1.内容
著者御三方の「駒澤大学」での「講演」(p11,12)をまとめたもの。メディア・リテラシーは、批判的に読むだとか、ITメディアの使い方だとかいう意味で使われているが、それだけでは不十分である。荻上さんの講演は、現在はマスメディアではなく、普通の市民がデマなどを流布する危険性が増大しているとしている。飯田さんのは、「無内容」「定義が明確でない」「データで簡単に否定される」(以上p101)といった基準で、ダメな情報を見分ける方法を伝授する。鈴木さんは、コミュニタリアンの議論を紹介しつつ、「「偏った」意見」(p180)に目を配って「多様性を認め」(p156)ることを提唱する。
2.評価
ITメディアの使い方しか言わないメディア・リテラシーはたしかに噴飯物だと思ったが、批判的に読むという意味は問題ないと思っただけに、啓発される内容であった。レビュアー含め、一般市民が(結果的であれ)人を騙す可能性が高まっていたり(第1章)、政治思想とからめたりした第3章がとりわけ読むに値する内容だった(もちろん、第2章も役に立ちます)。以上により星5つ。
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ダメ情報の見分けかた メディアと幸福につきあうために (生活人新書) 新書 – 2010/12/8
真に受けるな!
情報を捨てるコツを伝授
「凶悪な少年犯罪が増えている」「現在は円高ではなくドル安である」…
これって正しい?無根拠な情報から、ネットに広がるデマまで。
メディア論・経済学・社会学の気鋭の論客が、情報を的確に仕分ける技術を伝授。流言が広がらない環境をどう作るか、情報と政治的偏向の複雑な関係をどう捉えるか。
情報社会を生き延びるための実践的メディア・リテラシー論!
情報を捨てるコツを伝授
「凶悪な少年犯罪が増えている」「現在は円高ではなくドル安である」…
これって正しい?無根拠な情報から、ネットに広がるデマまで。
メディア論・経済学・社会学の気鋭の論客が、情報を的確に仕分ける技術を伝授。流言が広がらない環境をどう作るか、情報と政治的偏向の複雑な関係をどう捉えるか。
情報社会を生き延びるための実践的メディア・リテラシー論!
- 本の長さ200ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2010/12/8
- ISBN-104140883340
- ISBN-13978-4140883341
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商品の説明
著者について
■ 荻上チキ(おぎうえ・ちき)
1981年生まれ。
評論家、編集者。
社会学者・芹沢一也と株式会社シノドスを設立。
■ 飯田泰之(いいだ。やすゆき)
1975年生まれ。
駒澤大学経済学部准教授。
専門は経済政策。
■ 鈴木謙介(すずき・けんすけ)
1976年生まれ。
関西学院大学社会学部准教授。
専門は理論社会学。
TBSラジオ「Life」パーソナリティ。
1981年生まれ。
評論家、編集者。
社会学者・芹沢一也と株式会社シノドスを設立。
■ 飯田泰之(いいだ。やすゆき)
1975年生まれ。
駒澤大学経済学部准教授。
専門は経済政策。
■ 鈴木謙介(すずき・けんすけ)
1976年生まれ。
関西学院大学社会学部准教授。
専門は理論社会学。
TBSラジオ「Life」パーソナリティ。
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2010/12/8)
- 発売日 : 2010/12/8
- 言語 : 日本語
- 新書 : 200ページ
- ISBN-10 : 4140883340
- ISBN-13 : 978-4140883341
- Amazon 売れ筋ランキング: - 728,087位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年11月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あちこちで感覚的に言われている「メディアリテラシー」の意味に突っ込んで書かれた部分があり感心した
一部にやや難解な統計等もあるが全体的には情報の間違いの見分け方をわかりやすく書いてあるのであまり知識がなくても理解し、学びとれたのでとてもいい本だと思う
一部にやや難解な統計等もあるが全体的には情報の間違いの見分け方をわかりやすく書いてあるのであまり知識がなくても理解し、学びとれたのでとてもいい本だと思う
2011年1月10日に日本でレビュー済み
本書は、情報リテラシーに関する本でメディアにバイアスがあるのか紹介した本です。
著者らは、自らの専門領域から情報の見方、注意点を説明しており、メディアが紹介した情報にバイアスがかかっているのか説明しています。さらにそのバイアスを判断し、正しい情報を得るにはどのようにすべきか書かれており、非常に有用になりました。新学習指導要領では、小学校社会で情報の見方を習うそうです。そんな時代だからこそ大人も正しい情報をいかに入手し、状況判断が求められてきています。本書は表面的な情報リテラシーだけではないところが書かれている点に読む価値があると思います。
情報を取り扱う人にはオススメの本です。
著者らは、自らの専門領域から情報の見方、注意点を説明しており、メディアが紹介した情報にバイアスがかかっているのか説明しています。さらにそのバイアスを判断し、正しい情報を得るにはどのようにすべきか書かれており、非常に有用になりました。新学習指導要領では、小学校社会で情報の見方を習うそうです。そんな時代だからこそ大人も正しい情報をいかに入手し、状況判断が求められてきています。本書は表面的な情報リテラシーだけではないところが書かれている点に読む価値があると思います。
情報を取り扱う人にはオススメの本です。
2011年4月4日に日本でレビュー済み
例えば3章では「高レベルの放射性廃棄物をどこに捨てるか(略)といった問題は、一度決定してしまうと、後になってどれだけ反対しようとどうしようもない結論がでることがあります。(略)このように「一度決まると取り返しのつかない問題」は、決まる以前よりも、決まった後のほうが深刻な対立を生みます。(略)こうした事態を避けるために、決定が下される前に、多くの人を巻き込んで意見を対立させる議論が行われる必要があります。」と述べている。
もちろん、多くの人を巻き込んだから、対立が避けられるというはずもないし取り返しがつく訳でもない。結局、多様性が大事、という従来のアカデミズムの主張に舞い戻ることになる。何より1章の「より確からしいはずの科学的説明」ということとの整合性を考えざるを得ない。その点本書は、3章→1章と読みすすんでいったほうが著者たちの対立点も見えてくるように思う。1章では既に他の方が挙げているように「mixi破産、みのもんたの駒野選手のお母さんインタビュー、鳩山由紀夫偽アカウント、小沢一郎偽アカウント、福山雅治結婚」といったデマが例として挙げられている。本書を読んで考えるべきは何故このような社会的影響力が偏る恣意的なデマが選択されたかだろう。
本書にはあとがきが存在しない、という点でも特徴があるが、最後のコラムでは蓮舫議員の仕分けについて「2位じゃだめなんでしょうか」発言が「2位でもいい」と「主要メディア」で捉えられていったプロセスについて説明している。やはりこれも多様性が大事、という著者の従来の結論に収斂しており、「科学者と市民のよりよい「つな引き」のあり方について考えることも、これからは大事になってくるであろう」という科学者と市民の「つな引き」がまるで存在するかのような錯覚を覚えてしまう。そもそもカナダにおける多様性を説明するならばケベック州のケースを明石書店等の文献にだけ頼ることなく、ケベック州の問題には対応できたはずの多様性教育が、他のケースには対応できなかったことについても言及するべきだった(といっても日本の専門家に限って言えば言及しないことが専門知とも言えるかも知れないが)。それは著者たちがシノドスという組織のメンバーに限定されたためとも言えるだろう。多様性や人権について言及するならば、例えばイスラムのように多様性のある社会に溶け込んだマイノリティが徐々に多様性や人権そのものを否定していくという、教室の中の問題では済ませられない多様性について言及しなければきわめて偏った書物にならざるをえない。
それは著者たちが意識しつつも欧米の理論的枠組みに全面的に依拠せざるをえないからなのだろうか?例えばやはりシノドスの高原基彰も今回の原発事故に際して、事実は「専門家」にしかわからない、という一文をそっと付け加えざるをえない。あらゆる人が偏向していると言いつつも、それでも専門家だけは偏向は少ないはず・・というアカデミズム内部でだけの思い込みだけは変えることができない。
例えば3章では「高レベルの放射性廃棄物をどこに捨てるか(略)といった問題は、一度決定してしまうと、後になってどれだけ反対しようとどうしようもない結論がでることがあります。(略)このように「一度決まると取り返しのつかない問題」は、決まる以前よりも、決まった後のほうが深刻な対立を生みます。(略)こうした事態を避けるために、決定が下される前に、多くの人を巻き込んで意見を対立させる議論が行われる必要があります。」と述べている。
もちろん、多くの人を巻き込んだから、対立が避けられるというはずもないし取り返しがつく訳でもない。結局、多様性が大事、という従来のアカデミズムの主張に舞い戻ることになる。何より1章の「より確からしいはずの科学的説明」ということとの整合性を考えざるを得ない。その点本書は、3章→1章と読みすすんでいったほうが著者たちの対立点も見えてくるように思う。1章では既に他の方が挙げているように「mixi破産、みのもんたの駒野選手のお母さんインタビュー、鳩山由紀夫偽アカウント、小沢一郎偽アカウント、福山雅治結婚」といったデマが例として挙げられている。本書を読んで考えるべきは何故このような社会的影響力が偏る恣意的なデマが選択されたかだろう。
本書にはあとがきが存在しない、という点でも特徴があるが、最後のコラムでは蓮舫議員の仕分けについて「2位じゃだめなんでしょうか」発言が「2位でもいい」と「主要メディア」で捉えられていったプロセスについて説明している。やはりこれも多様性が大事、という著者の従来の結論に収斂しており、「科学者と市民のよりよい「つな引き」のあり方について考えることも、これからは大事になってくるであろう」という科学者と市民の「つな引き」がまるで存在するかのような錯覚を覚えてしまう。そもそもカナダにおける多様性を説明するならばケベック州のケースを明石書店等の文献にだけ頼ることなく、ケベック州の問題には対応できたはずの多様性教育が、他のケースには対応できなかったことについても言及するべきだった(といっても日本の専門家に限って言えば言及しないことが専門知とも言えるかも知れないが)。それは著者たちがシノドスという組織のメンバーに限定されたためとも言えるだろう。多様性や人権について言及するならば、例えばイスラムのように多様性のある社会に溶け込んだマイノリティが徐々に多様性や人権そのものを否定していくという、教室の中の問題では済ませられない多様性について言及しなければきわめて偏った書物にならざるをえない。
それは著者たちが意識しつつも欧米の理論的枠組みに全面的に依拠せざるをえないからなのだろうか?例えばやはりシノドスの高原基彰も今回の原発事故に際して、事実は「専門家」にしかわからない、という一文をそっと付け加えざるをえない。あらゆる人が偏向していると言いつつも、それでも専門家だけは偏向は少ないはず・・というアカデミズム内部でだけの思い込みだけは変えることができない。
2015年12月17日に日本でレビュー済み
3人の有識者がそれぞれの立場からメディアリテラシーを語る本です。
1章の荻上チキ氏はWeb上の流言・デマの防止について。
2章の飯田泰之氏はニュースの中から無駄な情報を弾く方法。
3章の鈴木謙介氏は政治と絡めたメディアリテラシー論。
ダントツで実践的なのは2章です。ちょっと単純化しすぎな気もしますが、
即物的なまでにパッと使える方法論が書かれており
3つの章の中で一番「ダメ情報の見分けかた」というタイトルに沿った内容になっています。
1章は個別の流言・デマの事例紹介は面白いのですが、
対策部分はやや薄めに感じられました。
特に内在的チェックを実際に適用するのは難しそうに思えます。
3章は論考としては興味深いですが、メインタイトルからはやや離れた印象を受けます。
全体的に楽しめる本ではありましたが、タイトルの言葉がちょっと強すぎる気がします。
このタイトルだとマニュアル的な本を想像してしまいますが、
実際にマニュアル的な内容なのはほぼ2章だけでした。
タイトルと内容の違和感から☆一つ減点しています。
1章の荻上チキ氏はWeb上の流言・デマの防止について。
2章の飯田泰之氏はニュースの中から無駄な情報を弾く方法。
3章の鈴木謙介氏は政治と絡めたメディアリテラシー論。
ダントツで実践的なのは2章です。ちょっと単純化しすぎな気もしますが、
即物的なまでにパッと使える方法論が書かれており
3つの章の中で一番「ダメ情報の見分けかた」というタイトルに沿った内容になっています。
1章は個別の流言・デマの事例紹介は面白いのですが、
対策部分はやや薄めに感じられました。
特に内在的チェックを実際に適用するのは難しそうに思えます。
3章は論考としては興味深いですが、メインタイトルからはやや離れた印象を受けます。
全体的に楽しめる本ではありましたが、タイトルの言葉がちょっと強すぎる気がします。
このタイトルだとマニュアル的な本を想像してしまいますが、
実際にマニュアル的な内容なのはほぼ2章だけでした。
タイトルと内容の違和感から☆一つ減点しています。
2010年12月26日に日本でレビュー済み
三人の識者による、メディアリテラシーに関する一冊。「数多くの情報が氾濫している昨今、何が正しい情報なのか見極めるのが難しくなっている。そのような状況に対して一人一人がメディアリテラシーを高めるべきである」といった通説を聞くと疑うべくもない。ただし本書は、その通説をも疑うところからスタートしており、非常に奥行きが深かった。
◆本書における新しい視点
・これまでのメディアリテラシー論は、被害者にならないということを第一の目的にしていた。しかし、今や情報の受信者は同時に発信者でもあり、本書においては、加害者にならないためにということに重点を置いていてる。
・これまでのメディアリテラシー論は、リテラシーがない人を対象に語られてきた。しかし、昨今の情報環境の変化は誰しも経験したことのないものであり、本書においては、全ての人を対象に、必要なリテラシーが変化してきているという点に着目している。
・これまでのメディアリテラシー論は、中立であるということを目標とされてきた。しかし、人やメディアが偏ってしまうことは不可避なことでもあり、本書では偏りや多様性を前提としたうえで議論が為されている。
◆本書で紹介されている処方箋
1.リンクの不在を怪しむ、情報元を確認する、文章を最後まで読む
今年一年、Twitter上で何件のデマで出回ったのだろうか?mixi破産、みのもんたの駒野選手のお母さんインタビュー、鳩山由紀夫偽アカウント、小沢一郎偽アカウント、福山雅治結婚・・・全てがの要因がネット上にあったわけではないが、情報発信の簡易さが火に油を注いだのは事実である。これらの共通の特徴は「それらしいこと」にある。与えられた情報に対する、内在的なチェックを行いながら、安易な行動をおこさないことが肝要である。
2.無内容な話を見抜く、定義が明確でない話を見抜く、データで簡単に否定される話を捨てる。
上記のような”捨てる技術”を都度発揮するのではなく、ソーシャルグラフを定期的にメンテナンスをしながら、フィルタリングの精度をあげていくことが重要なことだと思う。2010年はソーシャルグラフの拡大が顕著であったと思うが、2011年は断捨離が一つのテーマになるのではないだろうか。
3.マイノリティの視点に立つ、その存在を承認する。
そもそも、”メディアリテラシーを高める”という考え方自体が、思想的に偏ったものであるらしい。言われてみれば、利用者に全ての責任があることが前提になっているわけで、システム提供者の社会的責任などは、なかなか議論にあがってこない。このように、議論をしている前提条件がどのようなモノの上で成り立っているのかを考え、さまざまな視点でモノを考えるということは大切なことである。
このようなメディアリテラシー論の本を読むと、この本自体もメディアなわけだから、鵜呑みにするのはどうかなどという、天邪鬼な気持ちも芽生えてくる。しかし、このような状態を、心理学的に「ダブル・バインド」と呼び、受け手に強いストレスを与えるため推奨しないという話が、本書で紹介されていた。完全に先回りされてしまっている・・・
◆本書における新しい視点
・これまでのメディアリテラシー論は、被害者にならないということを第一の目的にしていた。しかし、今や情報の受信者は同時に発信者でもあり、本書においては、加害者にならないためにということに重点を置いていてる。
・これまでのメディアリテラシー論は、リテラシーがない人を対象に語られてきた。しかし、昨今の情報環境の変化は誰しも経験したことのないものであり、本書においては、全ての人を対象に、必要なリテラシーが変化してきているという点に着目している。
・これまでのメディアリテラシー論は、中立であるということを目標とされてきた。しかし、人やメディアが偏ってしまうことは不可避なことでもあり、本書では偏りや多様性を前提としたうえで議論が為されている。
◆本書で紹介されている処方箋
1.リンクの不在を怪しむ、情報元を確認する、文章を最後まで読む
今年一年、Twitter上で何件のデマで出回ったのだろうか?mixi破産、みのもんたの駒野選手のお母さんインタビュー、鳩山由紀夫偽アカウント、小沢一郎偽アカウント、福山雅治結婚・・・全てがの要因がネット上にあったわけではないが、情報発信の簡易さが火に油を注いだのは事実である。これらの共通の特徴は「それらしいこと」にある。与えられた情報に対する、内在的なチェックを行いながら、安易な行動をおこさないことが肝要である。
2.無内容な話を見抜く、定義が明確でない話を見抜く、データで簡単に否定される話を捨てる。
上記のような”捨てる技術”を都度発揮するのではなく、ソーシャルグラフを定期的にメンテナンスをしながら、フィルタリングの精度をあげていくことが重要なことだと思う。2010年はソーシャルグラフの拡大が顕著であったと思うが、2011年は断捨離が一つのテーマになるのではないだろうか。
3.マイノリティの視点に立つ、その存在を承認する。
そもそも、”メディアリテラシーを高める”という考え方自体が、思想的に偏ったものであるらしい。言われてみれば、利用者に全ての責任があることが前提になっているわけで、システム提供者の社会的責任などは、なかなか議論にあがってこない。このように、議論をしている前提条件がどのようなモノの上で成り立っているのかを考え、さまざまな視点でモノを考えるということは大切なことである。
このようなメディアリテラシー論の本を読むと、この本自体もメディアなわけだから、鵜呑みにするのはどうかなどという、天邪鬼な気持ちも芽生えてくる。しかし、このような状態を、心理学的に「ダブル・バインド」と呼び、受け手に強いストレスを与えるため推奨しないという話が、本書で紹介されていた。完全に先回りされてしまっている・・・
2015年9月12日に日本でレビュー済み
結論のでない問題はシャットアウトするという話で、AKBの前田VS大島、カレーVSラーメンのくだりナイスでした。その他の内容も面白く学べ、なんか自分がチョット頭良くなったような気がします。今更ながらなんでもかんでも、メディアを鵜呑みにしたらいけませんね。
2011年5月7日に日本でレビュー済み
この本では,新聞など,従来のメディアを読むときにもつかえる知識もえられるが,なんといってもおもしろいのはツイッターに特有の知識だ. ツイッターでは文脈がつたわりにくいので一部だけをみて流言がひろまっていくこと,ツイッターの検索機能が貧弱なためにおこる誤解などなど.
タイトルや帯をみると,この本を読めばネットの情報をパッとみて捨てるべきものが捨てられるようになるような印象をうける. しかし,読んでみるとそうではなくて,誤解・流言をへらすには文章をちゃんと読む,裏をとるというように,より多く読む努力をかさねることがやはり必要だということだ.
タイトルや帯をみると,この本を読めばネットの情報をパッとみて捨てるべきものが捨てられるようになるような印象をうける. しかし,読んでみるとそうではなくて,誤解・流言をへらすには文章をちゃんと読む,裏をとるというように,より多く読む努力をかさねることがやはり必要だということだ.