大きな反響を呼んだ「終戦直後の新橋をGHQが撮影した35mmフィルムの解像度が驚異的!」の映像について衝撃の事実が判明した!

この映像は数年前にfacebookで「GHQが終戦直後に撮影した素材」を使った音楽PVとして回ってきたものだった。

  
あまりの鮮明度から時代特定のコメントも相次いだ。その時は電柱に貼ってある井上ハツという国会議員のポスターの存在から1946年から47年ぐらいの撮影ではないか?という仮説が生まれていた。

このブログは今年の4月に開設したばかりだったので終戦の週にこの映像を思い出し、改めて記事として紹介してみることにしたのだ。

2015年8月10日に記事を公開してからシェアやRTにより大きな反響を呼び、さらに映像の中に1948年11月公開の映画「四十三丁目の奇蹟」のポスターが貼られていることを発見した人から1948年秋の映像ではないか?という指摘が寄せられた。

その後、クルマやスクーターなどに詳しい人からも1948年説を裏付ける情報をもらったので、元記事のタイトルや内容は変更せずに文末に新しく判明した事実を追記するカタチをとった。1946年と思って書いたので終戦直後というタイトルにしたが後に1948年と年代特定されたので終戦から3年後ということになる。

私も新橋の撮影ポイントに行ってカメラ位置を検証したり音楽PVで使われていた映像の元素材を何度も見たりしていたが、いくつかの疑問があった。

【パブリックドメインにあった元素材】

あまりに鮮明でスムースな映像なので35mmの解像度を持つ元素材というのは明らかだった。記録フィルムにありがちなコマ落ちなどもしていない。

まずGHQが35mmで動画を撮影していた記録を求めて国立公文書館や千代田図書館で文献を調べてみた。

そこでGHQの戦略爆撃調査団が1946年から47年にかけて16mmで日本各地を撮影した素材があることがわかった。ただそれらのフィルムから起こした写真などを見る限り解像度が低い。撮影時期も1948年の秋とはズレていた。

素材と思われる映像にはテイクナンバーのようなものが入っている。これも奇妙で撮影時のテイクであればカチンコのようなものが入るはずだが、フィルムにオプチカル処理された数字で1とか2とかある。つまりこれはなんらかの編集素材であることを意味している。新橋、新橋、渋谷、新橋という順番も奇妙だった。

後退映像という独特な手法なので何らかの演出意図が入っているのではないか?という指摘も多くあった。

映像にレールらしきものが写っていないことからゴムタイヤなどの移動台車で撮影しているはずなのだが、写っている人がカメラを意識せずに自然に歩いてる。これが記録映像としては不思議だ。

特に3カット目の道玄坂では和服の女性がカメラ前を歩いておりこれはエキストラのような仕込みに見える。しかし街全体を封鎖してGHQが用意したエキストラだけで撮ってるようにも見えない。 後ろの方にいる人は明らかにカメラを物珍しそうな目で見ているからだ。

この映像はフィンクションなのか?ノンフィクションなのか?
明らかに1948年の東京で撮影されているにも関わらず謎めいていた。


そして8月18日に私のfacebookのコメント欄にこれはハンフリーボガート主演の「東京ジョー」に関係する映像ではないか?という指摘があったのだ!

GHQの記録映像ではなくハリウッド映画??

さっそく「東京ジョー」を調べてみると終戦後はじめて東京で撮られたアメリカ映画であることが分かる。公開は1949年だが日本では未公開。のち44年後にあたる1993年に日本で公開されている。1949年アメリカ公開の映画なら1948年に日本で撮影したとしても時期がぴったりだ。タイトルにもあるように東京が舞台の映画である。

しかしこの映画の主演のハンフリーボガートは日本ロケに来ていない。

どういうことか?

日本の風景はすべてスタジオのスクリーンプロセスで処理されているというのだ!

おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!

これですべての疑問が氷解した!!!


これは「東京ジョー」のスクリーンプロセス用に東京で撮影された素材のアウトテイクなのだ!

だから当時のハリウッド映画のスタッフが意図を持って東京で実景として撮影したのだ!

あのクオリティはハリウッドのスタッフが35mmフィルムで東京を撮っているからなのだ!!

スクリーンプロセス用だから後退映像なのだ!!!!!!!

歩いていたりクルマに乗っていたりするハンフリーボガートの背景に使うわけだから!!!


そしてこの映画の予告編にたどりついた!



あのGHQが撮ったと思っていた渋谷道玄坂の映像に近いカットが使われている!!間違いない!!! 



その後いろいろなサイトを探して全編を見ることが出来た。ちょっと怪しいサイトなので興味ある人だけ注意してここから映像を見て欲しい。

GHQ映像と考えていたカットと完全に一致するシーンはなかったものの羽田、渋谷、銀座のスクリーンプロセス映像が使われておりトーンや鮮明度から同じチームが撮影してると考えて間違いなさそうだ。

この映画のためにB班が日本で撮影して本編では使わなかったカットが何らかの経路で流出しアメリカのフィルム・アーカイブに登録されたと見るのが妥当だろう。

あれだけ拡散された記事が「終戦直後」でも「GHQ映像」でもなかったというのは恐ろしいことだが、ブログに書いたことによって寄せられたたくさんの断片的な情報から映像のソースに辿りつけた感激のほうが大きい。 

この映像の記事を拡散してくれた人、そして様々な指摘をしてくれた人に心から感謝したい。

そして「東京ジョー」を全編見た私は次の探しものが決まった。

この映画のスクリーンプロセス用の東京実景はもっと大量にあるはずだ!!!!!

その35mmフィルムには1948年の超鮮明な東京が写っているはず!!


みんなで引き続き探そうではありませんか!

(つづく)


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