エンジニアを幸福にしないヤフーというシステム

@nokunoさんのYahoo! JAPANを退職しましたという記事を読む。いまはタイトルに「翻訳」と書いてあるので紛らわしくないが、最初は「すわ id:nokuno さんがとうとう辞めたか?!」と釣られたものである (笑)

内容を読んでみると「まあ、そうだろう」という感じで、そんなに目新しいことが書いてあるわけではない (が、Yahoo! JAPAN の労働環境について知らない人が読むと「え、Yahoo! ってそんなところだったの??」とびっくりするかも)。著者も断っているが、これはアメリカの Yahoo! のことではなく、日本の Yahoo! JAPAN のことであり、Yahoo! JAPAN外資系の会社ではなくコテコテの日本企業である (それが悪いと思うかよいと思うかは人次第)。

(2010-10-31 追記) Yahoo! JAPAN の環境がそんなによくないのは My News Japan の「ヤフー 株主と社長がぜんぶ持ってく「独立した個人労働者」集団」(2010)や「ヤフー(2005)」の記事でも分かると思う。いまでも「対価」の評価こそ低いが、「生活」の評価は5点満点中4.7点であり、まったり働く分にはそんなに悪くないと思うのだが……

泣けるのは

福利厚生にはお金がかかるかもしれません、しかしそれによって優秀な人材を会社に引き留めることができるとしたら、より多くのお金を節約できるでしょう。私たちが低い待遇に甘じることによって、Yahoo! JPはどれだけのお金を節約できたというのでしょうか?

というところだが、まあこれもよく言われることである。

繰り返しになるが、去年就職活動を始めるまで Yahoo! JAPAN の研究所は自分の就職希望度のトップ3に入っており、インターンシップ的に3ヶ月住み込みで六本木のミッドタウンオフィスに通って仕事をした経験からも、そこまで自分は Yahoo! JAPAN には悪い印象を持っていない。

Yahoo! は賃金が安い」とは言われるが、いま NAIST でもらっているお給料を考えると、Yahoo! のほうが金額的にはもらっていると思う。家賃補助がないので家賃込みだと言われると差は縮まるが、それを考慮に入れても。(ちなみに NAIST は国立大学であり、国立だとどの大学でも地域手当以外ほとんどお給料に差はない。奈良は都会扱いしてくれるので、お給料的には東京にいるのと同じくらいもらっているはず)

これで思い出したのは「人間を幸福にしない日本というシステム」

人間を幸福にしない日本というシステム

人間を幸福にしない日本というシステム

という本。同書も問題にするのは日本という国、そして大企業などの官僚的性質であるが、Yahoo! JAPAN が陥っているような官僚主義・日本的大企業主義というのに問題があるのはみんな分かっていることで、それの原因が国・企業にあるとは著者は言わず、変わるのは個人のほうだ、と説く。

 市場経済のなかにある企業の場合は、外圧によって、変わらざるをえなくなるか、それとも消滅してしまうか、どちらかに落ち着く。しかし外圧が充分でない場合は、何十年も堕落したまま漂流することだってありうる。堕落していることは組織内の人々もとっくに気づいている。しかし状況をくつがえすなにごとも起こらない。こういう状況を、とくに「有害な惰性 (injurious inertia)」と呼ぶとしよう。
 有害な惰性の原因は何か。自壊に至るまで堕落しづづけていった組織を観察したことがある私に言わせれば、原因は二つある。一つは根本的な無関心。もう一つは、根本的な無能力。(p.231)

このあと、「無能力」というのは個人が優秀であるかどうかという話ではなく、個人としては優秀でも特定の仕事ができるわけではない、という話が続く。たとえば、研究ができても料理ができない人はいるし、サッカーのプロでも楽器が弾ける訳ではない、というように。そして、日本の問題は、問題を解決する能力がない官僚に国を牛耳らせているせいだ、という話につながる。

たぶん Yahoo! JAPAN が陥っている問題も同じで、自分は Yahoo! JAPAN のエンジニアや研究者と接してみて、実際に個々人の能力がないわけではないし、逆に優秀な人たちもたくさんいることを知っている。新卒の人数をたくさん取るし、力を適切に合わせればすごいことができるだろうとも思う。単になんらかの問題でうまく人が管理されていなくて、変なことになっているのだと思っている。この状態に一番責任があるのはトップをはじめとする上層部だろうし、それを人は「官僚主義」「大企業病」と呼ぶのかもしれないが、自分が思うにたぶんそういうことではなく、中の人が (そしてそれは割合日本人に共通することだが)「これは自分のせいじゃないからシカタガナイ」と思ってしまうためで、現状を変えようと思わず中でだらだらと過ごすか、あるいはこの退職した人のように外に出て行くか、の二者択一になってしまうからかなぁと (まあ、いずれの気持ちもよく分かるけど)。

もっとも、こういう「文化」は Yahoo! JAPAN 特有のことではなく、Yahooに起きてしまったことでも書かれているが、アメリカの Yahoo!官僚主義であることはよく知られている。びっくりしたのは Facebook の話で、

ハッカー中心の文化を大事にしよう」といった話のうち、私が聞いた中でおそらく最も印象的だったのは、マーク・ザッカーバーグ(訳注:Facebook開発者)が2007年に起業スクールで言ったことだった。彼は「Facebookは早い時点から、人事やマーケティングのような、プログラミングが主な仕事ではない職種についても、プログラマーを採用すると決めました」と言ったのだ。

任天堂は営業の人でもプログラミングの研修がある(もしくは採用試験にプログラミングがあった?)と読んだことがあるが、ソフトウェアがメインの企業だったらプログラミング分かる人が中心にいないと、どうやっても全体が官僚主義的になっていってしまうのだとは思う。こればかりはどうしようもないし、MBAホルダーが社内に増えたらその会社は(エンジニア的には)敬遠した方がいい、という話も聞いたことがあるが、理解できない人に理解してほしいと、なんとかしようと思うより、出て行くほうが賢明かもしれない。

閑話休題。先ほどの本、最後はこう結ばれている。

 先日、私が教育問題について講演したあと、ある著名な日本の教育学者が私のところにやって来て、私の批判の主な対象について彼は思いちがいをしてきたと話してくれた。彼は、私の批判的分析の対象は日本の官僚制だと思ってきたが、しかし今では、彼が言うに、私の批判の大部分は、暗に、市民として振る舞うことを自己の義務だと認めたがらない普通の人々に向けられているのだとわかった、というのだ。
 私はそんなふうに考えたことはなかったが、彼の言うとおりだ。最後の最後には、ものごとを変えられるのは、あなたしかいない。(pp.347-348)