学校に行かなくても大丈夫 10年間の不登校を経て社長になった僕から見た学校

    幼稚園から小中学校の不登校を経て、高校3年生で起業、大学生になった今、1億円のファンドを作り、内閣府から最年少で地域活性化伝道師に選ばれた小幡和輝さんインタビュー前編です。

    高校生で会社を作り、2017年には47都道府県から参加者300人を高野山に集めて地方創生会議を開催。今年に入って1億円の地方創生ファンドも設立した。

    ひょろりと伸びた178センチの長身で、ニコニコしながらそんな華やかな経歴を語る大学生、小幡和輝さん(24)。実は、幼稚園の頃から中学3年生まで10年間不登校だった経験を持つ。不登校の子どもたちへの支援事業も手がけ始めた。

    「不登校は不幸じゃないし、学校って本当に必要なのか社会に問いかけたい。義務教育だからとか、いい大学に入って、いい会社に入るためというのは思考停止です。なんのために学校が必要なのか、答えを返してほしいのです」

    出る杭を打つ空気に嫌気 小学2年生から完全に不登校に

    和歌山県湯浅町という人口約1万2000人の小さな町で育った小幡さんは、幼稚園の頃からちょこちょこ登園しない日が増えた。

    「お遊戯会」などやりたくないことを強制されるのが嫌だったし、砂場でもっと遊びたいのに止められるのが納得できない。

    小学校に入ってからは、我慢できないことがさらに増えた。決定的になったのは、小学2年生の時休み時間の出来事だ。「3引く5は?」と友達の誰かが言い出し、「マイナス2だよ!」と得意になって答えた。

    小学校2年生ではまだマイナスの概念は習っていない。感心してくれるかと思いきや、みんなの反応は冷たかった。漫画から身につけたことわざや漢字も、みんなが知らない言葉を知っていると白けたムードが漂う。

    「その頃から僕は近所に住む中学生のいとこと遊んでいたので、苦手な科目はできないけど、一部の科目については中学生レベルのものまでわかっていたんです。でも、みんなが受けている授業の枠内なら褒められるけど、それ以上できるとむしろ『小幡くん、ちょっと待とう』と止められる。むしろ悪いことをやったという空気になる。先生もそうでした」

    「嫉妬のようなものでしょうか。僕はそんな感覚がなくて、すごい人がいたらすごいなあと思って、その人からどうやって盗むか、その人に負けないようにどうやって頑張るか考えるのですが、できるやつは落とそうとするあの空気が全く理解できませんでした」

    それ以来、学校を休む頻度がさらに増え、2年生の中ごろには全く行かなくなった。中学の教師だった父は学校に行かせようと、毎朝叱りつけた。

    「それが毎朝3ヶ月ぐらい続きました。玄関前まで引きずられたこともあるし、ゲームを壊されたりもしました。でも本当に嫌だったし、頑として行かなかった。今振り返ると、父親の気持ちもわかります。田舎なのですぐ情報は広まりますから、自分の息子が不登校だと知られている生徒の前で授業をするのは辛いですよね」

    いとこや仲間とゲーム三昧 引きこもらない不登校の日々

    不登校になったからといって、自宅に引きこもっていたわけではない。

    近所に住む5つ上のいとこも同じタイミングで中学に入ってから不登校になり、やはり近所の祖父母の家に行っては、一緒に1日中ゲームで対戦していた。

    自治体が不登校の児童や生徒のために設けている「適応指導教室(現・教育支援センター)」にも通っていた。勉強はせず、仲間と一緒に数時間好きに遊ぶ場所だった。

    「僕はゲームやトランプ、卓球をやっていました。カードゲームの『遊戯王』が流行りだして僕はすごく強くなった。ネットで大会があることを知り、参加し始めた中2ぐらいからは毎週のようにカードショップに通って、知り合いがぐんと広がりました。最終的には和歌山県でチャンピオンになったんです」

    学校からはみ出した自分にとって、初めて誰かに認められた体験だった。

    「嬉しかったですね。それまでなかなか評価される機会がなかったので。友達同士では盛り上がっても、親はゲームでは評価してくれない。大会に優勝して賞品をもらったりすると、自分を認めてくれる場所があるんだと感じました」

    全国大会にも勝ち進み、全国16位など上位に食い込むうちに、自分の住んでいる湯浅町以外にも親しい仲間がたくさんできた。

    「囲碁も全国大会レベルまで強くなったのですが、囲碁や将棋を本気でやるとバカにする人はいないのに、ゲームを本気でやっているとバカにされるのが不思議でした。競技としてのゲームは違うし、娯楽としてのゲームもコミュニケーションツールです。大人のゴルフや草野球だって何の役にも立たないかもしれないけれど、仕事に役立つ以前に、みんなで楽しむという喜びがあるわけですよね」

    「僕は不登校でも一人で引きこもってゲームというのは勧めていないです。コミュニケーションの手段だし、その中でコミュニティができ、学校以外の居場所ができるということが大事だと思うのです。子供にとってはゲームもそういう手段になり得るという認識を、親が全く持たないのが辛いですね」

    真似したくなる人との出会い、広がるコミュニティ

    高校は楽しかった。いとこが定時制高校に行き、適応指導室の仲間も定時制高校に行くと言うのに引っ張られて、自身も定時制高校に進学した。

    「ゲームを通じて歴史は得意でしたし、授業が簡単だったので、もっと勉強したいと先生に言ったら、別の学校から教科書を取り寄せてくれたり、授業が終わったら好きなことをしていいと自由にさせてくれたりしました。大学もそうですが、興味のあることはとことんやり、興味のないものは最低限単位を取ればいいと自主性に任せてくれた。その学び方は自分に合っていたのだと思います」

    高校2年生の時、大河ドラマに惹かれNHK和歌山放送局の番組見学ツアーに参加した。たまたま隣の席だった一つ上の高校3年生の男の子が、帰り道、ライブイベントを運営していることを話してくれ、「一緒にやらない?」と誘ってくれた。

    「行ってみたら、彼も彼の周りの人もすごく楽しそうでした。一般の人も来るライブイベントを一から企画して、自分も出て、他人も出る。自分もやってみたいと思って、そこから1年ぐらいスタッフとして手伝うようになりました」

    中学の頃からカードショップで大会のスタッフとして手伝っていた経験が生かされた。

    「コミュニティが広がるとそこで色々学ぶし、一つのコミュニケーションが次を呼ぶ。高校もいとこや適応指導教室の仲間が行っているから僕も行きたくなったし、イベントの手伝いもカードショップの経験があったから抵抗感がなかった。信頼できる人ができるとそこから広がることっていっぱいある。コミュニティを絶やさずにつながっていくことから、世界が広がっていったのだと思います。

    学校はコスパがいい 行きたいなら行った方がいいと思う理由

    ところで、幼稚園のころから小中学校と不登校を続けた小幡さんだが、定時制高校はほぼ皆勤だった。何が違ったのか。

    「学校が合わないというよりクラスのメンバーが変わったら行けるパターンはあると思うのです。社会人でも、この部署は合わなかったけれど、部署が変わったら楽しく仕事できるようになったということはあると思います」

    「コミュニティは相性です。学校のコミュニティの作り方はめちゃくちゃですよ。たまたまその地域に住んでいた40人が同じクラスになって明日から仲良くしろなんて、そりゃ合わない人もいるでしょう」

    小幡さんには学校が合わなかったが、実は不登校を推奨しているわけではない。

    「行けるなら行った方がいい。行きたいなら行った方がいい。なぜかと言えば、行かない方がやはり大変なんです。自分で勉強をしたり、自分でコミュニティを作ったり、自分で行動しなくてはいけない量がすごく多くなります。中学生ぐらいになれば行動範囲も広がりますが、小学校低学年だとどこに行くにも親が連れて行かなければなりません」

    文部科学省の学校基本調査(2016年)によると、全国の小中学校で不登校の子供は約13万人。2015年の同省調査では、不登校の児童・生徒の受け皿になる教育支援センター(適応指導教室)は約4割の自治体で設置していなかった

    「ない場合は親が車で連れて行かなければならなかったりするので、親の負担が現実的に増えます。自分が働きながら子供を育てなければならないシングルマザーだったらどうするのかなどと考えると、やはり学校は勉強面でもコミュニティを作る上でもコスパがいいと言わざるを得ません」

    さらに小幡さんは、「我慢」や「嫌いなことをやること」も学校の効用の一つとして挙げる。

    「学校に行かなくなると好きなことしかやらない。もちろん才能や得意なことは伸ばした方がいいのですが、自分の興味のあることしかやらないと視野が狭まる可能性があります。それは多分もったいない。どこかで自分の可能性やチャンスを狭めている可能性があると思います」

    小幡さんは泳げない。水泳から逃げ続けた結果だ。また、運動が大嫌いだったが、最近ダンスのレッスンを受けて踊る機会があったら、思いがけずとても楽しかった。

    「嫌いと思っていたことも意外とやってみたら面白かったということはたくさんある。苦手なことも一度はチャレンジさせるということは大事だと今はわかりますし、そこに学校の価値はあるのではないかと思います」

    命と学校は比べられるものではない

    ここで私が「でも、死ぬほど嫌だったら行かない方がいいですよね?」と尋ねると、終始笑みをたたえながら話していた小幡さんが、一瞬、険しい顔になった。

    「僕も以前はそう表現していたのですが、今はその言葉は使わないようにしています。よく、『死ぬくらいなら行かない方がいいよ』と言う人がいますが、死ぬのと学校に行くのは比べられるレベルのものではない。夏休みが終わる頃になると、『死ぬぐらい辛ければ逃げてもいいよ』といろいろな人が言っていますが、学校は命と比較するものではないと思います」

    「行くか、死ぬか」のように等価値のように並べられる選択肢ではないのだと強く指摘する言葉を聞いてハッとさせられた。

    「ある意味、その言葉が逆に本人にプレッシャーを与えている気がします。結局、それは、学校に行くということはものすごく重要なことなんだよと強調する言葉でもある。僕は最近使わないようにしているし、そんな言葉で子どもを追い詰めてはいけないと思います」

    【後編】不登校のその先へ 経験者として問いかける「その授業必要ですか?」


    【小幡和輝(おばた・かずき)】NagomiShareFund&地方創生会議創業者、内閣府地域活性化伝道師、#不登校は不幸じゃない発起人

    1994年、和歌山県生まれ。合計約10 年間の不登校を経て、定時制高校3年生の時にイベント運営会社を設立。2017年、47都道府県から参加者を集めて、世界遺産の高野山で「地方創生会議」を開催。2018年1月には1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地域活性化のための新しい仕組み作りに奔走している。

    著書に『学校は行かなくてもいい 親子で読みたい「正しい不登校のやり方」』(健康ジャーナル社)がある。2018年に展開した「#不登校は不幸じゃない」キャンペーンは多くの人が参加し、今も拡散され続けている。

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