未活用である
日本企業の管理職に女性が占める割合は、わずか8%であり、この数字は米国の40%、中国の20%と比べると、極めて低い。取締役会のメンバーを勤める女性の数は、クウェートよりも少ないといった始末である。女性の平均給料も、男性と比べると6-7割程度である。
・・・よく北欧の福祉国家は国民が幸せである、という統計を見かけますが、似たような福祉国家へのニーズがあり、且つ少子化に苦しむ日本では、女性の社会参加のサポートは、税制改革と合せて、必須のような気がします。北欧の国では、夫婦共働きが事実上強制に近いそうですが、そうでもないと、高い税金を払って、福祉支出が支えられないと言うことなんだと思います。
また記事の中では、某コングロマリット企業の経営者の「採用基準に達している求職者の7割は女性なのだが、実際に採用される女性は1割程度である。その理由は、就職後に工場や炭鉱などに出向いて『女性らしからぬ仕事』をすることになるかもしれないからである」という発言や、某大手飲料メーカーが、女性管理職の数を2015年までに倍増させると言うが、その時点での目標となっている割合は6%である、と言った事を、半ば嘲笑的に紹介していました。
6.日本の問題は複合的で、政治や行政は適切に対応できない
2010年6月に経済産業省は、「日本の成長戦略」なるものを提示し、政府支援を受けるに相応しい産業を多数挙げていた。しかし、この計画策定に携わった官僚の多くが、7月の定例異動によってたらい回し的に担当を外れてしまったようなので、この戦略がどれくらい実行に移されるかは、知る由もない。
・・・確かに、先日のエントリーで書いた、ニューヨークで投資家向け説明会を開催してくれた経済産業省の方は、帰国後に全く別の部署に異動されたようでした。戦後通産省が大きな役割を果たしていた頃から、こういう慣行があったのか知りませんが、経産省に限らず霞ヶ関の存在感が薄れている原因は、バブル処理に手間取る中で、色々な制度疲労も表面化し、国民の信頼が失墜してしまった為なのかもしれません。
民主党政権も、「脱・官僚」のスローガンが、手段ではなく目的化してしまっているように感じますが、国益を真剣に考えている人も多くいるであろう高級官僚を、政治家からマスコミから、国民を挙げて貶めることに何のメリットがあるのか、非常に不可解です。官僚も手を下さず、政治家にも政策立案能力がなく、そして財界は過去の栄光から脱せないでいるとなると、日本にビジョンが欠如しているのも、仕方が無いのかもしれません。
7.国内メディアは日本経済の三位転落の重要度を軽視している
日本のマスコミは、日本経済が中国に逆転された事実について、大して重要な事ではない、といったトーンで報じている。逆に、心配性の人は、人口のずっと少ない韓国も、そのうち日本を超えてしまうのではないかと危惧している。日本は今後、銅メダルを守る戦いを、どのくらい続ける意志があるのだろうか?
日本びいきの人は、日本は過去にも大きな危機が発生すると、奮起して危機を乗り切って来た、と指摘する。しかし日本を経済大国に押し上げた20世紀的な手段、例えば、手軽に手に入る資本、巨大企業群、暗記型教育、高級官僚による管理、男性サラリーマンの生涯就職などは、どれも21世紀にそぐわない。根本的改革が出来なければ、すぐに日本は、第四位、第五位に、転落してしまうだろう。
・・・日本の経済メディアを見ている限りだと、それなりに危機感を煽るような報道が増えているように思いますが、そうでも無いのでしょうか。もしくは外国から見ると、そのレベルやスピードが不十分、もしくは内容が既得権益寄り過ぎる、と映るのかもしれません。
以上、Economistの一つの記事について、かなり細かく書いてみましたが、欧米で影響力があると言われるメディアから、このような厳しい評価を受けていると言う事実は、知っておく価値がある気がします。この記事の結論は、要するに、「日本の敵は日本」、つまり、21世紀に日本の改革を妨げているのは、20世紀の古い日本である、と言うことかもしれません。
もちろん、最終的に国をどうして行くかは、日本国民自身の選択であり、外国からとやかく言われることではないと思います。しかし、躍進目覚しい中国に、経済大国としての色々な責任を求めていくためには、自らも経済大国としての自覚を持って、世界経済に対して積極的に責任を果たしていくべきではないかと感じます。