理論社・新しい児童文学を追い求め続ける出版社の軌跡 その1 60年代編

児童書専門の出版社理論社民事再生法の適用を申請しました。理論社は児童書出版社を代表する老舗ですが、決して守りに入らず、創業以来ずっと児童書界に新しい風を吹き込もうとする姿勢を貫いてきました。もし理論社が見殺しにされるようなことになるとしたら、それは日本の文化に未来はないということを意味します。
理論社を応援するために、その功績をまとめてみました。もし興味を持っていただけたなら、理論社再建のために一冊でも二冊でも理論社の本を買っていただけるとありがたいです。

戦後児童文学の黎明期と小宮山量平

戦後児童文学が本格的に始まったのは1959年であるとされています。この時期は理論社が創作児童文学を刊行し始めた時期と重なります。戦後児童文学の歩みは理論社と共にあったと言っても過言ではありません。
60年代は児童文学のカンブリア紀でした。児童文学が一気に多様化し、それまで見られなかった斬新な作品が続々と発表されるようになりました。その背後には、理論社の創業者にして編集者の小宮山量平の活躍がありました。
今江祥智寺村輝夫古田足日山中恒といった、今となっては児童文学界を代表するビッグネームも、このころはまだ無名の若者でした。こうした若者を見出して、理論社で彼らのデビュー作や初期の代表作を刊行したのが小宮山量平だったのです。彼がこの時期に生み出した作品の多くは、今でも読み継がれているロングセラーになっています。
おそらく小宮山量平は児童文学の発展のために悪魔に魂を売ったのでしょう。でなければ、これだけのダイヤの原石を発見できたことに説明がつきません。
では、具体的な作品を見ていきましょう。

1960年

この年の最大の話題は、山中恒が一挙に三作品を刊行したことでした。当時の児童文学界の出版事情では、無名の若者が年に三冊もの本を出すことは考えられない快挙でした。その三作のうち二作、『とべたら本こ』と『赤毛のポチ』が理論社から刊行されていました。
とべたら本こ』は、小学五年生の少年カズオの父親が競馬で大穴を当てたところから家庭が崩壊し、カズオが元の家を含めてみっつの家族を渡り歩く波瀾万丈のストーリーです。『赤毛のポチ』は北海道の炭坑町のはずれにある貧乏長屋の生活が描かれたリアリズム作品です。
さらにこの年、今江祥智のデビュー作、ユーモア児童文学の『山のむこうは青い海だった』も理論社から刊行されています。

とべたら本こ (理論社名作の愛蔵版)

とべたら本こ (理論社名作の愛蔵版)

赤毛のポチ (理論社名作の愛蔵版)

赤毛のポチ (理論社名作の愛蔵版)

山のむこうは青い海だった (理論社名作の愛蔵版)

山のむこうは青い海だった (理論社名作の愛蔵版)

1961年

「王さま」という個性的なキャラクターを前面に押し出し、ナンセンスワールドを展開した寺村輝夫の『ぼくは王さま』。
現実を二重写しにする前衛的な手法を使い、ある町が権力に浸食されるさまをスリリングに描いた古田足日の『ぬすまれた町』。
北方の雄大な自然を背景にスケールの大きな冒険を描いた神沢利子の『ちびっこカムのぼうけん』。
義賊「東京ルパン」の謎を追いながら社会の矛盾をあぶり出した砂田弘の『東京のサンタクロース』。
60年からの勢いに乗って、この年も児童文学史上重要な作品が多数理論社から刊行されました。

ぼくは王さま (新・名作の愛蔵版)

ぼくは王さま (新・名作の愛蔵版)

全集古田足日子どもの本 (第13巻)

全集古田足日子どもの本 (第13巻)

ちびっこカムのぼうけん (新・名作の愛蔵版)

ちびっこカムのぼうけん (新・名作の愛蔵版)

1964年

1964年には、乙骨淑子のデビュー作『ぴいちゃあしゃん』が刊行されました。北中国に配属された少年通信兵が、日本人が中国人にヘロインを売っているという事実を知ったことから思わぬ運命に巻き込まれる戦争児童文学です。

乙骨淑子の本 (第1巻) ぴいちゃあしゃん

乙骨淑子の本 (第1巻) ぴいちゃあしゃん

1965年

みんな子供のころ金泉堂のエクレールが食べたいって思ったよね。
大石真によるロングセラー『チョコレート戦争』が発表されたのがこの年です。金泉堂という高級洋菓子店のショーウィンドウのガラスを割ったという濡れ衣を着せられた子供たちが、金泉堂のシンボルであるチョコレートの城を盗み出そうとしたり、学校新聞で無実を訴えたりして大人に戦いを挑みます。この作品では娯楽性が重視されており、きれいな逆転劇で子供が大人に勝利する痛快なストーリー運びで多くの子供の支持を得ました。
幼年童話の世界に新風を巻き起こした小沢正の『目をさませトラゴロウ』も1965年の作品です。おのれの食欲にのみ突き動かされて生きる虎のトラゴロウのキャラクターは強い印象を残します。さらに、自己同一性の不安という難しいテーマを、幼年向けにわかりやすくおもしろく語るという荒技を成し遂げています。

チョコレート戦争 (新・名作の愛蔵版)

チョコレート戦争 (新・名作の愛蔵版)

目をさませトラゴロウ (新・名作の愛蔵版)

目をさませトラゴロウ (新・名作の愛蔵版)

1967年

小学校の教科書でもおなじみの、斉藤隆介による創作民話集『ベロ出しチョンマ』が刊行されました。滝平二郎の挿絵と合わせて彼の作品を記憶している方も多いことでしょう。彼の創作民話では、厳しい状況下で懸命に生きる民衆の姿が感動的に描かれています。後に『ベロ出しチョンマ』の収録作の多くは同様に滝平二郎のイラストで絵本化され、民話絵本ブームを生むことになります。

ベロ出しチョンマ (新・名作の愛蔵版)

ベロ出しチョンマ (新・名作の愛蔵版)

1968年

上野瞭が『ちょんまげ手まり歌』でデビューしました。この作品は戦後児童文学のなかでも最大級の問題作で、さらに抜群の破壊力を誇るトラウマ児童文学としても知られています。
人口調整のために子供を殺し、殺されなかった人間も足に傷を付けて逃げられないようして、幻覚を起こす植物を栽培させる凄惨なディストピア「やさしい藩」の実態を描くことで、現代社会の闇を象徴的に暴き立てた作品です。あまりの残酷な内容のため、ある文庫から追放されたという逸話が残っています。

ちょんまげ手まり歌 (理論社名作の愛蔵版)

ちょんまげ手まり歌 (理論社名作の愛蔵版)

1969年

奥田継夫のデビュー作『ボクちゃんの戦場』が発表されました。戦時下の疎開生活という極限状況下で利己的に振る舞う子供の姿が描かれている作品です。腕力の強いものが勢力を伸ばして弱いものを虐げ、腕力の劣る主人公は級長という立場を利用して小ずるく立ち回ります。子供を理想的に描くことを放棄し、ありのままの醜い子供像を提示したことで、児童文学のひとつのタブーを打ち破った作品であると評価されています。

ボクちゃんの戦場 (理論社の大長編シリーズ)

ボクちゃんの戦場 (理論社の大長編シリーズ)

70・80年代編につづく