原発問題について
大原まり子


宮城県沖地震で被害にあわれたすべての方々に、心よりお見舞い申し上げます。

長らく開店休業中でしたが、ネットでの活動を再開したいと思います。

私は、鞄月ナのPR誌「ゑれきてる」において、98年より、東芝の技術者の方々に技術についてのインタビュウを重ねてきました。
技術者の方々には、“ものづくり”の原点を感じさせられ、いろいろな現場を見学することもでき、楽しい仕事でした。

「国内発電量の約3割を占める原子力発電」 2008.03
「水をつくる、水素をつくる」 2010.03

この2本において、私は、原子力技術について、肯定的な記事を書きました。

原発問題については賛否両論入り乱れて大変な状態であると知りながら、深く調べることもせずに、メーカーの技術者の言うことをそのまま書き、さらに、原発推進派の著作だけを読んで、「天然にも原子炉はあったのだから、人がこの技術を使うのは良いのではないか」という、アタマだけの考えを肯定してしまったこと――これが私の間違いでした。
おそらく、技術者の方も、同様の過ちを犯した。

なにか、果てしなく「長いものに巻かれた」状態であったことに気づいたのは、原発事故の後です。
多くの技術者の方もそうだったと思います。
設計図から実際に作る段階での施工、設置場所、運営、メンテナンス――これらのものが設計の理想から、どんどんずれていった。 要するに、「現場を見なかった」のです。

もう一つは、原子力に対する「夢」。
私の世代(1959年生)以上の世代は、一度は科学技術への信仰があったように思います。
「鉄腕アトム」のように、何でも解決してくれる万能薬のように思い込んだ。これは、謙虚さを欠いた考えだったと、今になっては思います。

私は、10〜30年間メンテフリーというコンパクトな原子炉を取材したとき、夢のような技術だと思いました。
取材した技術者の方も、本気でこの小さな原子炉を設計されたと思います。
ものを作る人というのは、どこかに純粋な魂をもっています。それがなければ、新しいものは作れないと思う。

けれども、放射性物質を安全に処理する技術がない以上、原子力は人が扱ってはいけないのです。

技術者の方々は、自分たちが作ったものに対する責任を感じておられると思います。
山田恭暉さん率いる福島原発行動隊も、その現れと思います。

私も、自分が書いたものに対する責任をとらなければなりません。
私は科学者ではないし、何ができるのかはわかりません。
皆さんのお知恵を借りたいと思い、ツイッターを始めましたので、ご意見いただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

Twitter:http://twitter.com/#!/bunbukubu

2011.7.3


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