選挙前の10月、トランプのラリーに集まった支持者(筆者の夫デイビッド・ミーアマン・スコット撮影、以下同)
選挙前の10月、トランプのラリーに集まった支持者(筆者の夫デイビッド・ミーアマン・スコット撮影、以下同)

 アメリカ大統領選挙の予備選では、投票の開幕戦に匹敵するニューハンプシャー州が重視される。ここで苦戦する候補は「勝つ見込みなし」と判定され、脱落せざるを得なくなる。そこで、早い場合は選挙の2年前から、遅くても1年半前には、ここで集中的に政治イベントを行って支持者を集める。

 このニューハンプシャー州で、予備選中に共和党で有力視されていたマルコ・ルビオ、ジョン・ケーシック、ドナルド・トランプ、民主党のヒラリー・クリントンとバーニー・サンダースのイベントに足を運んだ。候補だけでなく、支持者を知りたかったからだ。メディアの一人ではなく、参加者として列に一緒に並ぶと、みな、仲間として打ち解け、心情を率直に明かしてくれる。そこで知ることは大きい。

 高校の食堂を利用したイベントで会ったケーシックは、まるで地方の政治家のように素朴で気さくだった。運営は地元のボランティアなので適当な感じだ。ルビオのイベントはもっと洗練されており、参加者も教会に行くようなきちんとした身なりだった。ケーシックの支持者より経済的な成功者が多いのがわかる。サンダースのラリー(大規模の集会)では若者が圧倒的に多かったが、共和党の候補らと同様に支持者のほとんどが白人だった。ニューハンプシャー州は人口の94%が白人なので当然といえば当然なのだが、ヒラリーのイベントには、黒人、ヒスパニック系、アジア系が多い。ステージ横には車椅子専用の観客席があり、手話通訳がいるのもほかの候補とは異なった。だが、これらの差異は、トランプと比較すると些細なものだった。

ラリーで群集心理を察知する天賦の才を実感

 トランプのラリーに申し込むと、メールで駐車場の情報が来る。巨大な空き地を利用した駐車場に行くと、係員が車を停める場所をナビゲートしてくれ、そこから無料のシャトルバスが屋内テニスコート施設を利用した会場に連れて行ってくれる。まるでロックコンサート運営のように手際良い。一緒にバスに乗った初老の夫婦は、「さすがトランプだね」と感心していた。美人コンテストのミス・ユニバースやカジノ・ホテルを経営するビジネスマンらしさをここですでに印象付けている。列に並んで待つ間には「アメリカを再び偉大にしよう(Make America Great Again)」というスローガンが入った赤い帽子やトランプのロゴが入ったTシャツが買えるようになっている。そして、3000人収容できる会場に足を踏み入れると、ローリング・ストーンズの「スタート・ミー・アップ」やエアロスミスの「ドリーム・オン」、クイーンの「伝説のチャンピオン(ウィーアー・ザ・チャンピオン)」が大音響で流れている。

 トランプのラリーのロックな雰囲気は、国家予算や税金について難しい話を真面目にするライバルとはまったく異なった。トランプは「とてもひどい」といった小学校で学ぶ程度の単純な語彙だけを使ってオバマ大統領をけなし、ライバル候補を揶揄し、マイノリティや移民を非難して群衆を湧かせた。

 このとき気付いたのは、大衆は国家予算や外交政策の詳細などには興味がない、ということだった。プロの政治家をすでに胡散臭く思っているので、たとえ実直に説明していても「煙に巻こうとしているだけ」と感じてしまうのだろう。それにひきかえ、「オバマ大統領や議会は災害」「メキシコが送り込むのは、ドラッグと犯罪とレイプ魔」 「アメリカは日本が関税なしで何百万もの車を売りつけてくるのを許しているくせに、貿易協定を結べずにいる」「イスラム教徒のアメリカ入国を禁じる」というトランプの言葉は、ふだん彼らが感じていることそのものだ。言いたくても言えなかった真実を代弁してくれるトランプに、観衆が引き込まれていくのが見える。

 このとき実感したのは、群集心理を察知する、トランプの天賦の才だ。

 トランプは、もとは「不動産王」として知られていたが、全米2004年に始まった「アプレンティス」というテレビ番組で全米のスターになった。参加者が「見習い(アプレンティス)」としてトランプの会社での採用を競うもので、課題に取り組んだ参加者が番組の最後に重役室に呼ばれ、そのうち一人がトランプから「お前はクビだ」と言い渡される。この独裁的な経営手法は専門家からは批判されたが、ビジネスの素人には非常にわかりやすくて面白い。視聴者は、テレビで観るトランプの「決断力とカリスマ性」に引かれた。

 ニューヨーク生まれの富豪で、貧困や労働者階級と接点がないトランプが、大統領選で庶民の心をつかんだのを不思議に思う人もいる。だが、彼は、プロの市場調査より自分の直感を信じるマーケティングの天才だ。長年にわたるテレビ出演や美人コンテスト運営で大衆心理のデータを蓄積し、選挙前から活発にやってきたツイッターや予備選のラリーの反応から、「繁栄に取り残された白人労働者の不満と怒り」の大きさを嗅ぎつけたのだ。

政治のプロが読み始めた「ヒルビリー」本

 トランプを冗談候補としてあざ笑っていた政治のプロたちは、彼が予備選に勝ちそうになってようやく慌てた。都市部のインテリとしか付き合いがない彼らには、地方の白人労働者の怒りが見えていなかったからだ。そんな彼らが読み始めたのが、『Hillbilly Elegy(田舎者の哀歌)』という回想記だ。

 著者のJ.D.ヴァンスは、イェール大学ロースクールを修了したベンチャー企業のプリンシパルだ。よくいるタイプのエリートのようだがそうではない。

 ヴァンスの故郷は、工業がアメリカで時代遅れの産業になり、繁栄から取り残された「ラストベルト」にある地方都市だ。失業、貧困、離婚、家庭内暴力、ドラッグが蔓延するヴァンスの故郷の高校は州で最低の教育レベルで、しかも2割は卒業できない。彼の両親は物心ついたときから離婚しており、看護師の母親は新しい恋人を作っては別れ、そのたびに鬱やドラッグ依存症を繰り返した。ドラッグの抜き打ち尿検査で困ると、親として当然の権利のように息子に尿を要求する母親のエピソードなど、まるで小説のような波乱に満ちた子ども時代だった。この環境を抜け出して海兵隊に入り、復員軍人援護法で大学に行き、由緒あるイェール大学ロー・スクールで学んだヴァンスは、都市部のリベラル知識層にヒルビリーを説明できる数少ない人物だ。彼の本を読むと、アメリカに存在する2つのグループが、いかに互いを理解していないのかがわかる。

 タイトルにもある「ヒルビリー」はアパラチア山脈周辺地域に住み着いたアイルランド系の移民のことだが、一般的には「田舎者」の蔑称だ。自分自身がヒルビリーだったヴァンスは、「貧困は家族の伝統。祖先は南部の奴隷経済時代には日雇い労働者で、次世代は小作人、その後は炭鉱夫、機械工、工場作業人。アメリカ人は彼らのことを、ヒルビリー、レッドネック(白人肉体労働者)、ホワイトトラッシュ(白いゴミ)」と説明する。つまり、「アメリカの繁栄から常に取り残されてきた白人」だ。貧しい移民やマイノリティでさえ「我が子は自分よりも成功する」と希望を抱いているのに、「自分より貧しくなる」と信じている「アメリカで最も悲観的なグループ」なのだ。

 アメリカ大統領選の「選挙人制度」では、人口密度が高い州より過疎の州で勝つほうが有利になっている。得票数ではヒラリーが勝ったにもかかわらずトランプが選挙に勝ったのは、ヒルビリーが住む地方を抑えたからだ。出口調査では、「都市対地方」、「高学歴対低学歴」、「マイノリティ/移民対白人」「女性対男性」という対立が深まったのがわかる。トランプの最大の支持者は「地方に住む低学歴の白人男性」だった。このグループと、「都市に住む高学歴のリベラル」の対立は、19世紀半ばの南北戦争前のアメリカを彷彿とさせる。

 ニューヨーク市やボストン市があるアメリカ北部は、建国の時代からアレクサンダー・ハミルトン(連邦党)などの政治家の働きで19世紀初頭には奴隷制度と奴隷貿易が廃止された。しかし、南部はその後も奴隷制度を続けていた。

 そこには、人権や倫理観よりも、南北での社会経済の差異があった。

 南部の経済は、黒人奴隷の労働力に頼る大規模農園が中心で、白人の間でも貧富の差が激しく、政治的に力を持つのは大農園主だった。民主党の最初の大統領だったアンドリュー・ジャクソンも、最高時150人の奴隷を所有したという(この点では、現在の共和党と民主党は立場が逆転している)。南部では、黒人は人ではなく、土地や現金と同様の財産とみなされていたのだ。

 相対的に、北部の農業は奴隷を必要としない小規模なもので、農民を含む住民の多くは中流階級だった。工業化も進んでおり、白人労働者にとって奴隷は自分の職を脅かすものでしかなかった。

 さらに、北部の住民は質素倹約とハードワークを美徳とし、教育重視だった。そんな彼らにとって、奴隷を使って贅沢三昧をし、教養を金持ちの道楽程度にみなす南部の農園主は軽蔑に値する存在だった。そして、南部の者にとって、北部は自分たちの財産と権利を奪おうとする脅威だった。

 この部分は、現在の「アメリカ都市部」と「地方」の対立とよく似ている。

「差別されているのは自分たち白人のほうだ」

 現代アメリカの都市にはマイノリティが多い。景気の回復が顕著なのも大都市だ。

 たとえばボストンやサンフランシスコでは起業が盛んで、大成長している企業の創始者が移民であることは珍しくはない。新しい血が入ることで、経済が活性化され、高収入の職が生まれ、労働者階級の人も高収入になる。これらの地域では、大工や配管工といったブルーカラーの人が高学歴の専門職より高収入になることも少なくない。この地の白人にとって、マイノリティは上司であり、同僚であり、顧客だ。だから、多様性もグローバリゼーションもポジティブにとらえている。これが、外から見える「楽観的なアメリカ」だ。

 しかし、地方では同じような景気の回復を感じない。工場は閉鎖され、メキシコや中国に行ったままだ。オバマ大統領は仕事を作ることを約束してくれたが、何も良いことは起こらなかった。都市部のマイノリティが謳歌している繁栄は、地方の白人たちにとっては、自分たちを犠牲にするグローバリゼーションの証拠でしかない。

トランプに票を投じたのは、ヒルビリーだけではない

 実際に、私がケーシック候補(共和党)のイベントで隣に座った白人男性は、「僕の職場にH1Bビザ(専門職向けの就業ビザ)の外国人エンジニアがいた。ビザは一時的な処置のはずだ。それなのに、僕が職を失って、奴は10年残っている。これは、おかしいじゃないか? 近所には、だんだん外国人が増えてきて、町の雰囲気も変わってしまった。あなたが大統領になったら、アメリカ人が外国人に職を取られないようにしてくれるのか?」とケーシックに怒りをぶつけた。

 有名大学がマイノリティを優先的に合格させることも白人が抱く不満のひとつだ。「地方では大学に行く資金がなくて喘いでいる白人が沢山いるというのに、都市部のエリートたちは黒人、ヒスパニック、外国人を優先している。見捨てられ、差別されているのは、自分たち白人のほうだ」といった不満は、オバマ大統領が誕生したころから強まっていた。

 外からは見えにくいが、こういった人々が住む地域が、実際にはアメリカの9割近い面積を占めている。

 ヒラリーは、国民からはトランプよりも200万以上も多い票を得たが、「選挙人制度」で選挙に勝ったのは、人口密度が低いアメリカの85%の面積で支持を得たトランプだった。

 この85%の地域で白人たちが脅威を覚えているのが、劇的に変化するアメリカの人口動態だ。建国時代の「国民」はほぼ全員がキリスト教プロテスタントの白人で、その後もごく近年まで圧倒的多数だった。ところが1992年には白人が有権者の84%になり、現在70%にまで激減している。プロテスタントに限ると、今回の出口調査では53%でしかなかった。

 このように、アメリカは、どんどん「マイノリティ」「無宗教」「都市」の国になりつつある。「すべての国民が平等に扱われるアメリカ」をヒラリーが強調し、マイノリティが彼女を支持すればするほど、マジョリティとしての地位を失おうとしている白人が恐れ、反発を覚えたのは想像に難くない。ソーシャルメディアでは「黒人の大統領に8年のチャンスを与えたのに、黒人と警察官の対立は深まったし、事件も増えた」といった意見が少なくなく、ヒラリー支持者の中でも「白人であることの罪悪感(ホワイトギルト)をときおり感じて居心地が悪い」と告白する者がいた。

 トランプの「アメリカを再び偉大にしよう」という選挙スローガンは、ポリティカル・コレクトネスで白人たちが口にできなかった「アメリカを、マイノリティの移民が乗っ取る前の、居心地がよい白人の国に戻したい」という深層心理を反映している。トランプは、ラリーで何度も「ブレクジット(Brexit)」を口にした。イギリスのEU離脱の最大の理由といわれるのが移民問題だ。「移民(マイノリティ)より、純粋な国民を優先するべきだ」というイギリスの白人の不満はアメリカの白人のものと共通している。だからこそ、トランプは「ブレクジット」という言葉を使い、裕福な白人男性や、トランプのセクハラ報道に眉をひそめる白人女性にまで支持者を広げることができたのだ。トランプに票を投じたのは、ヒルビリーだけではない。

南北戦争時代から続く根深い社会問題

 トランプ勝利の原因を「現状のままでは希望が見えないから、今あるものを破壊して新しいものを一から始めてほしい」という国民の要求と説明する人もいるが、長年現地で観察していると、それよりも根深い社会問題を感じる。経済の地域差と人種問題で対立し、既得権益を失いかけている者が強く抗うという様相は、前述したように南北戦争時代と似ている。

 皮肉なことに、2016年大統領選挙と南北戦争にはほかにも共通点がある。南北戦争を始めたのは南部の裕福な大農園主だったが、実際に戦場で北部と闘ったのは、土地も奴隷も所有しない貧しい白人労働者だった。彼らは、農園主の利益と権力を守るために、命を落としたのだ。

 トランプは大統領選で労働者に多くの約束をしたが、選挙後に彼が選んだ閣僚候補の顔ぶれを見ると、労働者より裕福な層に有利な政策になりそうだ。たとえば商務長官として考慮されているウィルバー・ロスは、企業再建を専門にする投資家で、リストラなどで労働者を犠牲にすることから、「ハゲワシ(弱者を食い物にする人)」と呼ぶ者もいる。ロスは、2006年にウエストバージニアで爆発事故を起こして12人が死亡したサゴ炭鉱(インターナショナル・コールグループ)のオーナーだった。それ以前から多数の安全違反が指摘されていたのだが、インターナショナル・コールグループは、炭鉱夫の命を脅かす深刻な問題ではないとして炭鉱閉鎖をしなかった。

 また、トランプは選挙中、ゴールドマン・サックスがヒラリーを操っていると、ウォール街との癒着を批判してきた。それなのに、エネルギー省長官にゴールドマン・サックスの社長兼最高執行責任者(COO)のゲーリー・コーン、財務長官に同社元幹部のスティーブン・ムニューチンの起用を検討しているという。

 南北戦争勃発のきっかけは、1860年の選挙で共和党のリンカーンが大統領に選出されたことだった。リンカーン自身は南部に奴隷解放を求めないと約束していたが、南部の州はそれを信じず、奴隷制度廃止を押し付けられることを恐れて合衆国から脱退し、「連合国」を結成した。

 2016年の選挙では、既得権益を守ろうとするトランプが勝利し、民主党は選挙の敗北を受けて、マイノリティや移民より地方の労働者階級の白人を優先する方向転換をする様相だ。これにより、21世紀の南北戦争は回避されるかもしれないが、ヒラリー政権で活発になると期待されていたテクノロジーやリニューアルエネルギー産業は打撃を受けるだろう。それが大国アメリカの弱体化にもつながる可能性がある。

 教育関係の非営利団体に務める友人は、高等教育を受ける機会がない低所得層の子どもを対象にしたIT教育プログラムへの政府の資金がカットされることを案じている。「教育は明日すぐに影響が出ることではないが、10年後、15年後に大きなツケを払うことになる」と。

(文中敬称略)

渡辺由佳里(わたなべ・ゆかり)

エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家。日本語学校のコーディネーター、外資系企業のプロダクトマネージャーなどを経て、 1995年よりアメリカに移住。ブログ「洋書ファンクラブ」は、多くの出版関係者が選書の参考にするほど高い評価を得ている。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。ほかの著書に『ゆるく、自由に、そして有意義に』(朝日出版社)、 『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『どうせなら、楽しく生きよう』(飛鳥新社)など。糸井重里氏監修の訳書『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)はベストセラーに。ニューズウイークにて【2016米大統領選】最新現地リポート、『ベストセラーからアメリカを読む』連載。ケイクスで『アメリカはいつも夢見ている』と『アメリカ大統領選、やじうま観戦記』連載。『暴言王トランプがハイジャックした大統領選、やじうま観戦記』(ピースオブケイク、キンドル書籍)。『トランプが始めた21世紀の南北戦争 アメリカ大統領選2016』(晶文社)2017年1月発売予定。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中