1990年代、東京・渋谷を中心に流行したとされるJ-Popのジャンル。
タワーレコードやWAVE、HMVのような外資系レコード会社の企業戦略も相まって、日本のポップ・ミュージック・シーンにおいて、マスメディアが主導するムーヴメントとはまた異なったムーヴメントが発生することとなる。それは海外のポスト・パンク/ネオアコやアシッド・ジャズ、フリーソウル、アシッド・ハウスといった音楽シーンの変遷と同時代的に共振する動向として現れ始めた。そのようにして時代と鋭敏に反応して音楽性や更にはジャケットのアートワークなどの斬新さを追求していったグループを、その支持層が渋谷を中心に広がっていることから生まれたのが「渋谷系」という言葉である*1。
具体的なアーティストとしてはフリッパーズ・ギター、オリジナル・ラヴ、ピチカート・ファイヴ、ラヴ・タンバリンズ、カヒミ・カリィといった面々が代表として挙げられる。小山田圭吾が主宰していたトラットリア・レーベルや瀧見憲司が主宰するクルーエル・レコードに在籍する数々のバンドも含まれていたと考えられる。
2000年代以降、あまり使われなくなった言葉だが、1990年代のポップ・ミュージック、引いてはサブカルチャー全般に及ぼした効果は(その負の部分も含めて)多大なものがあると言える。
関連:雑誌「オリーブ」、橋本徹の「サバービア」、ネオアコ/アノラックのファンジン「英国音楽」
*1:この言葉を最初に使った人物は、当時『ロッキング・オン』に在籍し、後に『SNOOZER』誌編集長となる田中宗一郎と言われている。