無断リンク禁止の解釈

我々が街を歩くとき、もしも誰かから勝手に尾行され、どこを歩き何をしたかについて誰でも見れるような場所に貼り出されたとしても、そのことを受け入れられるでしょうか。あるいは、携帯電話で話しながら自動車を運転している誰かを見かけたときに、その姿を写真にとり、顔だけは消しを入れたとしても、ナンバープレートなどは映っている状態で誰でも見れる場所に貼り出すことに問題はないのでしょうか。

街を歩けば他人から見られてしまう、車を運転すれば他人から見られてしまう、自身のウェブページに文章を書けば他人から見られてしまう。

しかし、思うに、我々は案外うまくやりくりできる方法を知っているのではないでしょうか。つまり、他人のその手の情報を目にした場合、自身の手の届く範囲で管理するという責任を相手個人に対して負うという形でのやりくりです。(もっといえば、「人」と「ケダモノ」の究極の違いは、そのよな「責任」を負う者同士であるかどうかにあるようにも思えます。)

たとえば、街を歩いていてたまたまクラスメートが意外な相手とデートをしているのを目撃したとします。そのことをクラス全員におおっぴらに広めることをそのクラスメートが構わないと思っているかどうか判らない場合、信頼できる何人かには教えたとしても、それ以上には広めたりはしないでしょう。ここで、信頼できるとは、教えられた情報を自身の判断で勝手に更に広めたりはしないということを言います。

ならば、そのクラスメートがクラスのみんなに秘密裏にその意外な相手と街でデートし続けることは、そのクラスメートにとっての権利なのでしょうか。たとえそのデートの様子があまりに目に余ったとしても、「目に余るならば見なければいい。見るのが嫌ならそいつが街に出てこなければ俺たちのデートの様子も目にすることはないだろう」というクラスメートの主張を受け入れなければならないのでしょうか。

そうではありません。この件に関してそのクラスメート個人に対して負っている責任は、本人に対する通告なしに相手情報を自身の管理外に解き放ったときに生じます。したがって、クラスのみんなに伝える旨をそのクラスメートに通告すれば、もはや責任は生じません。通告を受けたそのクラスメートは、街でデートをつづけることを諦めることでクラスのみんなに知られるのを免れるか、クラスのみんなに知られるのを受け入れたうえで街でデートをつづけるかの選択をせざるを得ないでしょう。つまり、「嫌なら見るな」は成立しないわけです。

無断リンク禁止宣言の扱いも同じでしょう。リンクを張る前に通告をすることによって、リンク先にある内容を消去するか、リンクされることを受け入れるかの選択をさせることで、リンク先が削除されない場合にリンクをすることに関して相手に対する責任は生じさせずに済むことになります。しかし、この手続きなしにリンクをすることは、自身が「ケダモノ」であることを宣言していることに他ならないでしょう。

あと、自分の講義の試験についてのカンニング告白をネットで目にした場合も、やはり事前通告によって告白を消去するか、それともネット上で直接言及することを受け入れるかの選択をさせるという手続きなしに、直接言及してしまうということは、相手を「人」として扱わない「ケダモノ」としての振る舞いに他ならないような気がします。

ブコメレス

ネットの出来事を非ネットの何かに喩えるのは無理があるような

はてなブックマーク - ekkenのブックマーク / 2010年9月12日

ネットなのだから相手を「(非ネットにおけるいわゆる)人」として扱わなくてもよいということの方がよほど無理があるような

@ekken http://htn.to/FwoWJR 続きが書いてあったけど、結局「無断リンク=悪」という結論を導く為の前提でしか書かれていなかった。

http://twitter.com/ekken/status/25691797108

いったい何をもって「無断リンク=悪」を主張しようとしていると解釈しているのか判らないのですけど。本記事では、無断リンクは「他人の情報を目にした場合、自身の手の届く範囲で管理するという責任を相手個人に対して負う」という態度から逸脱した行為であるという点を述べているだけであって、「悪」とのからみについては何も述べていないわけですが?

トラバレス

くっぱさんの例示の行為は、恐らくは何らかの犯罪行為として認定されるものだと思います。

「無断リンク=悪」という結論ありきの喩え話イクナイ:ekken

これってはたして個人対個人で認定されているものなのでしょうか。たとえ社会が認定していなかったとしても、「ケダモノ」は生じないと言えるでしょうか。

自分の行動を自分でネットに掲載したとして、それを面白がった人が「面白い日記見つけたよ! ⇒こちら」とリンクしたり、URLを書き込んだりする事は、被リンク側の感情問題を除くと特に問題があるわけではないです。

「無断リンク=悪」という結論ありきの喩え話イクナイ:ekken

自分の行為を自分で街で実行したとして、それを面白がった人が「面白い人見つけたよ! ⇒こちら」とその行為が見れる場所や時間を誰でも見れる場所に貼り出したりすることは事は、貼り出された側の感情問題を除くと特に問題があるわけではないです、、というようなことを言っていると思うけれど、そのようなことをするのはやはり「ケダモノ」だと思います。面白がるにも個人の管理の届く範囲で面白がるのが「人」というものではないでしょうか。

「街を歩いているときの行動について、自分自身で作文し、どこを歩き何をしたかについて、誰でも見れるような公共の場所に貼り出した→それを読んだ人が“あそこにこんな張り紙がしてあった”と話題にした」 これは是か非か? ということになるでしょう。

「無断リンク=悪」という結論ありきの喩え話イクナイ:ekken

自身の管理の届く範囲で話題にするのは問題ないのではないでしょうか。張り紙はいつでもはがせるのだから、通告なしに自身の管理の範囲を超えて張り紙のことを話題として広めるのはいかがなものかと思います。

他人に知られたら困る事・他人に言及してほしくない事はウェブ上に公開しない/知られても構わない相手にしか読ませない(閲覧許可のない人には読めないサービスを利用する)で解決します。

「無断リンク=悪」という結論ありきの喩え話イクナイ:ekken

街でデートしていることを広められたくなければ街でデートしなければ解決するし、自転車でコケたことを広められたくなければ街で自転車に乗らなければ解決します。でも、そんな解決法をとらなくても、普通は目撃しても自分の管理外に勝手には広めないという形でお互いにやりくりしているのではないでしょうか。

誰にでも読める場所に、自らが発表しているのに「多くに人に読まれたら困る」などと言い出すのはケダモノではないですが、バカモノだろうなぁ。

「無断リンク=悪」という結論ありきの喩え話イクナイ:ekken

誰にでも目撃できる街で自らデートしているのに「クラスのみんなに知られたら困る」などと言い出すのは、それほどバカモノではないように思いますけど、どうなんでしょう。「ケダモノ」な価値観をもつ人から見たら「喰われたくなければ穴に引っ込んで表に出てくるな」ということなのでしょうか。