四肢切断ダブルピースをめぐる冒険(提案手法概観)

 これはあくまで四肢切断ダブルピースをめぐる物語りでありそれ以外の部分は修飾に過ぎない。しかし、自分の中の四肢切断ダブルピース像を模索する内にこの物語りが同時に救済をめぐる物語りになったのは必然なように思えてきた。

四肢切断ダブルピール(背景と目的)

四肢切断ダブルピースをめぐる冒険 

三、
私は革命家から紹介を受け、私の力になってくれる可能性が高いという男、求道者の住居を目指し歩いていました。革命家と求道者、その二人は友達で、そしてかつては二人とも救済の同志として共に救済を目指した仲だそうです。しかし求道者は救済の手段に革命を選ぶことをよしとせず道を違えたのだそうです。しかし、道を違えた今でも求道者の理想、能力は信頼に値するものであり求道者ならばおそらく四肢切断ダブルピースを発見する力になるだろう、そう革命家は言っていました。
求道者の宿はJR秋葉原駅から歩いて十数分という場所にありながら都会の喧噪は消えてなくなり太陽の光は用途不明の雑居ビルに遮られ薄暗い、そんな場所でした。私はこのような場所が日本にあったのかと驚きました。いたるところにゴミが積み上げられ、それを鴉と鼠が漁り、上を見るとおそらく住民が勝手に引いたと思われる電気や電話の線が蜘蛛の巣かのように張り巡らされ、道のいたるところに酒か薬かあるいは病気か一体どのような原因かはわかりませんがうつろな目をしてぶつぶつと意味不明の言葉を繰り返す自らの吐瀉物にまみれた成人男性が寝ていました。
私は引ったくりやスリ、あるいはもっとおそろしい暴力的な存在に注意を払いながらも十分ほど歩き、求道者が住むという如何にも家賃が安そうなみすぼらしい集合住宅につきました。そこは壁の穴をダンボールとガムテープで補強しているような、取り壊し工事の途中だから中に入ってはいけないという注意書きがないのが不思議なくらいのみずぼらしい建物でした。人が住んでいるとは思えません、しかし革命家の描いてくれたメモは何度見直しても確かにそこを指していました。
私は求道者が住んでいるという部屋のドアを壊さないようにと注意を払いながらノックをしました。しかし、ノックをしてから五秒、十秒、そして二十秒たっても反応が返ってきません。もう一度ノックをしました。すると今度は一秒も立たずにすぐドアが開きました。私はまったくそれを予想していなかったために最初私がノックしたことで扉が壊れ風か何かで人の意志と関係なく開いてしまったのかと思いました。もちろんそんなことはなく――――当然ですが――――部屋の中にいる人間が開けたのです。普通、ノックをして相手が出るまでの間ドアの向こうに何かしらの気配を感じるものです。厚いドアによって遮られているとはいえ人が歩けばわかるものなのです。しかしまったくその気配がなかったためにまさか人間がドアのすぐ近くにいて開けるだなんて私はまったく予想してなかったのです。

「…………誰だ」

三分の一ほど開いたドアから見える半分の顔、羊のような目、それが私を見つめて問いかけます。彼が求道者でしょうか?

「革命家からの紹介でここに来ました」
「……入れ」

その声は病気の人間が最後の力を振り絞りのどから無理矢理に声を絞り出したときのような声でありながら、同時に芯の強さを感じさせる声でした。その声は間違いなく目の前の求道者が出しているのですがおかしなことに私にはまったくそうは感じられず、どこか地底から何か恐ろしいものが出した声が響いてきているのだと、そう感じられるのです。
部屋に入ると精液の独特の臭いが鼻をつきます。求道者の部屋はおかしな部屋でした。生活感が感じられない、とは少し違います。窓はダンボールで塞がれ、布団が敷いてあり、パーソナル・コンピュータが石床に置かれ、アニメのディー・ブイ・ディーやコミック・ブック、裸の女性が表紙に描かれた薄い同人誌が積み上げられ、東京都指定の可燃ゴミの袋が置かれその中にはたくさんの黄色く染まった丸まったティッシュがあり、間違いなくここには人が住んでいるのです。しかし同時に、どのように生きているのかまったく想像ができません。

「何か不思議なものを見るような目をしているな」

声に求道者の方を向き変えると、求道者は値踏みするようなまなざしで私の目をのぞき込んでいました。革命家からの紹介とはいえ私は知らない人間、おそらくどのような人間が探っているのでしょう。普段であればそのぶしつけな態度に腹を立てていたかもしれませんがこちらは協力を求めてやってきた他人という立場、その態度も納得して受け入れるほかありません。

「いえ、どのような生活をしているのか想像ができないな、と」
「…………ほう」

いったい私の発言のどこに感慨を受けたのか、感心したような誉めるような調子で求道者は呟きました。

「僕は最低限の労働をしてその賃金で食事をしてこの部屋に帰ってくる。そして自慰を行い……瞑想をして……眠る……萌える他は最低限のシンプルな生活を行う……それが萌え豚を突き詰めた姿だ」

ぼつりぼちりと求道者は話します。

「あのドン・キホーテが未だ革命ごっこを続けているというのなら…………聞いたことがあるだろう……動物への還元……それが真実の姿だと……」

ドン・キホーテとはスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説のタイトルにして主人公の名前です。ドン・キホーテは騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなり、騎士として世の悪を正すべく旅に出ました。そこからドン・キホーテは理想を追い求めるあまりに、誇大妄想に陥った人間を指す比喩としてもよく使われます。
そして、この場合のあのドンキホーテ、とは間違いなく革命家のことでしょう。それが直感的な解答ですし、理屈で言っても私と求道者の共通の知り合いは革命家しかいないのですから消去法で革命家だという結論が導けます。

「革命ごっことはずいぶんな言い方ですね」

私は友人を馬鹿にされた怒りで反射的に言い返しました。私は革命家が如何に革命のために様々な活動を行っているのか、それを知っています。私はその事実を知っている者の、そして革命家の友人の義務として彼の正義を伝えなければいけないという義憤に駆られていました。
しかし求道者は一切喋るペースを変えることなくぽつりぽつりと話し続けるのです。

「あれに価値があるとすれば必死に頑張るその姿が周囲を萌えさせるという……それだけのことに過ぎない……あれのやろうとしていることは救済などという大層なものではない……有史以来ずっと続けられてきた持つ者と持たざる者の天秤を傾ける行為に過ぎない…………それはそれで素晴らしい行いかもしれないが……革命家のいうような大それた全ての救済などでは断じてない……」

なんという言い草でしょうか。人を救おうと今なお頑張っている革命家に対してこの言い草。仮に彼もまた別の救済を目指していて別の道を選んだ革命家の道を否定しているのならわかるのです。それはお互いの正義と信念の問題でしょう。しかし、求道者はさっき本人が言ったようにここでただ生きているだけなのです。そんな人間が革命家を批判する資格があるでしょうか?
それは安全圏で怠惰に生きている人間が努力している人間を否定する行為です。それは到底許されるものではありません。何故こんな人間のことを革命家は信頼しているのでしょうか、不思議でなりません。

「ならば貴方はここで何をやっているのですか?貴方もかつて救済を志していたのでしょう。しかし貴方はここで自慰をしているだけじゃないですか。そんな貴方が革命家のやっていることを馬鹿にする資格はあるのですか?」
「かつて救済を志していた……その言い方は正しく……また同時に間違っている…………僕は今この瞬間も救済を志している……」

求道者の言葉にはただ事実を語っているという強さがありました。そこに批判されたから説得しようという必死さは欠片にも感じられません。ただ、間違ったことを言われたから正しい言葉を返す、そういう語調です。
この頃には私の頭の中には、もしかしたらこの求道者は頭がおかしくなってしまったのではないか、そんな疑問がわいていました。革命家と求道者、この二人が最後に連絡をとったのがいつかは知りません。ですが、革命家の知らないうちに求道者は狂ってしまい、それを知らずに革命家は求道者を紹介したのではないか。
そうでなければ自慰と瞑想しかしていない人間が救済を口にするなどと言う恥知らずなことがどうしてできましょうか?

「救済、救済ですって?自慰しかしない萌え豚の貴方にいったい誰が救えるというのですか」
「生きるための最低限の労働と自慰と瞑想……そうしたシンプルな生活こそが動物に還元されるということだ……内的世界の変革は究極の目標でありながら……最初の一歩でしかない…………もし思想が政治でも言葉遊びでもましてやアジテーションのための道具でもなく……もっと切実な……生きるための手段だというのなら……ウロボロスの如く最初の一歩と究極の目標を円環状に繋げなくてはいけない……すなわち生活での実践……理論と生活の一体化……」

つまり、思想は語るものではなく生活で実践して始めて意味がある、というそういったことが言いたいのでしょう。そして彼は萌豚こそが人の真実の姿であると、そういう思想を生活で実践しているのです。
しかし、それは救済ではありません。革命家はその観念を炸裂させることで始めてそれは救済となるとそう言っています。そうです、その観念は自分の中にあるだけでは自分しか救えません。某かの手段で人々にその観念を知らしめることで初めてそれは救済の手段となりえるのです。しかし、人は真実を直視する強さを持たないが故にただ言葉を尽くすだけでは人々はその観念を持つことはできません。それ故に知恵を絞ってその観念を炸裂させる手段を考えているのです。その努力を怠り自らのみを救っている求道者に革命家を批判する権利があるとはとうてい思えません。

「貴方がここで萌え豚として生きている理由はわかりました。しかし救済はどこに行ったんですか?革命家は今も戦っているんですよ」
「僕の言う救済と革命家のいう救済は少し違う……革命家は人民のことを真実の太陽を直視できない弱者と言うが僕に言わせればあれこそが真実を直視できない弱者に他ならない…………だからあれは真理をアジテーションの道具とすることしかできない……」

声に明確な悪意と嘲りが混ざります。

「どうやら君はなにか勘違いしているようだ……僕と革命家は確かに救済を目指すという意味では共通しているが……僕らが同志だったことは一度もない……」

それからポツリポツリと求道者は革命家との出会いについて語り始めました。

四、
僕とあれ――――すなわち、革命家はインターネットを通じて出会った。
当時僕はアニメの感想サイトをやっていた。今となっては想像できない環境かもしれないが、当時そういったサイトは本当に少なかった。今は、10分もあればブログなどでアニメの感想を語る空間など作れるが、当時はまだそういう時代ではなかった。
最も今と当時、どちらがいい環境かは僕にはわからない。確かに読む人間も増えたが誰にでも簡単に発信できるという環境は読む人間が増えるペース以上のペースで書く人間を増やしてしまったように思う。もっとも、あの界隈から足を洗ってしまった僕には確かめようのない話だが。
――――そう、不審げな目をするな。ちゃんとこれは革命家との出会いに繋がる話だ。
人間は虚空に向かって話し続けることに耐えられないものだ。人とわかり合えるなどというのは幻想だが、その幻想は生きていく上で必要不可欠なものだ。
毎週アニメを観て、その感想を書きながら、あの時僕はそれを読む人間を渇望していた。そうだろう、誰の耳にも届かない歌になんの意味がある?言葉というのはそれを受け取る人間がいて始めて言葉として成立する。
そうした状況にあって僕らが読む人間を増やすためになにをやったのか、という話だ。まず読む人間は僕と同じくアニメを観ている人間でなくてはいけない、そしてただ観るだけでなく多くを考えそれについて語れる人間が好ましい。さて、ここまで言えば僕が、あるいは僕たちがなにをやったのか推測がつくのではないだろうか。
そう、その条件を満たす人間、それは当時は数が少なかった他のアニメ感想サイトの運営者だ。僕たちは掲示板やコメント、web拍手などの手段を用いてお互いに繋がっていった。そうしてある集団が生まれた。その集団に名前はなかった、ただ“連合”と僕たちの繋がりは呼ばれた。そして掲示板で討論し、お互いの記事に対して意見を言い合い、それを動機に記事を書いていった。
ここまでくれば僕とあれの出会いも推測がつくだろう。革命家もその中にいた。僕たちはお互いにアニメ感想サイトを運営しているという共通項で最初は繋がった。僕と革命家はその中で年齢が近かったこともあるのだろう。僕たちはすぐ意気投合して、その結果として “連合” の中でお互いを特別な一人と位置づけた。
書く人間を読む人間とすることでお互いのモチベーションを作成する “連合” 、はたしてそれはそのまま拡大を続けただろうか。答えはノーだ。どこがを境に逆に僕たちの繋がりは収縮していった。それはあるいは組織というものの必然だったのかもしれない。
僕らは討論し続けた結果として同じ言語でアニメを語るようになっていた。決して全員が同じ意見の持ち主というわけではない。お互いを特別と位置づけた僕と革命家ですらただの一度も同じ意見に達したことはない。だが、同じ言語、同質の切り口、同等の問題意識、そういったものを僕らは確かに共有していた。それが「救済」だ。
僕らはアニメに救済を求めていた。あらゆるアニメを救済という切り口で解体し、議論を行った。人間は救済されるのか、人間は救済されなければいけないのか、救済の手段はあるのか、僕たちは全員「救済」という問題意識で繋がっていた。その結果が “連合” の収縮だ。
僕たちは内部で議論をし過ぎた。気付けば外部の人間にはわからない言葉で喋るようになっていた。そして外部から誰かが議論に参加しても初めて救済という切り口で思考した人間の口にする質問や意見など僕らはとうに議論が終わったものばかりだった。だから僕らは外部の人間と話すことをやめた。一からどういった問題がありどういう議論が行われてきて今どういった点が議論されているのか、そんな説明をしなくてもそれを知っている人間がそこにいるのだ。だったらわざわざ説明をするという手間をかけてまで外部の人間と話す必要はない、僕らは言葉にこそしなかったがおそらく全員がそう思っていた。ただただ内部で議論をし続けた。
そしてあるとき、僕たちはオフ会を、つまり現実世界で出会い議論をしようということになった。当時僕と革命家の共通の知り合いだった人間が東京にやってくるということで決まった話だった。
そして僕らはとある僧院でオフ会をして、救済を求めて共に瞑想を行った。その瞑想で僕と革命家が発見したのが人間の「真理に飛翔できる能力」だ。
僕たちは瞑想を通して世界の真の姿を見たのだ。
それは主観によって歪められる前の真実の世界の姿だ。そこは他者と自分と物体、その全てに線引きがなくどこまでも地続きに続く世界だ。その世界にあっては自分などというものはなく。あらゆるものは意味を失った。
誰もが世界を観測するときに主観というフィルタを通している。我々が目にする世界は常に主観によって歪められている。瞑想、すなわち自分の意識の流れの観察を行ない僕たちは徹底的にその解体を行った。そして僕たちの世界を歪める二つの無意識に行う認識の操作を発見した。
一つはまるで自分というものがあるという錯覚。そしてもう一つが世界を細かく分類する動きだ。そして瞑想の目的はそれらの操作を行う前の世界を認識することにある。
それらの操作を行う前の世界は主観というフィルタを通していないために常に正しく。また、共通の経験だ。あの瞑想の瞬間、確かに僕と革命家は同じ人間だった。
あのあと、僕と革命家が真の世界を見たものとして共に歩めば、あるいは僕たちは革命の同志として共に戦うことになったかもしれない。しかし、そうはならなかった。
僕は “連合” を抜けた。そう、僕は当時大学に入学して、実家を離れてインターネット環境のない寮でしばらく生活しなくてはいけなかった。だから当然、アニメの感想サイトの運営を続けることはできなかった。
話によると僕がサイトを閉鎖してすぐ革命家もサイトの更新をやめてしまったらしい。どうやら大学に入ってからすぐあの革命ごっこに熱を上げたようだ。生活の変化によってやむを得ず、あるいは他にやるべきことを見つけ、サイトが更新されなくなる、そんなことはこの界隈ではよくあることだ。僕らの別れもそういうよくある事態の一つに過ぎない。
それから二年後、僕が大学三年生になると同時にキャンパスは代わり、僕は再びインターネット環境を手に入れた。そして革命家とチャットして、僕はあれに失望した。
あれは真の世界の冷たさに耐えられなかったようだ。確かに同じ真の世界を見たはずなのに、彼女はそれから目を背けるように偽物の救済を追っていた。
それから僕と革命家はたまにSkypeチャットでアニメやライトノベルの感想を語り合ったりする程度で、救済の話をしなくなった。僕たちの道は違えたのだ。


五、
「僕たちは確かにあのとき同じ世界……真の世界を見た……もし真の意味での救済がこの世に存在するのなら……それは革命家のやっているような闘争の中にではなく……あの世界にしか存在しない……」
「真の意味での救済?」
「自分や自分の意志などというものは世界の変化の中で生まれたかりそめの線引きに過ぎない……いずれ太陽は寿命を迎え……人は滅びる……何を為そうと虚無に過ぎないのであれば救済はあり得るのか…………仮に真の世界が善なるものであれば……世界に存在する全て物、行為は善きものということになる…………それこそが未来と過去、全ての童貞の救済だ……全ては救済されるのか……それとも全ては虚無に過ぎないのか……二つに一つしかあり得ない……それを見極めるために僕は瞑想を続けている……」

私はくらくらと目眩のような感覚を覚えました。人に備わった最初から真理に飛翔できる能力、瞑想によって得られるどこまでも続く永遠の世界、そしてその世界での救済。正直な話をしてしまえばどれも信じがたく神秘的すぎます。果たして求道者は正気なのか、そして求道者を頼ることで四肢切断ダブルピースを発見することができるのか、不安が胸の中に広がります。
しかし、四肢切断ダブルピースは矛盾を内包したジャンルです、ならば四肢切断ダブルピースはそういった神秘的で論理的でない天啓のようなものを使わなければ辿り着けないのかもしれません。

「今日は貴方に助けを求めに来たのです。ある問題に対して貴方なら力になれるだろうと」
「知っている。具体的な話は君から聞くように言われたため知らないが……あれからも瞑想を続けている僕ならば助けになれるだろうと……チャットで昨日から今日にかけて聞いた……」

私は四肢切断ダブルピースについてのこれまでの経緯を求道者に話しました。理論と直感が別の答えを出したこと、そして革命家は直感が正しい可能性があると判断したこと、そして求道者であれば力になれると言ったことです。

「なるほど……確かに僕向けの話のようだな……」

その言葉に含まれていた感情の正体は私には判断できません。おそらく喜びだとは思うのですがそれにしては妙に昏く、また羞恥心すら混じっているように感じられました。

「四肢切断ダブルピース……それは君が考えたように両脚を切断し残った両手でダブルピースをさせる、あるいはピースさせた状態で切り落とす、といった誰もが思いつくものから……義手によるダブルピース……四肢切断されて死んだ女性の後ろで幽霊となった女性がダブルピースを行う……念力や電波などいった手段で遠く離れた四肢をダブルピースさせるといった荒唐無稽なものまで……等しい論理的妥当性を持って様々な可能性が考えられる……それらのうちから正しい選択肢を選ぶ手段はあるだろうか?」
「それが真理に飛翔できる能力、ですか?」
「君は少し話の先を読みすぎる傾向があるようだな……優れた直感力によって生きてきた経験故か……」

求道者は軽く笑いを語調に混ぜて呟きます。私の胸中に羞恥心が広がりかけましたが、気にした様子も見せず求道者は次の言葉を発します。

「それは手段の一つに過ぎない……最も一般的な手段は実験を行うことだ……仮説は実験によって事実であると証明される……しかしどうやら僕が革命家に期待されているのは真理への飛翔だろうな……いいだろう……僕も四肢切断ダブルピースには興味がある…………君が四肢切断ダブルピースを再発見できるよう協力しよう」
「しかし、革命家は私が最初から真理に飛翔できる能力によってすでに四肢切断ダブルピースにたどり着いているというのですが、私にはどうしても自分がそんな神秘的な能力を持っているようには思えないのです」
「ならば君が両脚切断ダブルピースを四肢切断ダブルピースでないと感じることをどう説明する?……どうやら君はなにか勘違いしているようだ……真理に飛翔する能力……それはなんら神秘的なものではなく僕たちが普段やっていることに過ぎない……」

元から断続的な喋り方をする求道者ですが、今度の沈黙はなんといおうか迷っているのか若干長めでした。

「例えば君は『赤い』や『丸い』という概念をどう認識している……?」
「どうって……」

私にはこの質問の意図がわかりませんでした。しかし、質問に対して沈黙するわけにはいきません。思った通りに答えます。

「赤いものは赤いし、丸いものは丸いとしか」
「そうだ……それが正解だ……『赤い』は光の波長の区分で定義可能かもしれない……あるいは三原色に分解してアール・ジー・ビーで定義できるだろう……『丸い』は中心の一点と半径によって定義するか?……しかし、そういった定義の手段を認識するのは僕たちが『赤い』や『丸い』を認識できるようになってからだいぶ後になってからのことだ……すなわち僕たちは定義を持たずしていくつかのサンプルを与えられただけで『赤い』や『丸い』の本質に飛翔しているということだ……これが真理に飛翔するということだ…………さて、それを四肢切断ダブルピースという萌え属性に適用するとどういうことになるか……」

確かに私たちは何かを認識するときに理論による定義よりも先に直感による定義を持つものです。それが革命家や求道者のいう真理に飛翔する能力だというのなら確かにそれは神秘的なものではないかもしれません。
しかし、そうなると今度は別の疑問がわきます。果たしてそのようなもので私は四肢切断ダブルピースにたどり着くことはできるのでしょうか?
確かに理論化できない部分で人は何かを認識しているかもしれません。しかしそれはその程度のものであって現に私は未だに四肢切断ダブルピースの真実に到達できていないのです。今以上を目指そうとすべればそのときに頼るべきは理論なのではないでしょうか。それこそが文明人の選ぶ道ではないでしょうか。

「先ほど僕は四肢切断ダブルピースの可能性の一つとして、四肢を切断された女性が念力によって腕を動かしピースさせる、という例を出しただろう……僕も君もそれが四肢切断ダブルピースではないとすでに"知って"いる……しかし何故それには四肢切断ダブルピースの資格がないのだろうか……それは四肢切断ダブル念力ピースが四肢切断ダブルピースの本質がそこから離れているからだ」
「四肢切断ダブルピースの本質?」
「そうだ……僕たちは萌え属性そのものに萌えるわけではない……僕たちがメイドさんに萌えているときそれはメイドさんという属性そのものに萌えているのではない……メイドさんはただの様々な要素の集合つけられたラベルに過ぎない…………僕たちはメイドさんという属性を通して見える上下関係や忠誠などといったメイドさんの本質に萌えているのだ……それらの本質によってメイドさんと女中やお手伝いさんなどは明確に区別される……」
萌え属性の本質……」
「本質を認識してそこに向かって理論で道を作ることが四肢切断ダブルピースへの最短経路となるだろう……でなければそれこそ神秘的ななにかに頼るか……あるいはよほどの幸運に恵まれるかしないかぎりは四肢切断ダブルピースを発見することなんてできない……」
「しかし、四肢切断ダブルピースが何かすらわかっていないのにその本質などと言われても……」

そこまで言って私は気付きました。そう、私たちは『赤い』や『丸い』の概念を定義する前にすでに知っていたのです。そうであるように未だ見えない四肢切断ダブルピースの本質にたどり着けとそういうことなのでしょう。
しかし『赤いもの』や『丸いもの』は間違いなく私たちの周囲に存在するのです。それに対して四肢切断ダブルピースはまったく正体不明の存在。果たしてその本質を発見することなどできるのでしょうか?
私が何を考えているかどうか察したかのように求道者は頷き、ぼそぼそと語り始めました。

「そう……僕たちが『丸い』や『赤い』などを発見するように四肢切断ダブルピースを発見しなくてはいけない…………それはいくつかのサンプルを並列して眺め共通点を括り出す必要がある……しかし、未だ僕らは四肢切断ダブルピースを持っていない……ならばどうするか……しかし、僕たちは明らかに四肢切断ダブル念力ピースが四肢切断ダブルピースでないことは知っている……それはつまり四肢切断ダブルピースとサンプルの距離を直感的に測れるということだ……ならば充分なサンプル数を用意したとき……四肢切断ダブルピースの本質にたどり着くことは可能だ……」
「なるほど、手法はだいたい理解したつもりです。多くのサンプル、すなわち四肢切断ダブルピース候補を用意する。そしてそれらが直感的に四肢切断ダブルピースからどの程度離れているのか判断する。そして四肢切断ダブルピースに近いと思ったものはどういった共通項を持つのか、そして遠いと判断したものはどういった共通項を持つのか、それを判断する。それによって四肢切ダブルピースの特徴を徐々に捉えていく。そういうことですね?」
「その通りだ……なるほど、君は確かに賢く優れた直感力を持っているようだ……」
「しかし、不安なことが二つあります。まず、多くの四肢切断ダブルピース候補とも呼ぶべきサンプルを用意することがその手法の大前提ですがそこまで多くの四肢切断ダブルピース候補を用意することができるのか。もともと物理的に困難だからこその四肢切断ダブルピースをめぐる冒険です。それほど多くの四肢切断ダブルピース予備軍を思いつけるとは思えないということです」
「前者も後者も簡単ではないだろう……まずはサンプル数の問題だが……  先ほど僕がそうしたように四肢切断ダブルピースという単語から連想できるものを可能な限りあげる……しかし君の言う通りそれではおそらく足りない……それらの四肢切断ダブルピース候補を頭の中で少しずつ変更させながら自分の中の四肢切断ダブルピースを比べてその距離を測り続ける……それは己と向き合い続ける果てしない作業になるだろう……だが真理の探究とは太陽を直視するようなものだ……」

「そして二つ目としてその手法は聞くからに高度な思考操作です。はたして私にそれができるのかどうか……正直な話、私には自信がありません」

「僕もまた真理への飛翔、僕たちが無意識にやっている思考上の操作を普遍的で……意識的に行えるものに変えるために……瞑想を続け……無意識の分析と解体を行い続けた……それは決して平坦な道のりではなかった……君に急にやれというのは難しいだろう……しかし僕が用意できる四肢切断ダブルピースへの道はこれしかない……よって君が四肢切断ダブルピースをあくまで求めるのならば……やるしかないだろう」

そう言われてしまえば私の返事は一つです。いったいなにが自分にそこまで四肢切断ダブルピースを求めさせるのか。それはわかりませんが確かに私の胸には四肢切断ダブルピースを求める衝動があります。

「わかりました。やってみましょう」

様々な四肢切断ダブルピース候補を私は思い浮かべます。
まずはずっと理論上それしかないというような両脚を切り落とし残った両手でピースをさせるというもの。これはかなり四肢切断ダブルピース近いでしょう。しかし、私の中の何かがそれは違うと訴えます。
両腕をピースさせた状態で切り落とす。それも確かに四肢切断ダブルピースの名前に相応しいかもしれません。しかし、その程度のものが四肢切断ダブルピースなのでしょうか?そんなものは四肢切断というジャンルの一要素に過ぎません。そのようなものは四肢切断ダブルピースではないとそう感じられるのです。
四肢切断した後に義手でダブルピースさせる。それはまったく違います。そんなものが四肢切断ダブルピースであるはずがありません。
念力や電波などの遠隔操作手段によって遠くにある腕をピースさせる。これは先ほどの義手ダブルピースよりかは四肢切断ダブルピースに近いかもしれませんがこれも違うでしょう。
四肢切断して死んでしまった女性の幽霊がダブルピースをしている。求道者はこれを荒唐無稽と切り捨てましたが、これは意外と四肢切断ダブルピースに近いと、意外にもそんな気がするのです。。
さて、ここから得られる四肢切断ダブルピースの本質とはなんなのか?そこで私の思考はぴたりと止まってしまいました。
求道者は黙っています。私は協力してもらった求道者に報いるためにもなんとかこの方法で四肢切断ダブルピースの本質にたどり着かなければいけません。しかし、そこからどうやっても思考はグルグル回るばかりで先に進みません。
しばらくの沈黙の後、求道者は口を開きました。

「……どうやら付け焼き刃ではそう上手くもいかないと見える」
「はい、私には未だ四肢切断ダブルピースがなんであるのか、それが一向に見えないのです」
「だろうな……ここまでの理屈であればあの革命家だって到達していた……ここまでの助言であれば表現は違えどあの革命家にだってできただろう…………それでも僕に助けを求めたと言うことは……これ以上を望まれているということだ……」

どうやら求道者はこれ以上の助言を私に与えてくれるようです。

「これから僕は僕の四肢切断ダブルピースの真理へと飛翔する…………だが世の中には同じ名前をした別の概念が存在している…………よって僕の君の四肢切断ダブルピースと君の四肢切断ダブルピースとは別のものかもしれない……知るという行為は……不可逆の決して後戻りできない操作だ……故に僕の四肢切断ダブルピースを知るというのは君の四肢切断ダブルピースに至る道の障害になる可能性はある……どうする?決断するのは君だ……」
「私は……」

しかし、彼らのいうところの真理への飛翔。それが私には充分に出来ず袋小路に入ってしまったのは事実です。確かにリスクはあるかもしれません、僕と彼の四肢切断ダブルピースが同じものとは限らないのですから。彼の四肢切断ダブルピースを知ってしまうことで私の印象が固定されて私は私の四肢切断ダブルピースを見失うかもしれません。しかし、四肢切断ダブルピースに対する真理への飛翔がどういう思考操作か認識した経験は、彼とは違う道を選ぶとしても私にとって有意義に働くのでないでしょうか?
そうです、彼の四肢切断ダブルピースが私のそれとは違うものだと、そう感じたとしましょう。しかし、彼がどういう思考操作でその結論に至ったかを知っていればどこで道が分岐したのかわかるのではないでしょうか。

「お願いします。貴方の四肢切断ダブルピースの真理への飛翔を行ってください」
「いいだろう……君はメフィストフェレスと契約したファウストだ……」

求道者は目を瞑り沈黙して、そして数十秒の後口を開きました。

「そうだな……僕の考える四肢切断ダブルピースは四肢切断とダブルピース……両方の本質を持つものだ……二つが組み合わせることでまったく別のものに変質するパターンもあるが……この場合はおそらく違う……何故なら四肢切断とダブルピースは似た本質を持つ相性のいい組み合わせだからだ……」
「相性がいい?四肢切断とダブルピースが?」

そんなはずはありません。それら二つを組み合わせることができないからこそ私は四肢切断ダブルピースをめぐり冒険をしているのです。
しかし、求道者は

「そうだ……精々物理的に困難ということ程度で……この二つは存外似通っている……」

などと一言で片付けてしまうのです。

「そうだな……それを説明するために人間というものを内と外というモデルに分けよう……内側とは意識のことであり自分のことだ……そして外側とは社会などの自分でないものを指す……」

そういうと求道者は紙を取り出して図を描きました。

f:id:semimixer:20111112050329j:image

「自分とそれ以外という構図に分けたときそれらは独立の存在だが……決して不干渉というわけではない…………内と外を繋ぐ道がある……なんだかわかるか……」
「自分と社会を繋ぐ……道」

確かに自分と社会は別物ですが、関係ないということはありません。自分は社会に影響を与えて、社会は自分に影響を与えます。

「それは例えば声とかでしょうか?声を上げることで私は社会に影響を与えることができます」
「そうだ……それも一つだ……例えば声を上げる……手を動かし文字や図を描く……それらは全て筋肉の運動だ……身体を使うことで意識は社会に影響を与えることができる……それが内側から外側への道だ」

そういって求道者は図に矢印と文字を書き加えました。

f:id:semimixer:20111112050330j:image

「ここまでくれば外側から内側への道も想像できるだろう……」
「外から自分の意識に影響を及ぼすもの、五感ですね」
「そうだ……五感、すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を通して人は外側から影響を受ける……」

そういって再び求道者は矢印と文字を図に書き加えました。

f:id:semimixer:20111112050331j:image

「もっとも五感というのはアリストテレスにの時代の分類であり……平衡覚や内臓感覚などのそれらに分類されない感覚もあるが……それは本質ではない……人は感覚によって外の世界から影響を受ける……さて、そうしたモデルで人間と社会といったものを認識しよう」
「内側と外側、そしてそれを繋ぐ二つの道」

意識は身体を持って社会に影響を与える。そして社会は五感を通して意識に影響を与えてくる。意識が内側で、社会が外側。

「まずは四肢切断の本質……それは外の世界に影響を与える手段の剥奪だ……四肢を切断された人間はどんな暴行に対しても抵抗することはできない……逃げることすらできない……世界に対して自分の望む影響を与えることができない……すなわち身体を奪うことによる自由の剥奪だ」

そういって求道者は図の身体と書いた部分にバツマークをつけました。

「そしてダブルピースの本質。ダブルピースは笑顔強制とアヘ顔ダブルピースを内包する……笑顔強制……これの本質はいったいなんだろうか……?酷いことをされているのに泣き顔すら許されない……何故酷いことをされているのに笑顔を浮かべるのか……それは笑顔を浮かべなければより酷い未来を与えられるからだ……それは暴力か……あるいは屈辱的な写真を公開されることになるのか……あるいは愛するものに不幸が訪れるという場合も考えらえる……より不幸な未来像による強制……それは外側による自由の剥奪に他ならない……」

次は社会と書いた部分にバツマークをつけました。

「そして最期のアヘ顔ダブルピース……これは一見自由に思えるかもしれない……しかし、もし仮に人が動物と違う文化的な生き物であるとするならば……個人の人格は不可侵でなければいけない……快楽であれ人の思考能力を奪うのであればそれは自由の剥奪と同じである……ならばアヘ顔ダブルピースとは五感ルートを使った自由の剥奪であるとされなければいけない……」

最期に五感と書いた部分にバツマークをつけました。

f:id:semimixer:20111112050332j:image

「おお」

意図せず吐息が八割ほど混じった感嘆の声が喉から漏れます。何故ならばそうしてできたその図は美しく、完全だったからです。私の自分の股間に激しい血液の潮流を覚えました。
自分の中で何かがカチリと当てはまります。それは例えるなら1日中砂漠の中を彷徨ったあとにオアシスを見つけた感覚でしょうか?とにかく私は求めているものが急激に自分の中に与えられていくのを感じたのです。

「よって四肢切断ダブルピースがそれら三つの属性を持っているのであれば……外側……すなわち身体の外側に存在する社会による自由の剥奪……人格を外側に伝えるための器……身体の破損による内側から外側への通路の破壊による自由の剥奪……そして外側から内側に情報を伝える五感……それにより内側の思考能力の自由の剥奪」
「三重の自由の剥奪……」

自分の身体が震えを感じます。

「四肢切断ダブルピースの本質は『完全なる自由の剥奪』……それ以外にはあり得ない…………ならば四肢切断ダブル念力ピースが四肢切断ダブルピースであり得ないのは自明だ……自分の意志でダブルピース出来てしまうのならばそれは『完全なる自由の剥奪』ではない……同様に両脚切断ダブルピースも腕が残っていては四肢切断ダブルピースではあり得ない」
「『完全なる自由の剥奪』」

間違いありません。それこそが四肢切断ダブルピースの本質です。間違いありません。
自分の身体が震えている理由をようやく悟りました。感動です。
嗚呼、『完全なる自由の剥奪』なんと甘美な響きでしょうか。自分の男性器がビクビクと穿袴の中に精を吐き出すのを感じます。

「どうやらその様子を見ると求めているものを与えられたようだな……だが僕に出来るのはここまでだ……『 完全なる自由の剥奪 』それが一体どういう形で現実世界に顕現するのか……それは僕にはわからない……」

そう、まだ四肢切断ダブルピースにたどり着いたわけではありません。四肢切断ダブルピースの本質が『完全なる自由の剥奪』だと発見しただけです。

それが一体どういう形でこの世界で表現されるのか、それを発見するまで四肢切断ダブルピースをめぐる冒険は続きます。