誰かが言わねば

~誰も本当のことを言いたがらない。誰かが言わないといけないことだから、私が言おう~

資本主義世界に寄生する共産主義者達

日本では諸外国に比べて、働くからにはできるだけ質の高い仕事をしようと心がけている公務員の比率がかなり高いのだろうと思われます。その証拠に、日本の行政サービスは他の先進国と比べても段違いに優れています。市役所の窓口で待たされる時間はさほど長くはありませんし、警察の検挙率は落ちたといっても高水準ですし、税務署は納税者を正確に捕捉していますし、救急車や消防車は呼べばすぐに来てくれます。救急車がすぐに来なくて人命が失われたという話がニュースになるということは、それだけ普段のサービスのレベルが高いということでもあります。

市役所の窓口担当の態度が悪いなどという意見もあるでしょうが、それは公務員と民間の接客業の人とを比較した場合の話です。海外旅行に行くと旅先の税関で外国の公務員の働く姿を見ることができますが、彼等の仕事ぶりはかなりおおざっぱでいいかげんです。外国の公務員と比べると、日本の公務員の質はかなり高いということに同意していただけるものと思います。

 

しかし残念ながら、日本にも問題のある公務員は存在します。日本にも少しだけ存在する問題のある公務員とはどういった人達のことなのか、詳しく説明していきたいと思います。

 

サラリーマンの場合にはいかに自分が真面目に働いていても会社自体の業績が落ちた時には給与や賞与が減ることがありますし会社自体が倒産した時には失業することになります。一方、公務員は法律で身分が保障されています。そのため公務員の中には自分が真面目に働き続けているかぎり失業することも給与が削られることもあってはならないと勘違いしている人達が一部ですが確かに存在しています。

現実には、民間企業や国民が納めた税金から公務員の給与が捻出されています。景気が悪くて国の税収が少ない年もあるのですが、勘違いしている彼等は自分自身に失点がない以上は給与を下げられるのはおかしいと本気で思っています。

 

彼等はどうやら、自分が共産主義の社会に生きていると勘違いしています。

確かに、彼等の働いている空間だけを切り取ると、そこは共産主義の社会にそっくりです。労働者は解雇されませんし、年齢順にほぼ均等に富が分配されます。しかしその財源は資本主義の社会で民間企業が売上の中から納めた税金と民間企業で働く人達が所得の一部を納めた税金です。実際には、企業が納めた税金から彼等の給与が支払われているのですが、彼等にはそういう意識はまったくありません。彼等は資本主義の世界の一画に疑似的な共産主義社会をつくってプロレタリアート気取りで暮らしています。(しつこいようですが、公務員の中でもそういった人はごく一部です)

人間の社会は「競争・成長・発展」と「互助・協調・協力」の両輪で成り立っています。たとえば民間企業が価値を生み出すから社会が成り立っているわけですが、同時に公共の役所が存在するから社会のシステムが維持されています。ひとつの会社の中でも営業部門が売上をたてるから会社は利益を得ることができますが、同時に管理部門があるから会社組織が運営できています。

「競争・成長・発展」の片輪だけでは世の中は成り立たちません。一時的にあるいは小さな組織の中で「競争・成長・発展」だけの世界が成り立ったとしても、そこに暮らす人々は幸せを感じることができません。ただ、もちろん「互助・協調・協力」の片輪だけでも社会は成り立ちません。

 

プロレタリアート気取りの「彼等」は「互助・協調・協力」だけの世界を理想の世界だと考えています。そして彼らは「競争・成長・発展」を醜くて汚いものだと考えていますし、自分は「利益のことしか考えない企業」によって搾取される弱者の側なのだと思いこんでいます。現実には自分が企業の収益の一部で生活しているということはまったく認めようとしません。

本当の弱者というのは病気で働けない人や働きたくても職に就けない人ぐらいしかいないはずなのですが、彼等は自分達こそが最も善良で最も守られるべき弱者だと思いこんでいます。

 

民間企業のサラリーマンは自分の給与は元をたどればお客様の財布から出たものなのだと理解していますが、プロレタリアート気取りの彼等は自分の給与が元をたどれば国民の税金だという意識がありません。彼等は自分の給与は当然の権利として天から降ってくるものだと思っています。

 

ひところ話題になったヤミ専従(勤務時間中の組合活動)は今は規制が厳しくなったようですが、プロレタリアート気取りの彼等は今も心の中では仕事なんてほっぽり出してでも労働者の権利だけは守らねばならないと思っています。

 

彼等は自分が真面目に働いたり組合活動をしたりしているのに一部の大企業の従業員より給与が少ないことを不公平だと真剣に思っています。午後五時まで庁舎内にいるだけで大企業の社員並の給与を受け取るのが当然の権利だと思っているのです。

その上、彼等は自分の感覚が世間一般の感覚からズレていることに一切気がつきません。何しろプロレタリアート気取りの彼等は、民意というのは自分の意見のことだと思いこんでいます。

彼等は、自分達の雇用が強く守られすぎているために若年層の雇用が絞られているという現実を受け入れません。若年層の雇用が絞られているのは資本家階級が搾取しているからだと頑なに信じこみ続けています。

 

本当の弱者は自分が弱者だという恥ずかしい事実を隠そうとします。本当の貧乏人は自分が貧乏だという恥ずかしい事実を隠そうとします。

弱者ぶって権利を主張することができる人達は、弱者でも貧乏人でもないからこそ恥ずかしげもなく権利ばかりを主張することがでます。身分を保障された公務員が弱者ぶって自分達の権利を主張している姿を見ると吐きそうになります。なにしろプロレタリアート気取りの彼等には間違えたことをしている自覚がまったくないのですから。そしてそれどころか彼等は誰にも何にも迷惑をかけずに生きているつもりでいるのですからもう笑うしかありません。

こういうタイプの世の中の役に立たずに自分の権利ばかりを主張する公務員が増えれば増えるほど労働組合の力は強くなってしまいます。そして選挙に通ることしか考えないタイプの政治家が労働組合の主張を受け入れ、国家財政の赤字が膨らみます。

 

少数の彼等のような公務員のために、できるだけ質の高い仕事をしようと頑張っているまともな公務員のイメージまで損なわれてしまっています。

公務員を簡単に解雇できるようにしてしまえとまでは思いませんが、役に立たない彼等の給与を初任給程度まで引き下げるようなルールくらいはあってしかるべきではないでしょうか。

できるだけ質の高い仕事をしようと心がけている公務員と午後五時まで庁舎内にいるだけで大企業の社員並の給与を受け取るのが当然の権利だと思っている彼等との給与水準が同じというのはどう考えても間違えています。

 

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