人工知能に「接待将棋」はできない──羽生善治と石山洸が語る将棋とAIの進化

人工知能は、将棋にどのような影響を与え、変えていくのか。そして「将棋ソフト」とどう向き合うか。将棋棋士・羽生善治とリクルートインスティチュートオブテクノロジー推進室室長の石山洸が、将棋とAIの進化について語った。[2017.02.14 22:00修正]内容に誤りがあったため修正しました。
人工知能に「接待将棋」はできない──羽生善治と石山洸が語る将棋とAIの進化
PHOTOGRAPHS BY SHINTARO YOSHIMATSU
羽生善治|YOSHIHARU HABU
1970年、埼玉県所沢市出身。6歳から将棋を始める。1982年6級で二上達也九段に入門。1985年15歳でプロ入り。1989年初タイトル竜王を獲得。1996年には7つのタイトルをすべて獲得した。名人、棋聖、王座、王位、棋王、王将の6つの永世資格をもつ。

2016年5月。将棋ソフト・ポナンザとの対局「電王戦」の前哨戦である「第2回叡王戦」に、羽生善治がエントリーした。「人工知能AI)v.s.羽生善治」が実現すると、将棋界を超えて広く知られることとなった。

同年にはグーグル傘下のDeepMindのAI・AlphaGoが話題となったAIだが、囲碁だけではなく、将棋においてもAIの進化は目まぐるしい。2017年、AI研究者である石山洸と羽生善治が「人間にとってAIとは何か?」をテーマに講演した六本木アートカレッジ・セミナーシリーズ、「これからのライフスタイルを考える」第9回をレポートする。

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AIに仕事を奪われないもの

石山 羽生さんが最初にAIに興味をもたれたのはいつですか?

羽生 将棋の世界全般の話ではありますが、認知科学を研究されている方と交流があるんです。たとえば理化学研究所で脳の研究をするとなったときに、ぼくが被験者として入ったりするわけです。

石山 被験者ですか! 羽生さん自身が研究材料というわけですね。

羽生 MRIに入って、検査を受けるのです。人間の脳を調べていくことと、AIの研究を進めていくことは、きわめて近い距離にあるので、いろいろな専門の先生から話を聞くことが昔から多かったということはあります。

石山 実際、羽生さんはこの将棋の世界にAIが入ってきていることを、ポジティヴにとらえているのか、それとも危機感をもっているのかを伺いたいです。

羽生 AIに対して恐怖感があり、脅威に感じる人たちもいますね。そういう一面も必ずあると思っています。でも、非常に誤解というか混乱されている部分もあります。たとえば「人類がAIに乗っ取られるじゃないか」といった『ターミネーター』のような世界でのAIは、いわゆる「汎用AI」といわれています。一方で、将棋のソフトなどは「専門AI」です。

同じAIでも全然違って、ぼくは高尾山とエヴェレストくらい違うと思っています。汎用AIと専門AIをごっちゃにして考えてしまうと、AIのニュースがあると「なにか人類にすごいことが起こる」ととらえやすいです。一方で、AIは「ものすごく難しいこともできるけれども、ものすごく簡単なこともできない」という側面もあるのです。

石山洸|KOU ISHIYAMA
リクルートのAI研究所、リクルートインスティチュートオブテクノロジー推進室室長。2006年、東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻修士課程修了し、人材サービス会社入社。インターネットマーケティング室などを経て、全社横断組織で数々のWebサービスの強化を担い、新規事業提案制度での提案を契機に新会社を設立。事業を3年で成長フェーズにのせバイアウトした経験を経て、14年、同社のメディアテクノロジーラボ所長に就任。15年より現職。

羽生 たとえば「接待将棋」という、相手にうまく負けて喜ばせてあげるっていう研究を真面目に研究されている方もいます。接待将棋を指すのって、難しいのです。接待将棋は、基本的に相手の人がどれくらいのレヴェルで、どれくらいの将棋を指すのかを推測できないとできない。力を加減することはできるのですけど、あからさますぎてバレバレになるのですぐわかっちゃう。

AIに仕事が奪われる、みたいな話もありますが、ぼくの答えはいつも決まっていて、「接待ゴルフのような仕事は絶対なくなりませんよ」って答えるようにしています(笑)。

リアルとヴァーチャル

石山 AIがブームになり、将棋の世界への関心が高まってきたりしていますか? 将棋人口数や将棋視聴者数が増えてるとか。ぼくはリアルの盤面の“外”も含めた将棋のシステムの変化が起き始めているように感じています。

羽生 インターネットが広がり、海外でも将棋を指す人が増えました。いま3年に一度、国際将棋フォーラムというのをやっていて、ギリシアの島に住んでいる高校生くらいの子で、たぶん将棋を指せるのは島で彼ひとりだけなのですよ。生まれてこのかた、たぶんネットでしか指したことがないのです。でもアマチュア3、4段くらいになって、ギリシア代表として参加していたのです。代表としてリアルの世界に来て、生まれて初めて将棋盤と駒に触った。AIやソフトの進化が進むと、その部分がさらに加速される可能性が十分にあるわけです。

もちろんネットだけでも練習や勉強はできますが、それにソフトが加わると、さらにその学習の研究もでき、上達のスピードが速まる可能性もある。将棋がグローバル化していくには、AIの進歩というのは非常に大きな要素かなと思っています。

将棋ソフトとの付き合いかた

石山 AIが進化し続けていて、いま頂上だった技術が、次の年にはそれが基準になって五合目になる、という話があります。テクノロジーが将棋に与えた影響というのは、どのようなものでしょうか。

羽生 進化のスピードは加速しています。ぼくは棋士になって31年半ですけど、31年前はのんびりしていたのです。いま思うとすごく牧歌的な時代だったなって。それからネットができて、ソフトができて、データベースができて…と、目まぐるしく変わっています。さらにこの1年というのは、ちょっと信じられないくらいのことが起こっているというのが実感です。“ドッグイヤー”という言葉がコンピューターの世界では使われますよね。イヌの1年は人間の7年に相当するという。そのドッグイヤーがどんな世界でも起こり始めているので、いかにその変化についていくか、対応していくかということが問われていると思います。

石山 あらゆる職業のなかでドッグイヤーへの準備をしなくてはいけないわけですね。実際に、それを意識して、羽生さんがいままでの将棋の指し方やトレーニング方法を変えたことはありますか?

羽生 そうですね、ぼくは以前ネット上で将棋を指していたり、いまでもたとえば「将棋倶楽部24」では、何千人という単位で毎日将棋を指しているんです。プロの人もいるし、アマチュアの人もいるし、若い人には道場とかトレーニングをする共通の場になっていたりするのですね。

ネットの世界なので基本的に匿名なのですけど、素人なのかプロなのかは、ちょっと指せばわかるわけです。20手、30手指せば、プロなのか、素人なのかはすぐにわかります。で、あるとき、明日の公式戦の対局があるので、ウォーミングアップがてら対局をやろうと思って指していたら、どうも次の日対戦する相手と練習していたみたいで(笑)。それからは、これはあまりよくないと思い、やめました。

将棋ソフトが出てきて、今後やらなくてはいけないのは、ソフトで「自分自身のアイデアを確認する」ことと「新しいアイデアや発想のヒントや種を得る」ということではないのかな、と思います。

ある課題やテーマがあり、ソフトがそれに近い解答を仮に出してくれたとします。しかし、「問題」と「解答」という、ただそのふたつだけを見ていくことが本当に進歩や上達になるのかという問題があると思っています。人間は、“プロセス”を理解していくことによって全体の理解度が深まると思うので、それはこれから先に、いろいろなことを試行錯誤し、方法論を確立していかなくてはならないと思っています。


大統領×JOI 人工知能について語る

オバマ大統領(当時)が『WIRED』に語った、人工知能と国家と社会のダイヴァーシティについて。本記事に登場する「汎用AI」「専用AI」、ニック・ボストロムなどのキーワードが多々登場する。雑誌『WIRED』日本版VOL.26からの転載記事。


AIが変える“当たり前”

羽生 いまのAIは「学習」と「推論」を、別々にやっていますよね。ゆくゆくはそこの部分は同時にできるようになると思われますか?

石山 おそらくなっていくと思います。いわゆるデータの世界はデータの世界として理解できる。あるいはロジックかモデルの世界はそのものとして理解できる。これがいま、AIの世界ではばらばらで、データだけで学習したものがどんな論理構造においてどういう結果を導き出しているのかがわかからない。ですが、まさに次のAIが進化するポイントとして、データの世界とそれを含めたモデルの世界がくっついていくということがありそうな気がしています。

羽生 将棋は全部サイバー空間の中で完結できますよね。そこで全部解決できる世界はAIの導入も早いし、たぶん最初に導入されていると思うんです。ただ、クルマの自動運転のようなものは、リアルの世界のものなので、サイバー空間の中だけでは検証できない。さまざまな法的な制約や、倫理とか、常識を教えなきゃいけないという点で、リアルの世界にどれくらい入り込んでくるかはまだまだ未知数じゃないかと思っています。

オックスフォード大学のニック・ボストロムが創設した「人類の未来研究所」で「人類の抱える12のリスク」(12 Risks that threaten human civilisation)というのが発表されています。気候変動やパンデミックと並んで、いまの社会問題のひとつにAIが挙げられているのです。でも一方で思うのは、ほかのテーマは単なるリスクでしかないのですが、AIはそれが進むと残りのリスクを、一部ないし全部解決してしまうかもしれない可能性もあるわけです。もちろん使い方を誤り、人間が悪用してしまったら、それはものすごいリスクになると思うのですけど。同時にいわゆる社会の大きな問題みたいなのも解決する可能性を秘めている点では、プラスとマイナスの両面がかなり大きい。そういうジャンルなんじゃないかなと思います。

羽生 AIやプログラムといった、人間の外側にある知性や発想を取り入れることは、これから先、絶対にやらなくてはいけないことです。そしてこれはたぶん人間の美的センスを変えていくと思うのです。AIがさまざまなジャンルで進んでいくうちに、AIが選択したもの、検閲したもの、AIが判断したものを見る機会が飛躍的に増えると思います。それを人間が見続けていくときに、いまあるセンスとか、美的センスというものと全く違うものを見続けていくので、最初は違和感を感じるはずです。でも、それに慣れていって、取り入れられるところは取り入れていくと、「自然」とか「当たり前」という考えそのものが変わってくるのじゃないかと。

AIもミスをする

石山 将棋は、いわゆる数学的なゲームの分類でいえば、最善手に対して、先手必勝か後手必勝か、引き分けかが必ずあるゲームですよね。

羽生 ゲームの“手”の可能性が調べられているんですが、それぞれチェスが10の120乗で、将棋が10の220乗で、囲碁が10の360乗なんですね。平均すると80通りくらいの可能性があり、120手くらいで終わります。本質的に完全情報ゲームなので、勝つか負けるか引き分けかに必ず収束するはずです。ですが、収束するかどうか、という問題はあります。

たとえば囲碁のプログラムで使われているのが、“モンテカルロ法”というものです。これは、とりあえず最後までやってみて、その結果を比較し、よいか悪いかを判断するといういうやり方。囲碁の場合はそれがうまくいきますが、将棋の場合はそうはいかない。

というのは、「収束しない」ときがあるからなんです。たとえば円周率の計算を思い浮かべてもらうとわかるのですが、円周率の計算は何百万桁もできますけど、収束しないじゃないですか、ああいう状態になると、「計算し続けてしまう」ことになるんです。究極的には結論が出るのかもしれないですけれど、収束するかどうかは、まだわかってないということですね。

石山 いまの質問の背景は、いまの社会は「AIが人間に勝った、じゃあ人間として終わりですね」という世界でない。実はチェスの“掌中”のようなものがあるように、AIをもってしてもすべてを理解してるわけではなくて、一部を理解しているだけだと思うんです。

羽生 そうですね、でもこれもすごい誤解があると思うのですけれど、囲碁でも将棋でも、ほかの世界でも、どんどんAIが強くなってきていますよね。でも予測されている“最強の強さ”の理論値には全く届いていないのですよ。ということは、すごく強いのだけどミスをしている、ということなのです。

AIやソフトは万能で、ミスをしないものだという先入観があると思います。でも実際はそんなことはありません。いままでが70パーセントだったものを71パーセントにして…と、AIは少しずつ確率を上げ、前よりも強くしています。確率的なアプローチでの結果として、大きな進歩を得ている。決してそこは万全でもないし、万能でもないということはいえます。

石山 そうすると将棋の世界は、人間とAIがまだ到達していない残りの“理論値”まで一緒に旅をしていくという風になるのかなと思ってるんですが。

羽生 そうですね。人間のやっていることは「過去にこういうことがあって、こういう発見があって前に進みました」と、基本的に体系的です。でも、AIとか将棋のソフトがやっていることは、ばらばらなんです。膨大な量の情報をつくれるけれど、ただただ離散したままでたくさんのデータが出続けているという状態になってしまう。その離散しているものを集めて枠組みをつくる人間という“まとめ役”が必要なんです。

石山 AIと人間のいいところが一緒になりながら、価値を見出していくということですか?

羽生 そうですね。人間が100万局の将棋対局をやろうとすると、2人分の人生が終わってしまう。だから、できないことはAIに任せて、そこからさまざまな私見を得ていくことがいいアプローチなんじゃないかなと思っています。

未知のものを経験すること

石山 プロの棋士でもセッションスピードが上がってるとか、若手の棋士の方はインターネットを使って成長が速いとか、昔と比べて、将棋がうまくなるスピードが速くなっていますか?

羽生 それは間違いなく早くなっています。それこそ小学校1年生くらいで初段だとか。若くして始めることがいいのかはわからないですけれど、将棋の世界はまだメソッドが確立されてない世界なのです。これが音楽やスポーツという競技人口が多い世界だと、そのあたりはもう出来上がってるいるかもしれないですけど、将棋では未開の分野だと思ってます。

一方で若い人たちだけではなく全般的に、何かを学んだり、何か新しいものを取り入れようとしたときに、いかに飽きないようにとか、いかにその人にとって最適な課題をこなしてどうやって取り込み続けるかがすごく大事なことになってくるじゃないですか。AIがいちばん得意なことは“最適化”なので、データがこれから先すごく増えていったときに、「この人が将棋を強くなるには詰将棋をいっぱいやった方がいいですよ」とか「だれだれさんと対局した方がいいですよ」とか、適切な課題をカスタマイズしてくれる可能性はるんじゃないかなとぼくは思っています。

石山 そうすると、教育の考え方も変わってくるということですよね。先ほど羽生さんがおっしゃっていた「将棋にはメソッドがない」というのは、教育のメソッドがないということですか?

羽生 将棋の世界は職人の世界で、ぼくが入る少し前までは、師匠の家に住み込んで修行をしていたんです。でも、やることは師匠の部屋の掃除だったりして、「これやってて本当に強くなるのか?」みたいな、職人さんの世界と同じようなところで来ている。つまり「こういうトレーニング方法で強くなる」という発想が最初からない。そういう世界なんです。あまり手取り足取り師匠の発想を押し付けてしまっても、自分なりのスタイルや可能性を確立することができないと考える伝統があるようです。

石山 将棋は「知的スポーツ」としての側面もある一方で、「日本文化」としての側面もあるということですね。たとえばAIが出てきたとしても、将棋の文化のこういう部分は残していったほうがいいと羽生さんは思っておられますか?

羽生 将棋はもともとインドから始まってるんですけれど、アジアにはその国々の“将棋”が大体あるんですね。だから将棋といっても、たくさんの種類の将棋がある。ただ、日本の将棋は結構独特で、江戸時代は家元制度で家元称号が「名人」として世襲で代々継いでいたりした。茶道とか華道と同じような日本の伝統文化のカテゴリーになります。

ほかの国の将棋は頭脳スポーツという位置づけなので、スポーツのカテゴリーに入ります。これは歴史的な違いなので、伝統的な並べ方や作法やしきたりは、大切に残して良き伝統として次の世代につなげていくのがいいんじゃないかなと。一方で、盤上でやってることはテクノロジーと同じなので取り入れられるものは全部取り入れて進歩発展を遂げていくやり方でいいのかなと思っています。

石山 自分でAIをつくって自分で将棋を指すみたいなことが、いま世の中でも始まってる感じがしますね。

羽生 そうですね。ぼくが思ってるのは、スポーツと文化とか、理系と文系とか、そういうカテゴライズがだんだん必要なくなってくるということです。実際に将棋のソフトをつくってる世界でも、科学が専門だったり、法学が専門の人がすごくいいソフトをつくっている。ジャンルや科目というものを飛び越えて、応用していく時代になっていくと思っています。

羽生 あともうひとつ思うのは、将棋でも茶道でも、何らかの能力を身につけていこうとしたとき、“マッピング”されていくんじゃないかなと思いますね。こういう空間の中で将棋はこの辺で、というマップができていくんじゃないかなって。小さい子が幅広い教養を身につけるときに、あらかじめデータと特色が見えていると、バランスよく幅広い経験をした方がいいんじゃないかということが、だんだん可視化されてくるんじゃないかなと。

いまの時代って、ものすごくたくさんの情報やデータがあるので、未知の場面に出会う機会が少なくなっています。未知の場面に出会う機会を増やすことで、自分が経験していないものごとを経験したり、知らなかった場所や環境に身を置いたりするこがは大切になるんじゃないかな。未知のものに出会ったときの適応力とか対応力が結構大切なことだと思っています。


六本木アートカレッジ

六本木アートカレッジは、「自分にとっての『アート』とは何か?」を、感じ、考え、自分なりのこだわりのあるライフスタイルを確立することを目的に2011年にスタートした。毎年秋に開催する1DAYイベントの他、「六本木アートカレッジ・セミナー」を年間通じて開催し、これまでに5,000名以上が参加する人気シリーズだ。ファインアート以外にも、音楽、ファッション、デザイン、伝統芸能、その他様々なジャンルから情報発信をしている。


※[2017.02.14 22:00修正]
内容に誤りがあったため下記を修正しました。
誤「それぞれチェスが100の120乗」
正「それぞれチェスが10の120乗」

誤「理科学研究所」
正「理化学研究所」


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PHOTOGRAPHS BY SHINTARO YOSHIMATSU

TEXT BY WIRED.jp_N