お客様は神様だと言うものの--嫌いな顧客への5つの対処法

Chip Camden (Special to TechRepublic) 翻訳校正: 川村インターナショナル2011年08月25日 07時45分

 あなたは、やりとりするのも我慢できない顧客を持ったことがあるだろうか。いつも彼らの性格の何かが気に障り、相手に仕返しをする醜い妄想をしている自分に気がつくのだ。自分自身は文明人であり、そんな妄想を実際にやってしまうことなど決してないと分かっていても、問題を悪化させていけば、あなたの憤りはあなた自身をその顧客の化身に変えてしまい、やはり問題が起こる。この問題に囚われてしまわないよう、慎重に対処する必要がある。では、どんな選択肢があるだろうか。

 相手を排除する。難しい人たちと付き合っていくには、人生は短すぎる。もしそういう人たちを手放す金銭的余裕があるのなら、そうした方がいい。もし、それだけの余裕がないと思うなら、自分自身の幸せの価値を適切に評価しているか、よく考えるべきだろう。金銭のためだけに自分が我慢できない人物と一緒に働くとしたら、それはIT売春だ。確かに、十分な対価さえあれば、人はなんでもするものだと言われている。問題は、それが十分な対価かということだ。厳しい経済状況では、以前は「二度とごめんだ!」と誓った相手からの仕事でもありがたいと思うかもしれない。

 ビジネスライクな態度を貫く。その顧客と付き合わなくてはならないのなら、より一層抜け目なく振る舞う必要がある。そういった状況では、仕事の質に気が回らなくなりがちだ。なぜなら、不当に低く評価されていると感じたり、自分が敬意を払えないを人を感心させたいとは思えないことがあるからだ。相手がその人物ではないと仮定して自分の職務を思い浮かべ、その職務にしかるべく取り組むべきだ。西洋の古い言葉に「これもまた過ぎゆく(this too shall pass)」(訳注:変わらぬものはない、良いものも悪いものもいつかは過去のものになる、という意味)とあるが、今が過ぎ去った後で起きることは、今この状況をどう扱うかにかかっている。

 自分の内面を省みる。論語には「子曰く、射は君子に似たる有り。諸(こ)れ正鵠を失するときは、反って諸れを其の身に求む」とある(訳注:「弓を射ることには君子に似ているところがある。射手は、的の中心を外した時には、その原因を自らの中に求める」という意味)。射手は弓や矢、風を責めたりはしない。それらの要因はみな影響を与えるが、それらを考慮に入れて適切に使えるかは射手次第だ。誰かにひどく手を焼かされるときには、なぜその人物をそんなにも不愉快に感じるのかと考えてみれば、役に立つはずだ。彼らはわれわれの内側にもあって、自分が嫌っている性質を体現しているのかもしれない。彼らは、われわれが強く反対している原理を支持しているのかもしれない。あるいは単に、われわれが不快だと感じる振る舞いを繰り返しているだけかもしれない。原因がどれであったしても、動揺の元はわれわれ自らの内側にある。もしわれわれが究極の平静を保てるなら、この人物が我々を動揺させることはできない。わたし個人は、自分を動揺させるものは何もないと言えるほどの内心の安らぎのレベルには達していない。しかし、他人を苦にしてしまえば、相手が自分に影響を与える力を持つことを、自ら許してしまうのだということを理解すれば、役に立つ。

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