連合赤軍事件の永田洋子死刑囚が死亡
1970年代初頭の連合赤軍事件で殺人・死体遺棄罪などに問われ、93年に死刑判決が確定した連合赤軍元最高幹部の永田洋子(ながた・ひろこ)死刑囚が5日午後10時6分、東京拘置所内で死亡したことが関係者の話で分かった。65歳だった。死因は多臓器不全とみられる。
永田死刑囚は脳腫瘍の手術後、脳萎縮や誤嚥性(ごえんせい)肺炎などを患い、東京拘置所で治療中だった。
確定判決によると、永田死刑囚は71年8月、組織を離脱した仲間2人を千葉県内で殺害したほか、同年12月から72年2月にかけて群馬県の山岳アジト内で「総括」と称するリンチを行い、仲間12人を死亡させた。
82年6月、一審・東京地裁が求刑通り死刑判決を言い渡し、86年9月の二審・東京高裁判決もこれを支持。93年3月、最高裁が上告を棄却、死刑が確定していた。
大学在学中に学生運動に傾倒し、連合赤軍に参加。72年に森恒夫最高幹部=73年に獄中で自殺、公訴棄却=とともに逮捕された。
東京拘置所内からも手記「十六の墓標」「氷解」を発表する一方、作家の瀬戸内寂聴さんや支援者らと手紙を頻繁にやりとりして連合赤軍の事件を振り返った。