東日本を襲った巨大震災が引き起こした、福島第一原発の事故が現在世界の耳目を集めています。現場で命がけで奮闘する職員・自衛隊員などのみなさまにエールを送ると同時に、一刻も速い事態の解決を祈るものです。

 さてこの原発事故で、放射能から身を守るためにヨウ素入りのうがい薬を飲むとよいなどという話が出回っているようです。もちろんうがい薬は飲むためのものではなく、危険なデマに過ぎないのですが、なぜここでヨウ素が出てくるのか、筆者なりに解説してみたいと思います。

 原子力発電所で「燃料」となるのはウランという金属、中でも「ウラン235」と呼ばれる同位体です。この原子核は陽子92個、中性子143個から成っているのですが、ここに中性子をひとつ撃ち込むと不安定になり、原子核が真っ二つに分裂します(核分裂)。ここで生じるエネルギーを取り出し、電気を起こすというのが原子力発電所の原理です。

 この核分裂のしかたは一通りではなく様々な割れ方をし、クリプトン・イットリウム・キセノン・バリウムなど多様な種類の元素が生成します。これらもまた不安定であり、放射線を発しながら安定な原子核に落ち着こうとします。これが放射性廃棄物と呼ばれるもので、厳重な管理を要します。

 これら様々な核分裂生成物の中で、なぜヨウ素が問題となるのか。一つにはヨウ素が気化しやすいため吸い込んでしまいやすいこと、もう一つは体内で「甲状腺」という器官に集まり、障害を引き起こす性質があるからです。

 ヨウ素はもともと自然界には少ない元素で、生物が作る有機化合物にヨウ素が含まれることはほとんどありません。その数少ない例外がチロキシンなどの甲状腺ホルモンで、エネルギー生産を高めるなどの役割を持ち、いわば体のアクセルに当たる物質です。
thyroxin
チロキシン。紫の球がヨウ素。


 この甲状腺ホルモンに含まれるヨウ素は、ほとんどがヨウ素127(陽子53個+中性子74個)という安定な原子です。しかし原発から出る廃棄物にはヨウ素131(陽子53個+中性子78個)という核種が含まれており、これが体内でチロキシンに組み込まれ、甲状腺に集まってしまうのです。ここでヨウ素131はベータ線と呼ばれる放射線を出し、周りのDNAを傷つけてガンなどを引き起こします。

 この危険を防ぐために、体を安全なヨウ素127で予め飽和させておき、ヨウ素131の取り込みを妨げる方法が採られます。この目的で、放射性廃棄物に接触した人にはヨウ化カリウムのカプセルを投与することが行われるのです。

 うがい薬にもヨウ素は含まれていますが、これは反応性の高い単体ヨウ素を含むため、多量に摂取すると様々な障害の原因になりますので絶対にやめておくべきです(このあたり、東京大学医学部の中川恵一准教授グループによるツイート(@team_nakagawa)が参考になります。理学部物理学科の早野龍五教授(@hayano)と組み、詳細な解説をされています)。

 ではうがい薬ではなくヨウ化カリウムを服用しておいた方がよいのか?現時点でその必要はありません。上記中川先生のツイートにもある通り、現在のところ待避圏外では、人体に有害なほどの放射能は観測されていないからです。検査を行った1万人以上の地元住民の中にも、危険なレベルの放射能が観測された人は一人もいません。また各都市で、いくつもの団体によって独立に行われている放射線モニタリングでも、今のところ健康に影響するレベルのデータは全く出ていません。もちろんもう全く大丈夫ですなどといえる段階ではなく、今後の推移を慎重に見守らねばなりませんが、現状を見る限りあまり過敏に反応すべきでないとはいえるでしょう。

 筆者は原子力や核物理学の専門家ではないため、あまりこの問題について論じるべきではないかと思っていたのですが、過剰反応による弊害が目立ち始めているように思ったので、あえてここで書いてみることとしました。
 ラジウム温泉ほどもない放射能に怯え、被災地である福島に救援物資が届かなかったり、福島県の人や産物がいわれのない差別や風評被害を受けるのであれば、あまりにも残念だと思うからです。

 「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、 正当にこわがることはなかなかむつかしい」とは寺田寅彦の言葉です。どのあたりが本当に正当な怖がり方かは、筆者も今後考えていかねばならないところではありますが。

 何とも大変なことになったと思うと同意に、いくつものことを考えさせられる事態ではあります。一刻も速くこの問題が解決し、福島と周辺住民が平穏に暮らせる日が来るよう願わずにいられません。