2000年にスタートし、2002年に一旦完結、5年おいて「MOON-昴 ソリチュードスタンディング-」として復活したこの作品ですが、明日発売のビッグコミックスピリッツでついに完結を迎えます。
それまではチャンピオン、サンデーなど少年誌中心で執筆を行っていた作者の初青年誌連載で、主人公を女性とした上にテーマもバレエという、過去作品とは一線を隔したものだったわけですが、今から10年前コミッカーズ2001年秋号に載っていたインタビューを読み返すとなかなか興味深いのですよ。
(雑誌上ではカラーだったけど自分が持ってるのはモノクロコピー)
今までは、『本当に俺がやりたかったのは……』って言い訳しながらきたんですけど、今は正に、すごくやりたかったというものをやってるんです。だから今までやってきた集大成というか代表作みたいなものにしたいな、と思っています。
「シャカリキ!」の時には、モータスポーツの構想があったが色々あって自転車になった(そして、それはハマったし面白かった)というのと共に。
本当は万人に読んでもらいたいけど、でもやっぱり『昴』では、ある種読者を選んでもいいから、結構くどい漫画をやりたかったんです。
『昴』はある程度、これはいやだと思われちゃってもいいと思って描いてる部分もあります。
人は本当に必死になっちゃうと、ちょっとやな奴になってしまうのでは、と思ってるんです。
『シャカリキ!』や『昴』の主人公は、自分のやりたいことをやるのに必死なんで、ちょっと人の気持ちが分からなかったりとか、ひどいこといっちゃったりするんですけど、大吾*1って絶対そういうコトしないから。
これは「天才」を描く上での制約というかしょうがない部分ではあるのかな、と思いますが、少年誌ではやりにくい部分だったとは思います。
とはいえ、月刊少年マガジンの「capeta」ではやっちゃってますが。
『昴』を始めたときに、有名なダンサーのルドレフ・ヌレエの言葉があって、『私がバレエを選んだのではない。バレエが私を選んだのだ』って(笑)。『まさに僕はそれをやりたいんですよ!』って担当にいったんです。
だって選ばれちゃったんですよ?だからやめるわけにはいかない、というのを描きたい。
すばるがいつかバレエがいやになった時があっても、それをやめられないという悲劇をね。
これは、作中でも触れられた言葉だったかな。
すばるよりもプリシラに行ってしまった感はありますが。
すばるは残酷な奴なんで、勝手にそういうことも自分が陶酔できる材料にしていくんです。
だから可哀相に見えなくてもいいと思うんですよ。自分で可哀相だと思ってる奴って、全然可哀相じゃないじゃないですか(笑)。
このマンガで一番モデルにしてるのは、F1のアイルトン・セナなんです。
彼は客観的に見てもいやな奴だし(笑)、わがままだし。でもみんな何かついてっちゃうのは、ものすごい頭にくる奴だけど、そこまでするんだったら助けてあげたくなっちゃうような、そういう巻き込む力を持っているってことですよね。
なんかそういう人って、何故か周りの人が手をさしのべて助けちゃいますよね。そういうテーマはすごい興味があったんです。
本当にかっこいい奴って、やりたいことをなりふり構わないでやれる奴だ、というのがずっと頭にあったんです。
「capeta」の連載が始まったのはこのインタビューよりも後の2003年なのですが、そこに繋がるのは構想として、イメージとしてあったって事でしょうね。
僕はサンデーにいた頃から藤田和日郎さんと仲がいいんですけど、電話で話してても、二人で言い合うのは、『あ、しまった、きれいな線を描いてしまった!』って、汚くすることあるよねって(笑)。
島本和彦「吼えろペン」8巻の中で、富士鷹ジュビロがこういう話をしていたなあ、と。
奥付見てみると2003年連載分なので、日頃こういう話しまくってんだねーとなんか納得。
いや、「燃えよペン」でも「裏からすかして見てデッサンがととのってたら逆に描き直すぐらいの気迫をみせろ!」
ってあるから、熱い漫画家さんの共通認識なのかな、これ。
すばるってキャラクターは、自分の中で五年か六年ずっと思い込んでやってたから*2、頭の中にはあるんですよ、こういう奴だってのが。
うーん、伝記とか自伝とか読むの結構好きなんで、『宮本すばる』っていう伝記が一応頭にあるんですよ。それをぱっとめくったら、最初のエピソードが、弟の病院で踊った、だったんでそれを描いたんですけど。
すばるって僕の中では実在の人物だと思ってるので、それを出していける楽しさがありますね。
この辺、id:izuminoさんが『昴』夜話で書いてた話なんですが、年号的には逆か。
やっぱりそういう結論に達するものなんですね。
何かね、『シャカリキも大吾も、曽田君は真っ赤に燃える熱い奴を描くのが得意だね!」って言われるんだけど、本当に熱いところまでいっちゃうと、赤い炎より青い炎の方が温度高いじゃないですか。
(中略)
やっぱり究極は氷のような熱さで、それは『シャカリキ!』でも『め組』でも描けなかったので、『昴』はそこまでやりたいなと思っています。
梶原一騎が、似たような事を書いてました。
表面にギラギラギンに表されているうちはニセモノらしい。そういう飛雄馬もジョーも、物語が佳境にさしかかるにしたがい、ぎゃくに彼らの動きは、すみかえったように静まってきた。極度に回転するコマが、すみかえるように。これ見よがしに煙をあげている火は、まだ猛火ではない。完全燃焼する炎は高熱だが静かだ。そのように、ぼくは早乙女愛に大賀誠を愛させてみたい、と『愛と誠』を構想した。
『愛と誠』のファイト by梶原一騎、女学生の友1974年10月号より
このインタビューの副題も「BLUE FLAME RED FLAME」となっていて、やはりそういう、「突き詰めた所に居る人間」というテーマを追うと、同じ様な境地に辿りつくのかも。
だんだん自分の力をコントロールできて、舞台を美しくできるのは、すばるが二〇代後半くらいでしょうか。
そうすると終わりが近づいて来てると思うんですよね。
ビートルズも僕、好きなんですけど、ビートルズのラストの方って、めちゃめちゃ美しいんですけど、悲しいんですよ。
終わりに向かってる感じがして。ああ、こういうのやりたいな、って思いますね。
バレリーナが現役で活動する年齢というのは、個人差が結構ありますが、作品上で描かれている部分だとまだここまでは行ってないんですよね・・・。
どこにゴールがあるのか、いや、ゴールなんてあるのか?というのは分からない部分ではあるのです。
つい最近の作者ブログの記事で
なぜか『完結』ではなく『完成』という気持ち。
「昴」が始まって11年弱。ついに気持ちが晴れた。
「完成品」になりました。
当初の完成イメージ通り全20冊(「昴」11冊+「MOON」9冊)。
と書かれてるので、不足は無い、と考えていいのでないかと思います。
すばるの人生は続いているにしても、描かれなくともそこにそれはあるのだ、という感じで。
ちなみに、このインタビュー後、「MOON-昴 ソリチュードスタンディング-」として復帰後、2008年に出た「コミッカーズ ArtStile vol.5」でもインタビューを受けているのですが、ちょっと違ったニュアンスになってるんですわ。
その辺りは興味ある方ならば見ても面白いかな、って話ですね。
といったところで今回はここまで。
当ブログのバレエ関連(?)記事
- 1960年オペラ・コミック座の冊子より