【小さな序】


 歴史的仮名遣ひが一般に使われなくなつて、約六十年がたちます。
 古文は、言ふまでもなく歴史的仮名遣ひで書かれてゐます。しかし、中学・高校で古文を学習しても、親しむところまでは行かず、ただ退屈なものだとの印象を抱いたまま大人になつた人が多いのではないでせうか。

 歴史的仮名遣ひを使はないことで、我々は古文に親しまうとすれば非常な困難を強いられ、そのせゐで多くのものを失つてゐるのではないでせうか。

 日本語の長い歴史の中で、今の仮名遣ひが使用されて来た六十年といふ年月は余りに短く、またそれは、それまでの伝統とどんどん離れて行く過程でもありました。

 たかが(と言つてしまひますが)歴史的仮名遣ひを使用していない時代だからといつて、千年以上にも及ぶ日本語の伝統を化石のやうに扱つてしまつてよいものでせうか。私には、さうは思へません。


 さてここまでの文、歴史的仮名遣ひで書いてゐますけれど、だうですか。意味の分らないところはないはずです。

 オヤと思ふのは単に仮名遣ひの問題であつて、それがいつも見るのと変はつてゐるからに過ぎません。少なくとも皆さん、読める。ですから、仮名遣ひ自体は難しいものではないのです。

 以下「書く」ことを主眼に、仮名遣ひの決まりを説明して行きます。歴史的仮名遣ひを学んで、古文に親しんでみませんか。



【1】「いる」を「ゐる」と書く


 鳥がいる

 犬がいる


 この文のやうに存在を示す動詞「いる」を「ゐる」と書きませう。これは、漢字にすると「居る」といふ動詞です。ですから「弓をいる」「千円がいる」「豆をいる」などは、ここに当てはまりません。それぞれ漢字にすると「射る」「要る」「射る」なので。


 また、「いる」はある動作が継続しているときにもよく使われます。


 鳴いている

 読んでいる

 怒っている


 このような場合も「ゐる」と書きます。

 なお、この「ゐる」の「ゐ」はワ行です。ワ行をすべて歴史的仮名遣いで書くと「わゐうゑを」、カタカナですと「ワヰウヱヲ」になります。