(前回から読む)

『<a  href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4166610694/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4166610694&linkCode=as2&tag=n094f-22" target="_blank"><b>国のために死ねるか</b></a>』(文春新書)
国のために死ねるか』(文春新書)

 伊藤祐靖さんの『国のために死ねるか』(文春新書)で一番グッときた一節はここだ。《私の知っている世界の1位はみんなこうだ。学問の世界は知らないが、特殊戦の業界のみならず、あらゆる種目のスポーツがそうだ。とっかかりは感性だが、裏付けには理論を求める。だから非科学的な説明は決してしないし、独りよがりの理論も持ち出さない》。リアルで、論理的で、心から共感してしまった。なぜなら、これは新製品開発のときに強く感じることだから。お客さんにアンケートを採っても、まだ見たことのない新製品を欲しいという人はいない。こちらで感性に頼ってつくったものを見せて「こうじゃないですか?」と聞くしかないのである。

まず感性、そして決断力を重視すべし

成毛:とりあえずは感性で良くて、でもあとからしっかり理論の裏付けを取る。これは経営でもとても重要なことだと思っています。先日、ソフトバンクが英ARMを3兆円で買収し、みんな驚きました。孫正義さんは「俺は7年先を読んでいる」と言うけれど、でも実際のところは感性で買ったのではないかと思っています。これから7年かけて理論を構築するのでしょう。

伊藤:私が感性を重視すべきだと思うのは、科学的にまだ見つかっていないセンサーがあると考えているからです。人間の感性はときに、現代の科学的センサーは検知できないものを捉える。この感性を力学とか、運動生理学で説明しようとすると相当難しいのではないでしょうか。

成毛:そういう部分を無視して理論だけで新製品を開発してきたのが、少し前までの日本企業だと思います。だから、つまらないものしか作れなくて、アメリカ企業や中国企業に負けてきました。

伊藤:感性軽視もあるでしょうが、決断力の欠如も要因だと思います。

<b>伊藤祐靖(いとう・すけやす)</b><br />1964年生まれ。日本体育大学から海上自衛隊へ。防衛大学校指導教官、「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を体験。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊「特別警備隊」創設に関わる。42歳、2等海佐で退官。以後、ミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国警察、軍隊に指導を行う。現在は日本の警備会社などのアドバイザーを務める傍ら、私塾を開いて現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている(写真:川島良俊、以下同)
伊藤祐靖(いとう・すけやす)
1964年生まれ。日本体育大学から海上自衛隊へ。防衛大学校指導教官、「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を体験。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊「特別警備隊」創設に関わる。42歳、2等海佐で退官。以後、ミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国警察、軍隊に指導を行う。現在は日本の警備会社などのアドバイザーを務める傍ら、私塾を開いて現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている(写真:川島良俊、以下同)

成毛:決断力ですか。

伊藤:何かをするときに「俺がやりたいから」という人がほとんどいないですもんね。「ルールだから」「そうなっているから」を理由に掲げます。しかし、軍人というのは、世の中がぐちゃぐちゃになって、ルールを守っていれば事足りる状況ではなくなったときに必要とされる職業ですから、「道路交通法でそうなっているから」ではなく、「今、ここは右折すべきだ」と自信を持って判断し、そう言えないとならないのですが、私から見ると、日本人はそこが弱いと思います。

成毛:強い人はごくわずかですか。

伊藤:そう思います。

熱望し、思い込み、拒否できる人間を集めよ

成毛:でも、そういう人が、有事の際のリーダー、または有事を戦っているような企業経営者に求めらます。自衛隊では、やはり判断力のある人が指揮官に抜擢されているのですか。

伊藤:まったくないです。

成毛:ないですか。

伊藤:だって、結果を出さなくていいんですから。自衛隊というのは、公式試合のないプロ野球チームのようなもの、電車を走らせていないJRのようなものです。だから、遅延して大騒ぎになることもありません。そういう組織が真面目ではなくなっていくのは、残念ですが、致し方ないことです。

成毛:そういう組織の中での特殊部隊に入るにあたって、メンタルの面での条件はありますか。

伊藤:この部隊に入ることを熱望していること、この任務に向いていると思い込めることです。結果的に変な奴らばかりになってしまいました。

成毛:変わった奴を集めたいというのはよくわかります。私もマイクロソフトのOEM営業本部という部署にいたとき、周りにいるのは変わり者ばかりでしたから。

伊藤:変わった奴というのは、納得できない場合は拒否できる人間ということです。

成毛:上意下達の自衛隊においてそれは確かに変わった存在ですね。なぜ拒否できる人がいいんですか。

伊藤:部下は上司の奴隷ではないですし、この仕事は、本番では自分の命がなくなる可能性が高いですから、もし私が納得できないことを命令したら拒否しろと言っていました。その代わり、こっちは、彼らが納得しない命令を出さない自信があります。

成毛:特殊部隊のリーダーというと、とにかく身体能力が高いというイメージがありますが、実際にはリーダーシップの方が重要なんですね。

イエスマンは、苦しくなるとノーと言う

伊藤:それを大事にしていました。そもそも、自衛隊は上が責任をとれない組織です。もし上官が車の後部座席から部下のドライバーに「飛ばせ」と言ってスピード違反で捕まったら、罰せられるのはドライバーです。上官は責任をとれません。工作船を止めよと組織から言われて、127ミリ炸裂弾を命中させてそこに乗っている日本人が亡くなってしまったら、現場の責任です。軍法がないからです。だから特殊部隊では、任務さえ与えたら、後は個人の判断で撃たせます。

成毛:そうなりますよね。

伊藤:目的は船を止めることであって、船を壊したり、中にいる人を殺すことではないのですから。

成毛:そこを間違うと、前回お話しいただいた任務分析ができていないということになりますね。

伊藤:特に特殊部隊の場合は部下がただのイエスマンでは困るんです。イエスマンは、苦しくなるとノーと言いますから。それでは任務を遂行できません。

成毛:伊藤さんがいらした時代、特殊部隊の訓練に最後まで耐えて、晴れて隊員となった人の比率はどれくらいですか。

伊藤:詳しくはお話できないんですが、1割から2割というところでしょうか。

成毛:あら、だいぶ減るんですね。

伊藤:変な奴はいた方がいいのですが、ダメなのはいないほうがいいんです。

成毛:ダメなの、とは。

仲間と認められること、根性に頼らないこと

伊藤:変な奴らから仲間と認められない人間です。「あいつとは行かない」と言われてしまう者が出てきます。そうなれば、誰が何と言おうと、しょうがないですね、「分かりました」とは言いませんから。

成毛:年齢はどうですか。厳しい訓練をパスして正規の隊員になったとしても、歳を取ったら続けられませんよね。

伊藤:歳を取ると、教育へ回ったり、研究に回ったりですね。

成毛:特殊部隊員は何歳くらいまで務まりますか。

伊藤:個人差はありますが、35歳から40歳が一番いいですね。経験を積まないと得られない技術と体力の両面を考えると、そうなります。

成毛:ビジネスパーソンも、そのあたりが働き盛りです。

伊藤:体力の話をすると、37歳くらいになると周りと同じような訓練ができなくなります。疲労の回復が遅くなるからです。みんなが、一番苦しい時に冷静に自分の体力を考えて、「俺はここで止めておく」と普通に言える人間でないと、そもそも残れません。

成毛:根性でついていこうとするのはダメなんですね。

伊藤:根性などという誰も見たことのないものについて口にする奴は、特殊部隊に入れません。

成毛:変な質問ですが、伊藤さんは、どういう性格の人なんですか。

伊藤:私は人を見る目がないんです。みんないい人に見えてしまいます。

成毛:ええと、本にも少し書かれていますが、お父上はどんな方なんですか。

伊藤:昭和2年生まれで、陸軍中野学校での軍事訓練中に蒋介石の暗殺を命じられました。

成毛:当然、その命令を実行に移すことはしませんでしたよね。

いつでも作戦行動がとれるように備えよ

伊藤:でも、まだその暗殺命令は却下されていません。ですから、父は私が小さい頃、いつでも作戦行動をとれるようにと、自主的に射撃訓練をしていました。

成毛:確か伊藤さんは、1964年生まれですよね。

伊藤:4歳か5歳の頃、父に「何をやってるの」と聞いたことがあります。そうしたら「昔、中国の偉い人を暗殺しろと言われた。だから今日の夕方に行けと言われたら困るので、練習しているのだ」と。「困らないだろう、そもそも、誰に行けと言われるんだ」と私は思っていましたが。幼い私と手を繋いで歩きながら「射撃より爆殺や毒殺の方が得意だ」と言ったことも話していました。

成毛:お父上はもしもフィリピンあたりで終戦を迎えていたら、小野田寛郎少尉のようになっていたかもしれませんね。

伊藤:小野田さんと父は同期です。陸軍中野学校7期生です。

成毛:7期生恐るべしですね。小野田さんだって、任務解除の命令が届かなかったからそこに留まっていたわけですし。その点、グアムに隠れていた横井庄一さんとは違います。

伊藤:1972年に横井さんが帰国したときは大変でしたよ。小学校で「生き残っていた人がいる」「すごい」って話題になりますよね。でも父は「あいつが羽田空港に足を降ろした瞬間に、殺さなくてはならない」というんです。真偽のほどは不明ですが、父は脱走兵だと思っていたんでしょう。小野田さんはその2年後、1974年に帰国しましたが、そのときも周りは「立派だ」「たいしたものだ」と言うのですが、父は「そんなのは当たり前だ」といった感じでした。

成毛:それでお父上は今も訓練を?

伊藤:いや、蒋介石が台湾で亡くなった日を境に止めました。

(つづく)

構成:片瀬京子

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