労働と自由

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起業後、981日目。 

今日は、労働と自由について。

昨年から、大学生を対象に就活相談会を行っている。
この会を行う楽しみの1つに、「僕が忘れかけた、純粋な疑問との再会」がある。 

昔はものすごい謎だったのに、時間が経って、大人になったら忘れてしまった疑問。
今年の3月、学生からそんな疑問(質問)を受けた。

「そもそも、なぜ、はたらくんでしょうか?」

脳みそに汗をかいた。この問いに答えることは、容易ではない。

はじめに、「生きる(食べる)ためだ」という回答は、今の日本では、説得力を持たない。「働かざるもの、食うべからず」という言葉があるが、実際「働かざるして、食っている」人達はたくさんいる。 

では、「良い暮らしをするためだ。そのために、金を稼ぐためだ」という回答はどうだろう?

こんな話がある。

仕事で南の島に出張になったウォール街の証券マンが、
島の浜辺で海を眺めてる同年代の漁師の男を見かけて、質問した。

証券マン「なんで浜辺でのんびりしてるんだ?昼間も海に出て稼ごうとこうとは思わないのか?」
漁師「なんでそんなに一生懸命働く必要があるんだ?」

証券マン「そりゃ、金をたくさん稼いで老後にのんびりするためだろぉ。」
漁師「もうのんびり生活できているさ。」

漁師の一言を受けて、証券マンはハっとしたのではないだろうか。「オレは、なんのために一生懸命働いているのだろうか?」と。

僕は、働くことの本質的な理由の1つは、「自由を得る」ことだと思う。

僕の知る限り、多くの人が、自由を得るためにお金を稼いでいる。「自分の趣味に没頭する自由」「仕事をやめたくなったらやめる自由」「家族を持つ自由」「離婚する自由」「好きな事業をやる自由」「子供に不自由させない」など、積極的&消極的意味の両面において、自由を求めて仕事をしている人は多い。

だとすると、目的と手段の順番はこうだ。

自由  >> お金  >>  働く

ところで、自由を得るための手段としての仕事において、「不自由」を感じることがあっても良いのだろうか?

例えば、

・自分の信念や倫理には反するが、顧客から要求があったので、しぶしぶ実行する
・上着やネクタイは着なくても良い日だと思うが、上司の視線が気になって、着てしまう
・労働時間が長く、自分の意思と反して拘束される       など。

コレは、「素晴らしい未来のために、今は我慢しましょう。そうすれば、やがて報われます」みたいな発想に近い。僕は、将来報われない可能性の方がはるかに高いし、時間の量で考えても、「今」の合計の方が圧倒的に多いから、やめた方が良いと思う。

同様に、老後の自由のために、今の自由を犠牲にしたり、土日祝日の自由のために、平日の自由を犠牲にすることは、やめた方が良いと思う。

だから、HALOでは「自由」をとても重視している。

例えば、

・服装はなんでも良い。
・決まった出社時間はない。
・家やカフェで仕事しても良い。
・会社に来なくても良い。

その日のスケジュールを確認の上、問題ないようであれば、昼間から酒を飲んでも良い。

すべては、個人の裁量に任せている。

僕は、同僚や上司、世間体を意識しながら行う「なんちゃって裁量労働制」や「なんちゃってクールビズ」や「なんちゃってフレックス」を心から、悪しきものだと思っている。

そこには、「自由」ではなくて「空気(不自由)」しかないからだ。そして、ところどころに合理性と楽しさを欠いている。

だから、「自由と責任を愛する」という会社のカルチャーに共感してくれた人しか入社してもらわないようにしている。加えて、僕自身が「自由」を体現するようにしている。

具体的には、海パンを履いて出社したり、髪をロン毛にしてみたり、必要以上に日に焼けてみたり、朝早く出社しなかったり。

制度はあっても、明文化されていても、上司や社長が醸し出す「空気」によって台無しになることが多いからだ。

以上、「自由」には強いこだわりがある。

根底には、社員、さらに言えば、人間に対する信頼がある。

不信を根底にした制度や空気の元では、人のパフォーマンスを最大限発揮させることはできない。「報酬」の面だけでなく、「知的資源の活用」という面においても、極力、人を管理してはいけないのだ。

“漁師みたいな証券マン”は、最高の仕事をすると思っている。

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