『それでも町は廻っている』はたいそう素晴らしい

 はじまったばかりのアニメで知ったくちだけれども、漫画『それ町』のよさに参ってしまっている。うまく言えないが、20くらい要素があったら18か19くらいはしっくりくるというか、いいなぁと思うのである。1冊読めば何度も読み返し、また読み返しの繰り返しであって、あえて一気買いなどせず、今のところ5巻までで我慢しているが、まったくすばらしい。
 20あって19すばらしいということは、どこがいいとは簡単に言えないが、たとえば紺先輩が歩鳥と飯食うシーンがあって、「あれ、紺先輩友だちいないのかな?」と思わせておいて、続刊でそのあたりが明らかになる。もっと細かいところでも、後に出るところをさりげなく仕込んでおく。しっかり土台というか世界があって、というあたりがいい。それは舞台に限らず、人間に土台と過去を感じさせ、追憶は真に追憶の気配がある。大きくなって小学校を訪ねる、というシーンには、あれだけのディテールがなくてはならん。あと、ポンちゃんが「フーン」っていうのが非常によいし、それよりもやはり紺先輩などとてもすばらしく、熱にうなされる→殺すしかねぇのあたりなどは、もう額に入れて飾っておきたいレベルなのである。ボムプキ。
 しかしなんだ、アニメについての2chまとめサイトなどで、「原作ファンはこれを嫌う、認めない」的な書き込みが見られるが、そういうのはあてにならねぇな、と。先に述べたとおり俺はアニメが若干先行する形なのだけれども、どっちも楽しいだろうと。ただ、アニメの方は20なにかがあったら14から16というあたりで(なんだよその数値は)、ナレーションと場面転換のポンちゃんあたりはなにかちょっと違和感があるのだけれども(おそらくは原作知らずでも)、言うほど原作がまったりしているわけでもないし、むしろシーサイド店内の色合いとか、歩鳥の動きとか楽しいじゃねえかと。紺先輩動いてていいじゃねえかと。主人公の声がたまらんじゃないかと。
 まあ、そのあたりで、「アニメは地上波で無料で楽しむもの」というところを逸脱しつつある昨今、いろいろどんばまりしていこうと思う。おしまい。