高危機意識妻 VS 政府信頼夫

3.11で浮き彫りとなった妊娠中の妻と典型的日本サラリーマン夫の危機意識の違い。妻 @sickbow が原発事故後に選択した行動といのちへの想いのまとめ。(※今後加筆されていきます)
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sickbow @sickbow

3.11から二ヶ月あまり経ったが、いまだ夢を見ているような奇妙な気分の中にいる。

2011-05-22 22:45:08
sickbow @sickbow

原発が爆発した12日、水と食料と現金を持って西へ西へ逃げた。一号機に海水注入が開始されるという報を聞いた夫は、すでに纏めた自分の分の荷物を再び部屋のあちこちに戻し始めた。

2011-05-22 22:57:52
sickbow @sickbow

「何が起こるか分からない」「ひとつクリアしたとしても依然予断を許さない状況にあると思う」「チェルノブイリが頭を過る」「国家などの大きな組織のトップはパニックを怖れる。パニックを避ける為に国民を欺くこともあり得る」「頼むから一緒に来てくれ」「何事も命あってのものだねではないか」

2011-05-22 23:01:02
sickbow @sickbow

私の言葉は身内一人説得するに至らなかった。今四か月になるお腹の子を守るのは私だけだと、水と食料と現金を持ち、夫を置いて西に逃げた。「分かった、一人で死ねばいい」なんて、酷い捨て台詞だったなあと思う。

2011-05-22 23:07:07
sickbow @sickbow

兄が車を出してくれた。途中のSAではやはり避難をすると思しき家族連れが何組か、じっと食堂のTVに食い入っていた。けれどその数は決して多くはなかった。東名はがらがらだった。

2011-05-22 23:12:55
sickbow @sickbow

富士宮まで来るといつもの日本の風景で、地震も津波も原発も遠いところにあった。幾分ほっとした。富士宮焼きそば、おいしかったなあ。

2011-05-22 23:23:33
sickbow @sickbow

三重の義母に連絡をとる。落ち着くまでおってええ、と言ってくれた。有難かった。夫に電話をする。極力外に出ないように。窓のシャッターを閉めるように。換気扇をつけないように。貴重品をまとめておくように。雨に気をつけるように。そして何かあったら躊躇なく逃げるように。

2011-05-22 23:32:14
sickbow @sickbow

兄は私を義実家に預けると、翌日も仕事だからと東京へと引き返した。あんなことが起きているのに、まだ生きている街々はその機能を止めようとしない。それが心強くもありまたおそろしくもあった。東北の沿岸部は壊滅状態だった。東京も頻繁に揺れた。原発は煙をあげていた。

2011-05-22 23:45:09
sickbow @sickbow

義実家であたたかく迎え入れられながらも、不安と緊張から毎日悪阻が酷かった。私は一介の心配性の専業主婦で、取り立てた知恵も知識も持っていない。けれどもとにかく情報を欲した。テレビとPCを起動する。情報は津波のように私の処理能力を超えて押し寄せて来た。

2011-05-23 00:03:02
sickbow @sickbow

東電・保安院・政府の会見を見る。何度も何度も「絶対に大丈夫」という意味の言葉が覆されていったのを目撃した。

2011-05-23 00:07:31
sickbow @sickbow

TVに出て解説する専門家とやらの言葉もまたそうである。前説は頻繁に塗り替えられる。こまかな言葉に一貫性が感じられない。だがとりあえずの安全を強調する言葉だけが平易で、それが受け手の「安心を得たい願望」と相まって奇妙な日常の空気感をかたち作っていくように感じた。

2011-05-23 00:15:54
sickbow @sickbow

現在進行形の災害が福島で続いているのに、TVは岩手や宮城の被災者にカメラとマイクを向けることに躍起になっていた。被災の際の「悲惨な」或いは「感動的な」エピソードを茶の間に流す。

2011-05-23 16:59:20
sickbow @sickbow

まるで一連の震災に於ける被害は彼ら受難の津波被災者だけのものであり、そしてそれすらも既に「終わった」ことかのような印象であった。同情という形で心情は添えども、その他の地域の人間にとってはあくまで他人事の世界。

2011-05-23 17:03:24
sickbow @sickbow

私もあの地獄のような映像の数々に涙が止まらなかった人間の一人である。ライブ映像の中で津波に飲まれた人々を多く目撃した。胸が潰れる思いだった。

2011-05-23 17:07:34
sickbow @sickbow

だが今そこで起こっている危機について、どうしてもっと報道しないのか?違和感が拭えなかった。爆発する原発の映像も、十分センセーショナルではあった。ハイパーレスキュー隊の勇姿も感動した。しかしそれは浜通り周辺のほんの狭い地域に閉じ込められているドラマであった。

2011-05-23 17:14:07
sickbow @sickbow

定点カメラで切り取られた箱庭的世界で起こっているドラマであった。

2011-05-23 17:18:49
sickbow @sickbow

毎日夫に電話をした。危機感を煽る話など聞きたくない、と言われ喧嘩になった。もしお前の言うような大変な話なら、流石に政府ももっと行動をしている筈だと。俺たちよりずっとアタマノイイヒト、エライヒトがベストと思われる選択をしているのだ。疑ってどうする?と。

2011-05-23 17:24:57
sickbow @sickbow

私が「危機感を煽る話」をするにも、ソースをいちいち表示しながらが困難だった。開きっぱなしのブラウザのタブはネット上で拾ってきた内外からの情報ソースで埋め尽くされている。だが会話という形で、膨大なモザイク状のそれらを的確に引っ張って来るのは私の能力を超えていた。説得力が、ない。

2011-05-23 17:34:59
sickbow @sickbow

私は夫と共有している唯一のSNSであるfacebookにそれらのニュースソースなどを貼ることにした。こつこつ無言でした。この作業は現在でも続けている。

2011-05-23 17:39:34
sickbow @sickbow

3.13からの一週間は毎日新幹線の東京発名古屋行きチケットを夫の為に予約していた。いつでも脱出できるように。予約状況はその一週間すらがらがらだった。勿論万一脱出ということになったら、次の日からの予約分はキャンセルするつもりだった。一つ席を占有すると誰か一人が逃げられないのだから。

2011-05-23 19:27:22
sickbow @sickbow

夫はその一週間も、交通状況が改善され次第会社に行った。それは立派で、けれど何かが狂っていて、そして東京のサラリーマンとしてはごくごく当たり前のことだった。

2011-05-23 19:32:20
sickbow @sickbow

猪苗代の両親に自主避難を促すことも同時に続けていた。「うちは頑健な建物だから被害はワイン一本割れただけだったぞ」「この辺は磐梯山があるから大丈夫だ、風向き的にも会津地方に放射性物質が飛んでくるとは思えない」と父は最初笑っていた。

2011-05-23 19:40:03
sickbow @sickbow

そこは原発80k圏内に位置しているということ、大まかな傾向はあるだろうが風向きなど頻繁に変わるということ、物資も不足しているようだし、生活が困難になるのであればとりあえず逃げてくれと伝えた。

2011-05-23 19:42:24
sickbow @sickbow

何より兄が心配する。両親に何かあったらきっと兄は真っ先に助けに向かってしまう。本当に何かあった時、私は両親よりも兄に無事でいて欲しいのだと本音をぶつけた。兄はまだ若い。これから子供を産み育てる世代なのだから、と。

2011-05-23 19:46:30
sickbow @sickbow

3.15、両親は鳥取の祖母のもとに向かった。

2011-05-23 19:49:25