私、昔から「天の邪鬼」なんです。

100人中98人がAと言ったら、瞬間的にBと言ってしまいます。そして後から大脳を経由して理由を考えるくらいなんです。

昔から、外国の有名な学者がこう言っているんだから正しいとか言う教師がいると、よほど自分に自信がないんだろうなと思ってしまうんです。教科書的にはこうだと上から目線で説教されると、あ~あ、だから教師はバカなんだと反発してしまうのです。

ところが、因果なもので、自分が教師になってしまうなんて…。

教えていながら、「実はね、こうも考えられるんだ」なんて言っちゃうから、学生を混乱させるばかり。それでも自分の頭で考えようとする学生もそこそこいるんで、ちょっと安心。面と向かって、本当かよって感じで質問を投げかけてくる若いヤツ、私は結構好きです。

でも、上から目線で説教されるのが好きな若者がたくさんいるのには驚かされます。中には、新興宗教みたいでキモワルなのもあります。みんな不安なのかな。それとも、自分が「勝ち組」であることを再確認したいのかな。

戦争前後もそうだったんでしょうが、世の中が大転換する時、常識が非常識になり、非常識が常識になります。前の常識に従えば、事態が一層悪化してしまう。今は前例のない100年に1度の世界金融危機。その先頭を走っているのが日本です。起きていることが新しいのだから、自分自身の頭で考えなければいけない時代なんですね。

「非常識」を「常識」にしてしまうのは、常に若い人々です。しかし、若い人自身が古い「常識」を盾に、「非常識」な人を排撃する状況も起こりえます。そういう国は滅びていくしかありません。

実際、日本は滅びの過程に入っています。日本の産業の競争力、少子高齢化、年金・医療、財政赤字、貧困と格差、農業などの食料生産……どれをとっても近い将来もたなくなることははっきりしています。児玉龍彦氏(東京大学先端研教授)との共著『新興衰退国ニッポン』(講談社)でも、医療、貧困、雇用、介護、公共事業、産業、金融、知のルール、技術開発の9つについて、すでに持続可能性が失われていることを論じました。

実は、共著者の児玉龍彦氏とは中学・高校と同級生でした。おかげで、児玉氏とは長い間、自然科学と社会科学の方法論上の問題について、よく議論をしてきました。

児玉氏は、動脈硬化の発症機構を研究する過程で、スカベンジャー受容体のDNAの構造を明らかにして、その構造が雑誌『ネイチャー』の表紙になって一躍有名になった後、1990年代後半は遺伝子クローニングとノックアウトマウスを使った実験研究をやっていて行き詰まりを感じていました(その辺の事情は『考える血管』に詳しい)。

私もバブルが本格的に崩壊して、それまでやっていたイギリス財政研究を放り出して、研究内容が大きくシフトした時期でした。『市場と制度の政治経済学』(東京大学出版会)を上梓した後、『セーフティネットの政治経済学』(筑摩新書)、『反グローバリズム』『市場』(ともに岩波書店)、『反経済学』(新書館)などを続々と書きまくっていました。

当時は、バブル崩壊によって日本は大きな転換期を迎えていました。同時に、ミレニアムにヒトゲノムがほぼ解読された頃でもありました。ゲノム解読以降、児玉氏は研究の方向性を変えていきました。そうした状況の下で、2人で作った本が『逆システム学』(岩波新書)です。

私たちに共通する問題意識は、「複雑で動くモノ」を分析することが先端科学の課題だということです。そして、これまでのように要素還元主義(自然科学)や方法論的個人主義(社会科学)を前提に、原子分子レベルや個人の効用に還元していけば、全体が分かるのだという考え方をいったん捨てないかぎり、この先端的課題は解けないということです。

要素還元主義の方法では、生物の形状や機能を分子レベル(遺伝子)に還元していきます。極端に言うと、恋愛の遺伝子とか不倫の遺伝子なんて表現がまかり通ります。経済学では、個人の効用や利得から出発して経済全体を描けるという方法論的個人主義をとります。通常のミクロ経済学や応用ミクロ化しているマクロ経済学がそうです。

しかし、ヒトゲノムの解読は、科学の方法を考え直す必要性を迫りました。よく考えると、ネズミと人間は遺伝子の数が大きく違わないのに、生物としては大きく違っています。しかも、遺伝子は変化していきます。また、しばしば同じ遺伝子が他の遺伝子と重なり合って違う役割を果たすことも分かってきました。実は、遺伝子は複雑な人体の調節制御のメカニズムを担っており、この調節制御の仕組みそのものが進化しているのです。

ダーウィンの「自然淘汰」論は誤解されています。重要なのは、この調節制御を進化させて、環境変化への「適応」の幅を大きくして、「種」が生き残ることです。社会ダーウニズムが想定する単純な弱肉強食ではありません(その点で、さまざまな論争を経た最終版であるダーウィンの『種の起源』第6版(東京書籍)はとても参考になります)。

このゲノムが教える多重な調節制御の世界は、微分方程式で描かれる「均衡」の世界とは違って、「非線形」と呼ばれる状態であり、非連続的な変化をしていく世界です「(ちなみに、この複雑なネットワーク構造の分析については、蔵本由紀『非線形科学』(集英社新書)の最後の部分が参考になります)。」

私の「市場」観は、この「逆システム学」から発想した独特のものです。まず何より、市場は「制度の束」であり、セーフティネットを結節点として制度の体系ができいるととらえます。そして経済学は、その多重フィードバック(調節制御)の仕組みを明らかにすることが新しい課題となります。

今度、2人で出した共著『新興衰退国ニッポン』(講談社)は、この逆システム学の方法の上に立って、「病気」や「衰退」を引き起こすリスクと変化について考察したものです。

実際、生物も経済も周期性をもって変化(たとえば景気循環)しますが、この周期的な波は決して同じ波を繰り返しているのではなく、波が少しずつ変わりながら、突然大きな転換(たとえば石油ショックや大恐慌)をもたらします。人間もガンや脳梗塞のような成人病が増えていきます。このように、水が沸点に達して水蒸気になったり、鉄の棒が折れたりするのと同じように、複雑で非線形的な変化こそが、科学が解明しなければならない先端的課題なのです。

ところが、新しい変化を見ようとすると、複雑な要因が絡んでおり、それが何なのか分かりにくいものです。しかも、データがそろわないので「科学的」には実証できません。

しかし、そんなに難しく考える必要はありません。生命体や社会を観察していると、いつも、「病気」や「衰退」のきっかけは小さな異常事態の発生から始まるものです。それを例外的だと見過ごし、「たいしたことはない」として放置すると、多重なフィードバックの仕組みが効かなくなって「病気」や「衰退」に陥ります。

ところが、厄介なのは、この異常事態の見逃しをエビデンス・サイエンス(実証科学)が正当化する場合があるという点です。これには計量経済学も含まれます。もちろん、計量経済学の有効性全体を否定するつもりはありませんが、その過信には大きな落とし穴があります。それは、非線形的変化の前兆として起きる異常事態をデータ的な裏づけのない「非科学的」な主張であるとして斥ける傾向を生むからです。そして「実証された」時には、すでに取り返しのつかない不可逆な事態に陥ってしまうのです。

システムを揺るがすようなリスクが頻発すると、こうした事態がしばしば引き起こされます。たとえば、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の後、通常100万人の子供に1人しか発症しないはずの小児甲状腺ガンが4000人以上の子供に発生したにもかかわらず、「証拠はない」とされ放置されました。ロシア政府もIEAE(国際原子力機関)も、自らを正当化するために、この実証科学の「成果」を利用しました。

原発事故の影響であることが認められたのは、事故から20年たった2005年のことでした。放射能に汚染された牧草を食べた牛のミルクを飲んだ乳幼児が、甲状腺ガンにかかったのです。食物連鎖によってリスクが広がってしまう事例は、水俣病でもあったことです。実証された時は、すべては後の祭りでした。

実は、確率論を利用した金融工学も同じ落とし穴にはまりました。低所得者向けの危ないサブプライム・ローンを証券化し、それをさらに切り刻んで他の証券と組み合わせて、リスクを薄めた債務担保証券(CDO)を作り出しました。実際にはバブルが崩壊すると、それが取り返しのつかない世界金融危機をもたらしてしまったのです。そう、工場排水を薄めて有機水銀の濃度を引き下げれば、問題は発生しないとした水俣病のケースとそっくりです。

格差問題が発生した初期でも、若い世代の雇用が破壊され始めていましたが、格差はあくまでも高齢化がもたらしたものだという主張が繰り返されました。若い世代での格差が証明された時は後の祭り。日本では新卒一括採用が一般的であるために、ロストジェネレーションは回復不能なほどの被害を被ってしまいました。

いまや大胆な発想の転換が必要とされています。

膨大化する情報大爆発のこの時代に、個人が世界の全てを知ることはできません。科学に対して謙虚な気持ちに立ち返ると、いきなり大所高所にたって世界同時多発的なリスクの時代を論じるのではなく、むしろ逆に、子供の甲状腺の腫れ物のような、異常事例へのほんの小さな「気づき」のようなものから出発する思考法が必要となります。

それは、特異で極端な現実、通常は統計学のはずれの5%として除外されてしまうような異常事例を重視することを意味します。20世紀的な統計理論の常識とは全く逆の発想です。この統計学のはずれの5%の窓から、実は全体を動かすメカニズムの姿を覗けるはずだと考えるのです。

そこでは通常の経済学のように、単純な因果連関に還元しないで、システムの背後にある多重な調節制御の仕組みを想定して、それがどこでどのような連鎖を通じて壊れているかを観察する努力が必要になってきます。

とはいえ、普通に考えれば、複雑なものは複雑に見えるだけです。しかし、心配することはありません。実は、非線形的な大変化が起きるときは、むしろ物事を動かしている本質的なものが見えてくるからです。多数の要素からとくに重要な要素を抜き出して、この定性的な大変化をとらえることを「縮約」と言います。日頃は気づかない社会を動かす「秘められた仕組み」が、「異常な事象」に引きずられて、我々の視野に入ってくるのです。

つまり私は、この非線形的変化を分析する「縮約」に注目して、多重な調節制御のメカニズムが壊れていく経済の病理現象がどのようにして生ずるのかを明らかにしたいのです。

残念ながら、経済学には、「どのようにして悪くなるのか」を分析することで、「どうしたらよくなるのか」を明らかにしていく病理学的アプローチはありません。経済学ではあらかじめ「均衡」に達する単純な因果連関とモデルがアプリオリに存在し、その「均衡」に戻すために、供給サイドだったら規制緩和、需要サイドだったら景気対策くらいしか処方箋が存在しません。そこからは、ガンや脳梗塞のような成人病の処方箋は出てこないのです。

経済学は「近代経済学」と「マルクス経済学」しかないという冷戦型オヤジ思考の人に、理解されないのは仕方ありません。

やっぱり私は「天の邪鬼」なんでしょうね。でも、時代遅れになった教科書を使って無理矢理考えるより、新しいことにチャレンジする方がずっと楽しいんです。たとえ失敗してもね。

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