ラジオNIKKEIで話したものの拡大版

 本日、放送された深野康彦さんのマネーマガジン(ラジオNIKKEI)で話した内容を大幅増量した

「話題の著者に訊く〜田中秀臣氏(2010.11.24放送分」、下がその音声ファイルです。クリックしてお聞きください。
 http://market.radionikkei.jp/mm/asx/mm-101124b.asx

 プレゼントコーナーはこちらを参照ください。
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ステファン・ハガード&マーカス・ノーランド『北朝鮮 飢餓の政治経済学』

 北朝鮮の経済がどんな状況にあるのか。特に90年代における数十万人から数百万人の人々が死亡した大飢饉とその現在までの波及を、独自の視点からまとめた重厚な著作である。大学の講義の基礎資料として購入していたが、昨日の北朝鮮からの砲撃事件を契機にこの本をここで取り上げておきたい。

 本書では北朝鮮の飢饉は、十分な食糧供給があり、なおかつ都市部の家計でも、食料の分配制度(公的な分配制度と市場を通じた経路)が機能しないとき、つまり本書の専門用語では「食料確保の権利」entitlementが毀損するときに生じるとしている。

 北朝鮮経済はGDPの6割ほどを公的部門がしめ、さらにその公的部門の中で軍事部門のしめるウェイトが非常に大きい。と同時に本書では朝鮮戦争後の急速な重化学工業路線をうけて都市化が急速にすすんでいると指摘している。そして北朝鮮の飢饉の特徴は農村だけでなく都市部でも飢饉の被害が出たことを指摘している。また北朝鮮の対外取引の特徴を三分割し、1)中国などからの資金援助、2)通常の輸出、3)通常ではない取引(ミサイル販売、違法薬物の取引、送金<在日朝鮮人コミュニティや脱北者経由>、通貨偽造、密輸など)からその歳入を得ている。この三番目の項目については、本書は付録をもうけて丁寧に実証的検討を加えている。

 さて「食糧確保の権利」はなぜ毀損されたのか。それは政府の計画経済の破綻である。過度に重化学工業偏重をすすめたために適切な資源配分が損なわれた。また民間主体の穀物の生産や交易を行う適切なインセンティブが設計されていない。それを代替する公共配給制度は崩壊しており、それに完全に依存していた都市住民(上記したが重化学工業化政策の帰結で都市化がすすみ国民の60〜70%が都市部住民である)も飢饉に見舞われた。ただ平壌は政府上層が居住しているので飢饉から比較的自由であり、地域格差も顕著である。

 また国際的な人道援助もそのルートの維持がさまざまな困難に見舞われた。支援物資の3割が不明になったと本書では書かれている。それは「横流し」するメカニズムが存在するためにである。ただ「横流し」はかなり過大に評価されているのも事実であり、本書では適切に推計するための手法が提供されている。また「横流し」がむしろ意図せざる市場化を進める=闇市場の興隆という帰結をもたらしたことも本書は重視している。

 21世紀に入り、国家の統制外のこのうような市場を、政府は規制しようろした。そのために食糧価格は高騰し、人々の生活は困窮し、食糧不足が顕在化した。このような不適切な介入が北朝鮮の国民の生活を困窮させ、また北朝鮮の経済自身の不安定性をもたらしている。ではどうすればいいのだろうか?

 本書の結論は北朝鮮の自律的な改革、それもより自由な空気の導入に希望をかけるものである。しかし本書が公刊されたときは、金正日の後継問題が不透明であったときだ。後継問題がはっきりしたのと引き換えに、今日、国際社会は以前からあった課題をさらに過激な形で再提起されたといえるだろう。

 ノーランドらは、「封じ込め政策」と「対話政策」』両方の手法を当時の状況を踏まえてその損得を論じている。結論としては、現状維持を続け、漸進的な調整しかありえないということになる。本書の後半の政治的な検討部分を読むと、率直にいって暗澹たる気持ちが勝ってしまう。それでもなお、「人々に確実な所有権を与え、売買を許可して、民間の生産活動」を活発化させ、「社会統制を緩めて、自由で開かれた社会における基本的人権を確立することが、(北朝鮮が飢餓から脱し、経済的不安定性から脱するために)最低必要条件」であるならば、その効用を繰り返し国際社会は説き続けることをあきらめてはいけないのだろう。

北朝鮮 飢餓の政治経済学

北朝鮮 飢餓の政治経済学

「独立自尊」欠く日本外交(猪木武徳)in『読売新聞』11月22日

 肩を痛めてから一人の食事はほぼ外食。で、近所のファミレスにいくと読売新聞の無料サービスがあるのでそれを頂戴する。読売新聞は先日の竹森俊平氏もそうだが、今回の猪木武徳氏のように重厚な経済学者に論説を書かせているので面白い。これは「解題新書」という新書をまとめて紹介するコーナーでの記事だ。もちろんただ単に新書を紹介するだけではなく、猪木氏の現在の日本外交の在り方への厳しい評価が読みとれる。

 ここでは特に最近の尖閣諸島北方領土問題についての日本政府の外交への態度への自省が求められている。

「自戒すべきことのひとつは、日本側の態度であろう。卑屈な態度が相手をますます尊大にさせるのは、外交も人間関係も同じである。そして日本人と中国人の容貌の似ていることや歴史的な関係の深さから生まれる「無防備さ」も取り除かねばならない。同じく重要なことは、外交が世論への過度な配慮や国民への一時的な迎合に支配されてはないらないということだ」

 その上で、戸部良一氏の『外務省革新派』(中公新書)を引き、そこでの世論への迎合の問題性を歴史的に指摘していく。戸部氏の本は未読なので近いうちに読んでみたいものである。むしろ世論に引きずられず、外交はプロにまかせるべきだ、という猪木氏の示唆は先日ここでも紹介した姜 克實氏の指摘と重なる

 猪木氏は得意技?の福澤諭吉を援用して、「世論」「権威」に引きずられるのは、「独立自尊」の精神に欠けているからだという。外交だけではなく、地方自治も同様の問題を抱えているという。中央の「権威」にひきずられているというのだ。

 さらに猪木氏は地方自治こそ外交の「調練」の基礎である、とした福澤諭吉の『分権論』(明治10年)の言葉を引いている。これはなかなか面白い。まず身のまわり→地方分権→外交 という段階を踏んで、「独立自尊」の精神を鍛える。精神の中味は西欧的ともいえる個人の確立だが、その「調練」の階梯には、儒教的なものを感じる。

 福澤の複雑な思想の中で、今日の外交問題を読み解く、そのような読書の快楽(けらく)をもたらす好書評である。

(参考)猪木氏の福澤論は以下で読める

自由と秩序―競争社会の二つの顔 (中公叢書)

自由と秩序―競争社会の二つの顔 (中公叢書)