子どものころ、空にのんびり浮かぶ飛行船を見た記憶や、その光景に興奮した覚えはありませんか。
そしていつからか、飛行船を見なくなった気はしませんか。
もしかして、子どものころの記憶だから、強く刻まれてるだけ?

最近飛行船を見なくなった理由って、何だろう。2010年12月末現在、日本で飛んでる飛行船は、アリコジャパンが新ブランド名を知らせる「スヌーピーJ号」(@Airship_SnoopyJ)だけということで、アリコジャパンの冨里さんに聞いてみた。
「元来、多数の飛行船が飛んでいたわけではないですが、確かに最近はほとんど飛行船を見なくなりました。背景として、インターネットの登場などにより、企業が飛行船での宣伝活動を減少させたことが、主な理由だと思います」

また、日本では飛行船を使いにくい事情があるという。
「日本では、発着場の確保(今回のタイプでは210m×280mの平坦な敷地などが必要)が難しいことが、ひとつの理由かもしれません。また、当社の飛行船のパイロットやスタッフは、世界中から参加しています。
他のメディアに比べて、運営コストが高いと判断する企業も多いのではないでしょうか」
日本で最初に広告としての飛行船が飛んだのは、1968年9月に初飛行した、通称「キドカラー号」。キドカラーというのは、当時販売されていた、日立製作所のカラーテレビのこと。この広告効果は絶大で、キドカラーの知名度とシェアは、飛行船によって大幅にアップしたとされる。

1972年7月からは、岡本太郎氏が「飛行船は生き物だ」と言って大きな目を描いた「レインボー号」(積水ハウス)が飛行。当時のエピソードとして、小学校で「ナマズのオバケが飛んでる!」と騒ぎになり、110番通報でパトカーが駆け付けた話が残っている。それほど見慣れなかったわけで、飛行船に広告効果があったエピソードともいえる。


そして日本で最も多くの飛行船が飛んでいた時代は、1980年代後半から90年代前半にかけてらしい。広告目的の飛行船が、多い時期で4隻登録されていた。バブル時代らしい、企業のお金のかけ方だったのかもしれない。

また最近では、愛・地球博などの広告や遊覧飛行で飛んでいた「ツェッペリンNT号」が、2005年2月から飛行。ところが長引く不況と、維持費やヘリウムガスの高さなどから、2010年5月末で運営会社が事業停止に。飛ばすにも置くにも、結構なお金がかかる飛行船を、狭い日本で維持するのは難しいようだ。


最後に、それでも「スヌーピーJ号」を日本で飛ばしてるのはどうしてなんだろう?
「米国でも飛行船はMetLifeブランドのアイコンなので、日本でも同様にというのが一番大きな理由です。またインターネットの普及によって、たとえ飛行船を見てなくても、You TubeやTwitterなど“ネットのクチコミ”が、他の広告以上に宣伝効果を上げてくると思っています。飛行船を見つけたときに感じられる喜びやうきうきした気持ちは、他のコミュニケーションではなかなか得られない貴重な手段だと思います」

飛行船への驚きが、昔ほどじゃなくなった時代かもしれない。でもその姿を見ると、ちょっぴりうれしくなったり、のんびりした様子に癒されるもの。
また見られなくなっちゃう前に、空を見上げて、飛行船を見つけてみてはいかがでしょう。
(イチカワ)