【懐かしのジャパニーズバンドシリーズ】 UP-BEATを再評価しないか? | C.I.L.

【懐かしのジャパニーズバンドシリーズ】 UP-BEATを再評価しないか?

オレは10代の頃に狂ったようにバンドに傾倒していたため、同年代の人間と比べても充分にオタクと自称できるほど、メジャーどころからマイナーどころまで意味の分からない守備範囲の広さを持っている。

そのせいで隙あらば80年代~90年代のバンドについて暑苦しく語ってしまう悪いクセがあるのだが、今回もお約束のごとく暴発した。先に謝っておく。ごめんちゃい。


で、今日取り上げるバンドが何かと言うと、タイトルにあるようにUP-BEATである。


UP-BEAT 来歴
1981年に福岡県北九州市で結成。
1987年のシングル「KISS IN THE MOONLIGHT」がドラマ「同級生は13歳」の主題歌に採用されヒット、注目される。
1990年のシングル「Rainy Valentine」とベストアルバム「HAMMER MUSIC」を最後に、音楽性が異なっていったという理由から、東川(ギター)と水江(ベース)が脱退し、メンバーは3人になった。
1995年解散。

メンバー
広石武彦Vocal
岩永凡Guitar
東川真二Guitar※
水江慎一郎Bass※
嶋田祐一Drums

(※は脱退組)


このバンドは万人に通用する完璧な容姿を持った広石をフロントに置き、ご時世と言うべきなのかBOOWYのイメージを押し付けられる形で登場した。当時雨後の筍のごとく増殖していた、いわゆる 「BOOWY系バンド」 のハシリのような存在である。

当時はビジュアル系なんて言葉がなく、そういったバンドは「お化粧系・耽美系・髪立て系……」などと呼ばれていたのだが、UP-BEATも「髪立て系のビートロックバンド」といったカテゴリーに無理やりハメ込まれていた感がある。

そんなUP-BEATの看板といえば先に挙げた広石であり、彼の今でも平気で通用する反則気味のイケメンっぷりが、このバンドの人気を支える大きな要素だった。

しかし広石は単なる顔だけの人ではなく、ヤケに熱い男であり、ビジュアル重視のバンドかと思わせておいてメッセージ色の強い歌詞をぶつけて来たり、ライブのMCや雑誌インタビューで暑苦しく語り出したりする、なにかと厄介なアンちゃんだったのである。

だが厄介なのは広石に限った事ではなく、バンド全体としてもメンバー脱退劇のドサクサで突然スキャンダラスな内容の暴露本を発売してドキドキさせてみたりと、メインの楽曲以外でも (良くも悪くも) 色々な意味で楽しませてくれる存在だった。

今となっては残された音源や映像に触れる事しか出来ないため、どうしても広石のルックスばかりに目が行ってしまうと思うのだが、リアルタイムで追っていた人間からすると、このバンドの最大の魅力はその 「七転八倒ぶり」 にあったように思う。

彼らのメジャーシーンでの活動は、本人達の意向を一切無視される形でデビューが決められ、「お前らはお人形さんでいい」 とばかりに1stアルバムは全ての演奏をスタジオミュージシャンのものと差し替えられ、大人の都合でそれはそれは好き勝手にヤラれまくるという不幸から始まった。

このため広石は自分の外見に妙なコンプレックスを抱くようになり、音楽業界に対して強い不信感を持つちょっぴり自閉的なバンドとなってしまった。あれだけの美形ヴォーカルがいるんだからそれを存分に活かせばいいだけのように感じるが、スタートがあまりに酷すぎた彼らにとって、その武器すらある種の足かせのようになってしまっていたようなのだ。当時のインタビュー記事などを読み返してみると、発言内容がまさに苦悶といった感じで実に痛々しい……。

当時はバンドブームの始まり(正確に言うとBOOWYブーム真っ盛り)だったという背景があり、ロックバンドが 「ビジネスとして美味しい!」 と認識され始めた時期である。そのためUP-BEATは企業の金儲け主義の煽りをモロに受け、それがバンド全体のトラウマとなり、結局それを解散まで引きずり続ける事ととなってしまったのだ。

しかしそんな悶絶人生の中で彼らが生み出した楽曲は粒揃いで、今聞いても素直にカッコイイと思えるものも多く、もうちょっと評価されてもいいのではないかと思う。



「Once Again」
例えばこの広石の卑怯なルックスを存分に楽しめるPVは、モロにBOOWY路線を押し付けられている様が見えてしまって滑稽ではあるが、未だにこんな事をやっているメジャーバンド(特にビジュアル系)もいるのだからある種のテンプレである。

考えてみると、BOOWY以降のBOOWYインスパイア(笑)系のバンドは、BOOWY自体を真似ているのではなく、BOOWYのイメージを押し付けられた初期UP-BEATを真似しているだけのようにも思えてしまう。



「KISS IN THE MOONLIGHT」
広石はお世辞にも歌が上手いとは言えず、声が若干こもった感じで声域も狭い。それがヴォーカリストとして致命的で、表現力の乏しさに繋がってしまっていたのだ。

しかしこの曲はそんな広石兄さんの欠点をフォローし、どこか頼りなげで母性を刺激される魅力的な仕上がりになっている。



「Dear Venus」
これは初期UP-BEATの代表曲で、彼らの全楽曲の中でも1,2を争う人気のナンバーだ。この疾走感は少し音色を変えるだけで今でも通用しそう。

しかしこの曲のイメージが強すぎたためか、ますます 「ビートロック系」 という今では死語になってしまったカテゴリーに押し込まれる要因になってしまったように思う。



「Rainy Valentine」
オレが個人的に大好きなのがこの曲。酒の入ったグラスを片手にゆらゆらしたくなるようなノリがたまらない。この曲も広石の声にあっていて、聞いていて気持ちイイ。



「Blind Age」
「Time Bomb」
※広石とシャケの対談付き
Blind Ageの歌詞

もしかしたらUP-BEATファンの中で最も人気があるのはこの「Blind Age」かもしれない。とにかくジェネレーションソングとして完成度が高く、この当時の若者(オレの世代)が抱えてた 「自分の居場所がわからない」 とか 「世の中がえらいスピードで回ってしまって置いてきぼりをくらう」 とか 「自分の存在に気付いてもらえない」 といったモヤモヤのニュアンスを上手く伝えてくれている。



……と、こうして久々に動画を見てみると、UP-BEATってのは本気で勿体無かったバンドなんだと再認識した。

もしデビューがあんな酷い形でなかったら、もしメンバーが極度の人間不信・業界不信にならずに済んだなら、もっと上手く彼らの魅力を引き出せるスタッフと巡り合えたんじゃないかと思えてならない。

特に広石はヴォーカリストとしての完成度が中途半端で、見ていてヤキモキさせられた。近くに彼が素直に話を聞ける相手、的確に助言できる相手、信頼できるスタッフがいれば、絶対にもっと高みに登れたはずなのだ。

なんというか、最初で悲惨な躓き方をしたがために自閉的になってしまったのがUP-BEATの最大の失敗だったように思う。

同じ時代のイケメンヴォーカリストで、歌唱力がイマイチで、バンドブームの中でゴロゴロ転がるハメになったという、ポジション的にすごく似ている存在にBUCK-TICKの櫻井敦司がいるのだが、あっちゃんと広石兄さんとを比べてみると、その違いがハッキリと見えてくるのだ。

あっちゃんの方は悩みながらも周囲の人間と持ちつ持たれつで続けて行く事で驚くほどの成長ぶりを見せ、独自の世界観や表現を身に付けて確固たるポジションを築き上げた。それに対して広石兄さんは悩み迷った挙句にいまひとつ評価を得られず終いだった。

この差がどこから来てしまったのか考えると、あの当時のバンド業界の失敗・汚点・恥部がよくわかるんじゃないかと思う。

企業やTV局や代理店の思惑で雁字搦めにされると、まともな表現者なんか生まれるわけがないという証明になってしまっているような気がするのである。

BOOWYはミュージシャンと裏方スタッフの共同作業という形で、バンドメンバーとスタッフがひとつのプロジェクトに関わる対等な立場の仲間として動けたからこそ、あそこまで大成功できたのだ。

しかしそれに続こうとした山師のような連中は金儲け自体に主眼を置いてしまっているから、「BOOWYみたいな事やれ!」 「いま●●が流行ってるからアレをやれ!」 とミュージシャン自身の意向を無視して押し付け、いくらでも取替がきくインスタントミュージシャンを大量に作り出しては潰して行くという風潮を作り出してしまった。

最近の話題で言うなら、「芸人の自主性を無視してスタッフが考えたネタやキャラを強制的に押し付ける」 という手法で一時的な人気は得たものの、あっという間に飽きられて番組自体が潰れる事になった "エンタの神様" にも通じる焼畑農業っぷりである。

音楽業界の話に戻すなら、例えば今も生き残って人気を維持しているビーイング系のミュージシャンがいるのか?という話だ。B'zだけは今でも元気だが、彼らはビーイングの中では珍しく自分達主導で活動できているから話が別だろう。あれだけ腐るほどいたアルファベット3文字か4文字の人たちは今何をしているんだろうか?

UP-BEATというバンドの軌跡を振り返ってみると、このような日本の音楽シーンの問題点が嫌でも浮かび上がってしまうのである。


UP-BEATとは、まるで日本の音楽業界の腐った体質やそれがもたらず悲劇を記録し、またその結末を予言するためだけに存在していたかのようなバンドである。

個人的に広石武彦を 「可能性を業界に潰された可哀想な人」 と言うしかない現状がとても悔しい。