NHKの松本特番から、ダウンタウンについて思う

この記事は話をまとめようとしたら、書けない気がしたので、このタイミングでとりあえず思ってることを、勢い羅列で書いていきたいと思います。
まず『プロフェッショナル・仕事の流儀 松本人志スペシャル』の単体の感想を、書かないでおこうと思ったというのは、対した内容がなかったからに尽きます。
内容がなかったというのは、中身がなかったということではなく、新しいものがなかったというか、はっきりいって10年ぐらい前に『VISUALBUM』を出したときに、松本がオランダまでゴッホの絵を見に行くドキュメントを、これもNHKでやっていたけど、ほとんど同じような内容だった。
そんな大層なものに観られたくない、とかいいながら、大層なものとして扱われる演出に乗っかる松本とか、打ち合わせなどで松本が喋るのを、大仰に受けて笑う高須と倉本の二人という絵面の既視感が凄かった。

Togetter - 「変化を楽しむベテランと、変化を拒否する中堅若手芸人」

なんかいきなり話題が飛ぶけども、松本人志こそ、定期的に取り巻きを入れ替えた方が良いよなあ、どんなに松本人志が変化しても、松本が判断基準を委ねている人が何も変わってなければ、松本が最後に出してくるものに変化はない。一緒に遊んでる連中というのも、大体が木村、ジュニア、三又、大輔あたりが固定で、この辺の眼鏡に適った後輩が、増えたり入れ替わったりしているだけだろうから、こういう取り巻きに変化がないというのは、松本以降の吉本芸人に全般的に言えることなんだろうけど、やっぱり周りをガキの頃からの友達とか、一番最初に自分を評価してくれた人達で固めるというのは、思考の硬直化と言うことだけではなく、なにか不健全なものを感じてしまう。

Togetter - 「@kota110131と@toroneiによる「松本人志 MHK」の感想」

この辺の会話で出ている。松本の笑いはツッコミ芸であり、批評型であると言うことについては、『MHK』の感想でも書いたけど、もうちょっと踏み込んで説明したい。しかしこれを話し出すとダウンタウンが、どうして松本と浜田の二人でネタやらなくなったのか、という構図を理解できることになってしまう。
いや『MHK』を観ていたら、もうダウンタウンは一生二人でネタすることはないんだろうなあ、ということにも気付かされるわけで、それを考えると切なくなる瞬間がありました。
ダウンタウンのネタは基本的にWツッコミなんですよね、非常に漫画的な大きなおかしな設定があって、それに少し角度の違うツッコミを入れているのが、松本人志であり、それに対して暴力的だけど常識的にツッコミを入れるのが浜田雅功のツッコミ。そして浜田の暴力的で常識的なツッコミに対して、松本が批評性のあるツッコミを返していき、その掛け合いを続けていくというのが、ダウンタウンの基本的な二人だけで何かするときの構造です。
でもこの構造だと、ネタを先鋭化させていくと、どうしても浜田さんがいらなくなるというか、フリートークしかダウンタウンという形でできなくなっていくんですよね。そのフリートークですらも、『ガキ使』でどんどんやらなくなっている。ダウンタウンは結構、浜ちゃんに依存している部分というか、アーティスト松本人志を生きながらえさせるために、タレントのダウンタウンという部分を浜ちゃんが守ってるんだけど、その点で浜ちゃんは全く評価されないし、ピンの仕事が二人に始まった頃には、「浜田はダウンタウンを裏切っている」とまで言ってる人がいた。
とりあえず『プロフェッショナル』の感想として言えるのは、松本が浜田に謝ることはいっぱいあるし、感謝しきれないと思うけど、浜ちゃんが松っちゃんに謝る事なんて、これっぽちもないと思うけどなあ。という感想だけが最後残った。
今回は『MHK』よりも、『プロフェッショナル』の後の方が、感想を書いてる人が多くて、これはそのままダウンタウンの不幸と言えるんだけど、松本はやっぱりどうしても照れてしまうし、浜ちゃんと物作りがしたいんだろうけど、いま松本が何かすると、どうしてもその事だけで大仰になって、過大な注目されることなどもあって、浜ちゃんが付き合わないという判断は分かるし、いや松ちゃんもそれが分かってるから、無理に誘わないし、あのコメントは負い目があるのは松本の方だと、本人も分かってるから出た言葉のようにも思えました。でも松本人志のネタは、最後に浜ちゃんの一言大きなツッコミがあれば、というネタが結構ありましたからね。
しかし『MHK』より『プロフェッショナル』の感想書いてる人が多いとか、コントの質とかではなく、松本が何か新しいことに挑戦しているという姿勢だけで、評価する人がいるというのは、浜ちゃんとしては踏み込みたくないエリアでしょう。これがダウンタウンの不幸を現していますね。松本にしてみたら自分で選んだ道とはいえ。浜ちゃんのことを考えると切ないわ。
あとダウンタウンは漫才やらなくなったのも含めて、たけし&さんま、とんねるずウンナンはいつでも二人でコントできるんだよ、でもダウンタウンはできないんだよ。これに気付いたらお笑いファンなら涙しないわけにはいかないよ。しかし浜ちゃんにとって、それが唯一のダウンタウンを守る方法だったんだよな。だから松本人志は、浜田に一生足向けて眠れないと思います。あるタイミングで、10年に一回ダウンタウンのコントを見れるのと、毎週ダウンタウンの番組を見れるけど、漫才やコントは二度と見れないのどっちを選ぶかだよね。浜田は後者を選んだんだように考えています。
だから簡単に「次はダウンタウンでのコントを観たい」というのは、いまの二人のおかれている状況を考えると、無神経に軽く言い過ぎなように思います。それにコントはともかく、漫才はどう考えても無理だろうなあ、15年ぐらい前の段階で、『ダウンタウンDX』で島田紳助を前にして、「いま漫才やったところで、フリートークより評価されるのか?」という本音を漏らしていたし、何より漫才のリズムというのを取り戻すのに、相当な時間が必要と思うんですけどね。それこそ花月やルミネで20日ぐらい出て、20日目の漫才を流すというのなら良いんでしょうけど、定期的に漫才していない人たちの漫才って、どんな天才と言われている人達でも、なかなか厳しいものがありますからね。
ただダウンタウンのコントとか漫才といったネタが、もう日常的なものとして出せなくなっていると考えると、やっぱり今から観ることはできないよなあ、本当に二人が解散とか引退するときに、一度だけやるという話が実現することを祈るしかなさそうです。
それだけ松本人志という、裸の王様の存在が、一番近くにいて一緒に歩いていたはずの人でから、寄せ付けないほど肥大してしまったという悲しさを思い知らさせた、NHKの特番二本でした。

Twitter / @BOOKFULL: かつて、ごっつでダウンタウンが吉本の三枝きよし等大御 ...

かつて、ごっつでダウンタウンが吉本の三枝きよし等大御所に扮して皮肉コントをやったように、今はキングコングが松本に扮して、はねとびでそれをやるべき立場にいるはず、という意見を今日見た。

それはすごい正しいんだけど、それはキングコングではなく、ナイナイが『めちゃイケ』でやるべきことだったとは思う。まあそれがキンコンであろうが、ナイナイであろうが、許されない雰囲気になっていることこそが、松本の最大の不幸であり、浜田と一緒にネタができなくなったところではないでしょうか。

視聴率は大惨敗 松本人志9年ぶりのコント『MHK』とは何だったのか - 日刊サイゾー

しかしこの番組を持ち上げている人もアレだけど、これを観た感想で執拗に、ビックリするぐらい面白くないとか、面白くなくなったという人がいるけど、元々からし松本人志の笑いってこの方向性だったから、良くも悪くも変わってないじゃんと思うのですが。だからここで大きく期待はずれと言ってる人達も、いまもって持ち上げている人たちと、根本は変わらないんでしょうね。