アメリカの大学と日本の大学の違いは一言で言うと「集約度」

僕は研究員(visiting scholar)ですが、visiting scholarは交渉ベースでスタンフォードの講義を受けることも出来ます。
僕は、今学期、以下の2つを受けています。どちらもComputer ScienceのMaster用の講義で、各教授に「visiting scholarなんだけど講義受けてもいいですか。」とメールしたら"You're welcome!"みたいな形でメールしてもらったので、若い学生たちにまぎれて講義を受けています。


CS229 Machine Learning: http://www.stanford.edu/class/cs229/
CS276
Information Retrieval and Web Search: http://www.stanford.edu/class/cs276/

# もちろん一人で研究に没頭しても良いのですが、あるレベルまでは講義に混ざった方が早く吸収できるのでそうしています。
# あとは個人的な性格の問題でもありますが、僕は教科書だけだと全く勉強できないので、耳から何かインプットした方が圧倒的に効率が良い人なのです。


アメリカの大学が全部そうなのかどうかは分かりませんが、スタンフォードは4学期制(summerは普通の学生は休みの場合が多いが、興味に応じてコースを取ることもできる)で、1学期が大体10週間くらいです。この10週間の間に集約させるそのやり方が半端じゃないです。

最初、いろいろな人に「アメリカの大学はすごいから」とずっと言われていましたが、授業を受け始めたころは何がすごいのか全く分かりませんでした。

  • 教授陣は確かに優秀なんだけど、東大にも優秀で教え方の上手い人はたくさんいました。
  • 学生も確かに優秀なんだけど、東大にも同じくらい優秀な人はいたし、スタンフォードのクラスに出ていても、ちんぷんかんぷんな質問する人だっている。

というわけで、一体何がすごいのか、うーん、と思っていました。


ところが、時間が経つにつれて分かってきたことがあります。

  • 大抵の授業は90分×2-3コマ/週くらいあります。2日に一回講義を受けることになります。
  • フルタイムの学生でも1学期に3-4個しか授業取りません。(取れません。)時間割を見ると一見スカスカで一日の半分以上が空いているように見えます。
  • もちろん講義中の90分は、完璧に制御された時計通りに進みますので、予習復習しないと落ちこぼれます。(最近はe-learning用に録画しているので、長時間講義を延長するのは許されないみたいです。)
  • 宿題の量と質がものすごいです。例えばComputer ScienceのMachine Learningの一回目の宿題は、http://www.stanford.edu/class/cs229/ps1.pdfにある通りで、このクラスの宿題が10週間の間に4回出ます。その他に中間試験、期末試験があります。
  • この1回分の宿題は感覚的には、東大の最も難しいクラスの講義の期末のレポート並みの重たさだと思います。(その場合、そのレポートだけで大抵全て終わりという具合だったような気がします。)


というわけで、10週間の間にこれだけの量をとにかく「集約」させて詰め込むのがアメリカの一流大学のやり方か、と納得してしまいました。
(尚、僕は別に成績がつく訳ではないので、課題や試験は任意です。学生は皆この成果によって成績が決まり、それがGPA等を通してその後の人生に大きく影響するので相当必死です。)


というわけでこんな具合なので、2つも講義を取ってしまって(僕は学生と違ってそれ以外に研究するのが仕事なので)本当に大変ですが、数年使っていない脳みそをフル回転して頑張っています。

特に、Machine Learningは完全に数学(線形代数)と統計学が完璧に分かってないと初回から脱落しそうな勢いだったので、駒場時代にちゃんと勉強しておいて良かったなぁと改めて思っています。(と言ってもだいぶ忘れていることもありますが。汗)Machine Learningは、もちろん実用的な講義でありながら、その背景にある理論をちゃんと勉強できるという大学らしい講義で、久しぶりにこうした講義に触れられてとても新鮮です。


他方、Information Retrievalの方はそんなに数学や統計が難しいという感じではなく、"Googler"養成講座という具合です。講師の片方がY!の人なのが皮肉なのですが、検索エンジンの作り方をゼロから叩き込むという講義になっています。まだ数回ですが、検索エンジンを作るというのは、学術的に何にも面白くなく、ただただ効率性を追求し、マシン性能との闘いをひたすらするという、(少なくても僕にとっては)恐ろしく退屈なものだということが良く分かりました。泥臭いところを丁寧にやっているなぁという感じで、本当にこれをゼロからやったGoogleの2人は偉いと思いました。