先日、ロコンドのオペレーションセンター見学に埼玉県の新三郷に行ったんだけど、駅の改札をでて街を一目見た瞬間、感動して一瞬立ち止まってしまいました。
ロコンドとの約束がなくても、そのまま半日、新三郷で遊んで帰ってもいいかも、と思えたくらいです。
あちこちの写真をとりながら、途中で吹き出してしまいました。
「なんなんだ、これは・・」と。本当おもしろかった。
何がおもしろかったかというと、その埼玉県の街は、そのまんまアメリカの郊外の街だったからです。
JRの駅があることを除き、ほぼそのまんま。こういう街をあたしはたくさん見てきた。
だから「こんなとこにアメリカの田舎町ができてるんだ!」って驚いたのでした。
まんまでしょ。コストコの駐車場なんて、カートに山ほどのビール、水、ピザを載せた恰幅のよい白人女性が何人もいて笑いました。キャストみたいだった。
ショッピングモールは「ららぽーと」で、上記にロゴが見えますが、
H&M、ZARA、ユニクロ、Right on、ユナイテッドアローズ、無印良品、ロフト、マツキヨ、ニトリ、アフタヌーンティリビング、ABCーMART、リーガルシューズ、ECCO、京王百貨店、イトーヨーカ堂、石丸電気、JTB,ABCクッキング、宝くじなどなどが入っています。
もちろんその他、雑貨店やエステや英会話やファストフードやレストランも。
(新三郷ららぽーとのサイトはこちら)
とりあえず全部あるんだよね。ないのは「ここにしかない店」だけだなーという感じ。
新三郷だけじゃなくて、都市圏から 1時間くらいの田んぼの真ん中にいきなりこういう街が出現するというのは、あちこちで起こってるのかもしれませんね。
★★★
アメリカの大都市の目抜き通りはどこも酷似してます。そしてある時からは、それは世界の大都市で同じになりはじめ、ロンドンもパリも、NYやシカゴと凄く似てきました。
東京も2000年くらいから「世界の大都市に似てきた感」が高まってますよね。今やどこの国の大都市でも、一流ショッピングストリートには同じ店が並んでる。
昔、仙台や札幌に行った時、東京の街と似ていて驚いたけど、今はテナントのお店まで一緒になっているんだと思う。それと同じことがグローバルに起こっている感じ。
同様に、アメリカでは郊外の都市もまた、他のエリアの郊外の都市とほんとに似かよってきていて、どこのショッピングモールも全く同じ。
それが今回、新三郷に行って、「そうか、郊外の街も世界で同じになっていくわけね。」と理解できました。
もしもちきりんが新三郷に生まれて、あそこで育って、出張でアメリカの郊外の街に行ったら、きっと驚くと思う。
「なにこれ?あたしの生まれた街と同じじゃん?」って。
そして、中国の郊外で「イオンモール」中心に街作りがなされたりしてると、日本の田舎と同じじゃん?みたいなことも起こってるんだと思うので、こういうのってグローバルに何重もの入れ子構造になってる感じなんでしょう。
★★★
実はこの数日前に久しぶりに新宿に行きました。待ち合わせの 1時間前に着いたので、どこかで時間を潰そうと思って、行ったのが新宿伊勢丹と新宿紀伊国屋。
新宿にもH&MもZARAもユニクロもあるけど、行く気にならないよね。そんなの他の場所にもあるんだから久しぶりに来た新宿で行く必要を感じない。
伊勢丹と紀伊国屋も新宿以外にもあるじゃん、と言われそうだけど、そうではないことは東京の方には分かると思います。
新宿の伊勢丹も、新宿の紀伊国屋も、店として「ローカル」なんです。一方でZARAはどこで行っても同じ。グローバルモデルだから。
新三郷に行った時それを思い出して、「結局、ローカルが勝ち」なんだなと思った。新宿も渋谷もすごいローカルなんです。あんな街は世界にない。でも新三郷はすごいグローバル。ああいう街は世界中にある。
「その街にしかない」「その街に行かないと、アレがない」、というものが無い街は潰されてしまう。
「ローカル」なものをどんだけ保っていけるかで、街の勝負がつく、ということなんだよね。
極論で言えば「ローカルなものにしか、価値がなくなりつつある」んですよ、世界では。
ところが「ローカルであり続ける」ためには、一定の人口密集が必要なんです。
だから、大都市だけがローカルのまま踏ん張ることができ、郊外や地方都市は急速にグローバル化してしまう。
(ただし、グローバル化さえ起こらず“ヤンキー化する地方”も多々あるんで、それに比べれば新三郷は幸運とも言えます。)
なんだかんだいっても東京は(イタリアの都市なんかと同様)ローカルなものが比較的たくさん残っているいい都市だと思う。