『告白』が原作をこえた理由(ネタバレ無し)

いやぁ、すごかった。何がって『告白』が、である。

そもそも原作『告白』はぶっちゃけ小説としては完成された代物ではないと思う。特に一番重要な2つの“告白”シーンが口語体によって表現されているので、それ以外何が起こってるか分からないという致命的な弱点がある。だからといってこれ見よがしに「今、○○が起こってますね。」と頻繁に言うわけにいかない。実際、読んだ時に「これ大勢の生徒の前で喋ってるけど、ちゃんと全員が黙って聞いてるのかなぁ」とか余計なことを思ったりした。ネタバレになるから書かないがクライマックスの状況もしかりである。

ただ、作者がその表現にかけた情熱は間違いなく汲み取ることが出来る。故にラストはとても衝撃的だった。小説として完成されてはないかもしれないが『告白』には異様な情念が立ちこめており、こういうのが書きたい!という想いに溢れている。ぼくは原作の『告白』は大変おもしろく読んだクチだ。

さて、映画版だが、世の中の恨み言が詰め込められ、さらに冷たい温度の復讐劇という原作を中島哲也監督が撮るというではないか。

中島哲也監督といえば『下妻物語』や『嫌われ松子の一生』『パコと魔法の絵本』という作品があるが、どれも原色飛び交うポップでシュールな表現に満ち満ちた作風が特徴。予告編を観たところ、生徒が踊り狂うなんてシーンがあったりして「えっ!?『告白』がまさか『パコ』とか『松子』みたいな映画になっちゃうの!?どうなるの!?」と一抹の不安がよぎったが、その不安は冒頭2分で消え去ることとなる。


主人公の心情を表したかのようなやけに暗い映像。これから話すことに対する決意のせいで、世界がゆっくりゆっくりまわって見えるようなスローモーション。様々な中学生の行動や表情がめまぐるしく変わるのは、しっかり生徒たち全員を見据えているからだ。そこに教師の告白がゆっくりとかぶさっていく。

原作でもキモになってる女教師の告白シーンはぼくが思っていたものとはまったく違うアプローチになっていた。話してる教師以外の視点を見せると同時に教師の中に混ざり合う様々な感情を中島哲也監督は巧みな編集で同時に表現していく。

つまり『告白』は、弱点だった部分を映像で見事に補填するだけでなく、それ以上の表現をし、さらに監督のカラーまで出すことにも成功しているのだ。

さらに原作を読んでいて、「ここはちょっとどうだろう…」と思った部分が全部脚色されているだけでなく、あっという間に読み終わってしまう原作のスピード感にもこだわり、映画はジェットコースターのようにかけぬけていく。

きわどい内容なだけに、ヘタしたらストーリーを変えて、生温くなるんじゃないかという危惧もあったが、描写は原作以上だ。故にR-15を勝ち取ったが、全てのシーンがあえて生々しく撮られており、逆にそこまでやってしまっていいのか!と思ったほどである。


そして、やはりラスト。意味合いがまるで変わっていて、さまざまな解釈がなされているようだが、ぼくはあえて議論を呼ぶようなラストにして、後々残るものにしようとしたんじゃないかとにらんでいる。原作では書かれてあることが全てであって、そこに他の解釈が入る余地はないのだが、それだとあまりにもということで、きっといろいろ言い合い出来るようなラストにしたのだろう。実際原作にはないセリフで終わっていたり、原作とは違う場所に松たか子が居たりと確信犯的な変更が多々みられた。特にセリフの付け加えはたった一言なのに意味合いをガラリと変えてしまうということもあって、中島監督はなかなかしたたかである。

他にも見所は満載なのだが、あえてまっさらな状態で観に行ってほしい。『告白』は原作で弱点だった部分を見事にプラスに変え、娯楽性と芸術性が見事なバランスで同居した中島哲也監督ダントツの最高傑作。心の底からおすすめです。あういぇ。