ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

「内」と「外」がある災害報道にメディアの特性を使い分ける

情報空白が生む苛立ち

中越地震に関わり、そして自身も水害で被災した経験から、災害報道には「内」と「外」とがあるいうことです。「内」はつまり被災地、被災者に向けて。「外」は被災地以外。ニュースを知りたい人だけでなく、家族の安否を確認したい人やボランティアに行く人なども含まれます。
メディアは、主に災害地から「外」へ知らせる情報を扱います。いかに被害が甚大か、恐怖におびえる住民、避難所生活の大変さ、などです。しかし、考えてみれば被災者にとってはそれは「分かっている」話です。「内」へは、生活情報が必要です。被害の程度にもよりますが、避難所の情報、証明書や公的制度の窓口など行政に関わる情報から、交通情報、コンビニやスーパー、飲食店、コインランドリーの開店状況まで必要な情報は多岐に渡ります。被災者のニーズをきっちり把握して、適切な情報を提供する必要があります。中越でも各社途中から生活情報に力を入れ始めました。新聞は一度報道したことを載せたがりませんが、各社とも繰り返す重要性を理解したようです。
「外」へ向けて。中越のマスゴミ批判は、情報がほしい「外」の人たちから巻き起こったと私は考えています。被災していればマスゴミ批判どころじゃない(ちなみに、被災地にいるのと被災者は違います)。「外」の人ほど、一刻も早く被害情報を知りたがる、そして「情報の空白」に苛立ちます。この苛立ちの解消に、双方向性を持つブログが役に立つのではないかと考えています。
「内」と「外」では、取材する内容も、必要な情報も、書き方も異なります。記者は取材する際に、災害直後から「内」と「外」をきちんと意識しなければなりません。そしてこれをどう使い分けていくのか。どの媒体で情報を流すのか、HPかブログか、紙か、その特性を生かせば、情報の空白地を作らずにかなりフォローできると考えています。

メディアを使い分ける

「既存メディア」と言っても、非常に多様な媒体を持っています。紙、ラジオ、テレビ、ネット(パソコンか携帯か)です。テレビを除けば、個人でもこれらの媒体を利用することが出来ますが、資金面や流通経路などでハンディがある。逆に言えば、既存メディアの使える点は知名度です。この知名度を生かして、どんなところにどんな情報があるかを紹介する「情報のハブ」になればいいと思います。これによって情報の空白地を減らすことが出来るのではないでしょうか。
私は地方紙で働いていますので、地方紙が災害報道(大規模なものを想定)をどう展開していくかを媒体別に考えてみました。

◆「紙」 速報性では劣るが一覧性に優れる、時代を巻き戻したい「紙優位派」が心のよりどころとするこの特徴が災害時に生きると考えます。電気やネットは回線がダウンしても、紙なら読むことができます(まわし読みも可能)。そして、地方紙なら全国紙では難しい、決め細やかな生活情報の掲載が可能です。問題は、新聞社員が「紙」のみが唯一の媒体と信じて疑わない点です。テレビのインパクトとネットのスピードに絶対に紙は勝てません。紙は真に被災地向けなのです。とすれば、内容を変えなければなりません。従来型の事実報道は最低限にし、より生活情報のスペースを大きくすべきです。これは、被災地の広さ、被災者の多少で変わってきます。地域が小さければ別刷りでの対応も考えるべきです。
避難所での生活が長期化している新潟中越でも、初期のころは「余震におびえる被災者」のような紋きりの記事が目に付きました。何かあれば、反応を書く。それでは被災者もストレスがたまるばかりです。ひと段落すれば、記者がアドバイザーになって、避難所ごとの新聞をボランティアや被災者と一緒になって作るというのはどうでしょうか?
◆「ネット」 ネットは「内」から「外」へのメーン媒体になります。被害状況を知りたい人が、この「窓」からどんどん入ってきます。その需要にこたえるため、従来型の記事や写真は、入り次第HPにどんどんアップしていく必要があります。アクセスして来るのは電気や回線が生きているところからですので、生活情報よりストレートニュース優先です。外向けの情報、募金やボランティアの窓口も、行政などの体制が整い次第補足します。「外」にいながら、不安や何かしたい(もちろん好奇心も含む)と思っている人がたくさんいます。情報を求めているのは、紙の購読者だけではないということを忘れてはなりません。こちらがその役割を望まなくても、被災地の新聞社のHPというだけでアクセスはあります。もしその要望に答えられず、更新が遅かったり、ましてや「紙」に載せるまで待っているなどということをすれば、失望が残るだけです。
阪神大震災のときの神戸新聞のように本社が被災すれば、サーバーもダウンするかもしれません。「題字」の交換だけではなく、サーバーの切り替えについて提携を結ぶ必要もあります。災害の規模が大きければ大きいほど、アクセスもこれまでにないものになるはずです。サーバーの容量増や分散も重要です。それに、現在の新聞社のHPは誰もが簡単に更新できるものではありません。専門家(システム部員)がいなければ動かないようなものは非常時に使えません。支社や他社の本社、ネットカフェなど、どんな場所からでもHPの更新が可能で、操作が簡単で、複数で管理できるシステムを構築しなければなりません。
◆「ブログ」 ブログを新聞社が直接開設することは、メディア系の社員でも賛否が分かれています。「ネットはゴミくず」と言う識者もいましたが、ネットは道具としてすっかり定着しています。災害報道に横並びはありません。いつどこで、何が起きるかは分からないからです。なので、使えるものはどんどん使っていく貪欲さが求められていると思います。
ブログに取材記者の感想や行政の問題点を書いていくことで、被災現場を取材の躍動感や悩み、苦しみなども伝えられます。記者も「人間なんだ」ということを、読者に知ってもらうことが大切です。多くの人に注目されていることは、記者のやりがいといい取材にもつながるはずです(と信じたい)。読者からの批判だけでなく、激励や専門的なアドバイスもあるでしょう。被災地の課題などを話し合う「議論の場」としても使えるのではないでしょうか。

新潟中越地震では、いくつかのブログがまるでリレーのように情報を伝え続けていました。途中からは、社会福祉協議会によるオフィシャルなブログ「県災害救援ボランティア本部(現在は普通のHPになっている)」も登場するという画期的な出来事がありました。新潟県のHP「元気だしていこー新潟」も非常に充実しています。このままでは、情報のハブは行政が担当することになります。そうなったら、新聞社は何をするのでしょう? 現地の情報はブロガーやライブドアなどの市民記者が発信し、専門的な知識では劣る。
結局、「紙」の呪縛をいかに断ち切るか。それぞれの媒体を扱う担当者がその特徴を理解しているか、それに尽きます。意識改革をいかに進めるか。これは災害に強いシステムの構築よりも、もっと難しいことかもしれません。

【関連エントリー(中越地震では仲間の記者・カメラマンに協力を得て、現地ルポをブログに掲載しました。これまでの新聞記事にはない切り口、筆者の気持ちも分かるものとなっています)】

・このエントリーは旧ブログより記事を移動し、関連エントリーなどを付け加えたものです。