脱社畜ブログ

仕事観・就職活動・起業についての内容を中心に、他にも色々と日々考えていることを書き連ねていきます。

権利主張に「後ろめたさ」なんて感じなくていい

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日本人は、権利を主張することに対して、妙な後ろめたさを持っているんじゃないか、と最近考えることがある。「権利ばかり主張しやがって」という表現もよく聞くし、どうも権利主張は「卑しいこと」という価値観がどこかにある気がしてならない。

 

例えば、サービス残業について考えてみよう。このブログでは何度も書いているが、そもそもサービス残業は違法行為であり、残業した分の残業代を要求するのは当然の権利で、何ら後ろめたさを感じるようなものではない。

 

しかし、「残業になったのはそもそも自分の仕事が遅いから」とか、「周りの人も残業代を貰わずに頑張っているのに、自分だけ残業代を請求するのは申し訳ない」とか、「今は会社も苦しい時期だから、ここは我慢しよう」といった考えで、請求をしないという人もいると聞く。権利を声高に主張する社員は、それがどんなに正当なものであっても、なぜか組織の中だと浮いてしまう。

 

先日、知人と雑談をしていたら、消費者金融グレーゾーン金利についての話題になったのだが、僕はここでも似たような話を聞いた。グレーゾーン金利は、最高裁判例によって今はその違法性が確実になり、利息制限法の条件金利を超えて払った金利については過払い金として返還請求をすることができるが、これを「借りたのは事実なのだから、そういう請求をするのは申し訳ない」と言って請求しない人たちがいるのだそうだ。

 

サービス残業代にせよ、消費者金融の過払い金にせよ、たとえ相手が違法行為をしていたとしても、よくわからない道徳観を持ちだして、権利行使をしないということを美徳としている人たちが日本には一定数いるようである。僕は、これは非常に悲しいことだと思う。

 

もちろん、権利は行使するもしないも自由であるから、行使したくないという人に行使しろと無理やり言うのは間違っている。しかし、行使しない人が大勢いることで、本当は行使したいという人まで権利行使を萎縮してしまうような状況があるとしたら、それはよくない事態である。少なくとも、違法行為をしてくる相手に対して、下手に出て変な恩義を感じたりする必要は全然ないはずだ。

 

そもそも、労働契約も消費貸借契約も、「契約」であることを忘れてはならない。当事者の立場は基本的には対等で、封建制のような主従関係はここには存在しない。自分の持っている権利は、「後ろめたさ」など感じることなく、堂々と主張していいのである。

 

弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖

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