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北米project 5 ~How do you like Canada? その47【2016/6/15~22】

2024-04-10 06:30:30 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。ちょっとだけ宇宙コーナーもあるので、見てみます。
これはカナダーム (Canadarm) という船外作業用マニピュレーターです。1981年登場。日本語だとカナダアームとも書かれており、表記揺れがあります。
1981年11月にアメリカのスペースシャトル「コロンビア」でこのカナダーム201号が打ち上げられました。1億5300kmもの距離を移動(地球約3,800周分)し、23回の任務をこなしました。最後の任務は2011年6月、スペースシャトル「エンデバー」の最終任務のときでした。


こんな感じ。こういう宇宙関連の実物展示はだいたいモックアップと相場が決まっていますが、これは実際に宇宙に行って実戦投入されていますから重みがちがいますな。
カナダームはスペースシャトルの貨物室に取り付けられて、貨物室にある貨物を掴んで船外へ放す、あるいはその逆の作業ができます。シャトル・リモート・マニピュレーター・システム (SRMS) と呼ばれています。


宇宙空間でのロボットアーム制御は想像するよりも難しいみたいですが、そこら辺の説明が少ないのでよく分からず。


スペースシャトルは退役してしまったのでカナダームも一緒に退役しましたが、今度は国際宇宙ステーションに取り付けられたカナダーム2というマニピュレーターが現役です。


こちら宇宙空間での船外活動ユニット (EMU) です。船外活動中の宇宙飛行士の保護と生命維持を目的とした、いわゆる宇宙服です。


胸部はごちゃごちゃしています。生命維持装置やら通信装置やらなんだと思います。
目盛りの文字が反転しているんですが、これは腕についている鏡を通して目盛りを確認するため。首を倒して覗き込みながら目盛りを見ることはできないんですって。


他にも宇宙関連の展示がありますが、割愛します。みんなも行ってね。


宇宙の次は、ブッシュプレーンのコーナーに迷い込みました。ブッシュプレーン (Bush plane) というのはカナダ独特の航空機の種類で、カナダ北部やアラスカ、ユーコン等の外界との接続が乏しい辺境の未開地へ行くための物です。
未開地なので飛行場があるところは少ないわけでして、そういう辺境でも運用できるように、通常の車輪の他に水上用のフロートや雪原用のスキー板を装備できるように、なおかつ簡単に換装できるように設計されています。
他にも、下方視界に優れた高翼配置、高い短距離離着陸性能、低圧タイヤ等の性能を付与されていることが多いです。

さてこの機体はノールダイン・ノースマンMk.VI (Noorduyn Norseman Mk.VI) です。1935年初飛行。
 カナダで初めてのブッシュプレーンと言われています。頑丈な構造と広い荷室が評価されて、カナダ空軍やアメリカ陸軍でも採用された実績を持ちます。カナダで開発された機体は数多くありますが、これは人々から頭一つ抜けた誇り高い扱いを受けているように感じました。
変わっているのは、機体は順当にMk.Iから開発されていったんですが、Mk.IVの次は一個飛ばしてMk.VIでした。その後第二次世界大戦後にMk.VIの改良型としてMK.Vが開発されています。つまりマークナンバーが逆戻りしているわけです。
これは、V (5) は勝利 (Victory) のVとも読み取れるので、第二次世界大戦に勝った暁にはそれを記念したマークナンバーを開発するためにあえて空席にしていたというのです。なんだか余裕っすね。


この個体は1943年製で、戦時中は通信士の訓練用に使われたんだそうな。戦後は連絡、輸送、訓練等多用途に使われて、1950年に退役。その後博物館が取得しています。機体は晩年の姿をしているとのこと。
胴体は機首からエンジンマウントあたりまでが金属製ですがそれより後ろの胴体は鋼管羽布張りです。主翼も羽布張りです。速度は求めていないのでこういう構造のほうが合理的でしょう。ブッシュプレーンは過酷な環境での運用となりますので、鋼管羽布張りの方が修理が容易というのも評価される理由でしょう。


がに股の脚が特徴的。これは、水上用フロートに履き替えた時に安定性が出るように左右の間隔を広げるためだと思います。
どうでもいいですが、エンジンから伸びている長い排気管は、当時のカナダ空軍のレシプロ機によく見られるものですね。機体に排煙が付着しないようにするためか、消音性を出すためなのか、よく分からないのですが・・・。」


プラット&ホイットニー R-1340-AN1ワスプエンジンです。星型9気筒、600馬力。1920年代の代表的航空機エンジンのひとつで、これを搭載した機体は多いです。ノースマンのエンジンもこれです。


カーチスHS-2Lラ・ビジランス (Curtiss HS-2L La Vigilance) です。1917年初飛行。飛行艇ですね、つまり羽のついたカヌー。
アメリカ海軍の沿岸哨戒飛行艇として開発されました。ブッシュプレーンとしての適性に目をつけたカナダでも戦後に余剰となった機体を購入し、第一次世界大戦後初めてのカナダのブッシュプレーンとして使われだしました。他にも1919年にはカナダ初の森林パトロールと上空からの森林調査、1920年に上空からの鉱山権益の発見、1924年には初の定期航空便などを達成しています。

「紅の豚」に出てきたモブの飛行艇はこういう感じだったような、という気がします。


機体の隣りにあった黒い物体。特に説明はありませんでしたが、これがオリジナルの船体だと思います。


骨組みまで見れるのはありがたいですね。オリジナルの船体は湖に水没後40年以上そのままでしたが、良好な姿を留めています。寒冷地の淡水湖に沈んでいたのが幸いして腐食があまり進行しなかったのだと思います。湖に沈んだ飛行機って意外と物持ちがいいんですよね。


飛行艇なのでエンジンに海水が被らないように高位置に置かれています。エンジンはリバティで、V型12気筒、360馬力です。


この個体は1918年製で、1919年にカナダ初のブッシュプレーンとして飛行した記念すべき機体なのです。1922年に機体はオンタリオ州の湖に墜落して、機体は水没しました。1967年に発見されて、翌年から引き揚げられました。
オリジナルの船体はいじらずに残しておいて、復元用に別の機体から供出したものを使っています。復元は1970年から1986年までの長期間にわたっていて、当館の中でも最大最長の復元計画だったと言われています。


カーチス・シーガル (Curtiss Seagull) です。1912年初飛行。
これもアメリカ海軍が当初使用した飛行艇で、第一次世界大戦後に民間に放出された機体がカナダで運用されたものです。飛行艇としては小型に属するのでブッシュプレーンとして最適でした。
この個体はブラジルのアマゾンの探検に使われたんだそうな。まさしく、取材班はアマゾンの奥地へと向かった・・・・時に使った機体ですな。


主翼は長めですね~。


1925年式のヘンダーソン社製バイクです。聞いたこともないメーカーですが、1912年にアメリカで創業したものの世界恐慌で1931年に倒産してしまった短命の会社です。4気筒バイクの雄だったそうな。
私はバイクはみんな同じ形に見えるバイク音痴なのでどういうモデルなのかはよく分かりません。4気筒エンジンは見たところ直列配置ですが置き方が現代のものと比較すると90度回した状態で置かれています。
なんで置かれているのかもよく分かりませんが、ブッシュプレーンに運ばれていって現地のアシに使われたというところだと思います。


ベランカCH-300ペースメーカー (Bellanca CH-300 Pacemaker) です。1925年初飛行。
アメリカのベランカ社で開発された6人乗りのブッシュプレーンです。カナダ空軍向けにカナディアン・ビッカーズでもライセンス生産されました。
2機しか現存しないCH-300のうちの1機で、テキサス、メキシコ、アラスカ等で飛行をしていた機体です。


1920年代にもなるとはやくもブッシュプレーンとしての機体の形状は確立された感はありますね。
エンジンはR-985ワスプジュニア(星型9気筒、450馬力)。


1925年式のフォード・3トントラックです。モデルTTかな?平トラックですが、ダブルキャブなのはちょっと珍しいかも。
これも唐突に置かれているだけですが、ブッシュプレーンが内地の飛行場から飛び立つ前に積み込む物資を運ぶトラックなんだよ、という演出というところでしょうぬ。

というところで今日はここまで。


その48へ→


 
 
 

【1/72】スティンソンOY-2センチネル アメリカ海兵隊【ギャラリー】

2024-04-07 18:35:00 | 模型ギャラリー
キット:1/72スチンソン OY-2 センチネル(AZモデル)
仕 様:アメリカ海兵隊VMO-6 1949年朝鮮半島
[製作記はこちら]

アメリカ軍の連絡機、OYセンチネルを作りました。連絡機というのは部隊や司令部間などの拠点間で将校や物資などを輸送するための飛行機です。アメリカ軍の連絡機は軽飛行機が用いられることが多いです。第二次世界大戦前後に多く見られましたが、現代ではヘリコプターに取って代わられています。
OYセンチネルは元々陸軍が開発した機体で、陸軍ではL-5という型番でした。当時のアメリカ軍では陸軍と海軍/海兵隊とで型番の命名規則が異なっていたので、同じ機種でも型番が違います。L-5は海兵隊ではOYと呼称されていたのです。
OY-2は、OYの2型という意味です。陸軍で言うところのL-5Eに相当する機体です。



民間の軽飛行機が原型になった機体です。いわゆるセスナ機のような見た目をしています。ちょっと軍用機っぽくは見えませんよね。
機体規模も小さく、とても可愛らしいものです。


成形品は全体的にもっさりした形状で、組立時に位置決めになるようなピンや穴もありません。はっきり言って作りにくいですが、プラモデルを作っているという実感はありました。結構楽しかったのでお気に入りの作品です。


デカールの出来が案外よくて、作品の印象を引き締めてくれています。レタリングが多いマーキングなのも良きですね。


天井にも窓があるのが連絡機の特徴です。機内はグリーンハウス状態でクソ暑そうですが・・・。
製造を簡素にするために四角形の断面をした胴体にも注目です。速度性能も求められていませんしね。


主翼も翼端は丸めているものの基本的には製造が簡素な矩形翼です。


花形の戦闘機ももちろんいいものですが、こういう脇を固める機体の渋さも好きなのです。


主脚は細くて頼りないですが、プラモデルでもろくな糊代がないため真鍮線で補強しています。どうにか普通に持ったり触ったりできています。








木製のピッチ固定プロペラは、サンドイエローで下塗り後、エナメルのステインブラウンで塗ります。エナメルをやや残すように拭き取り木目を再現します。最後に水性塗料のクリアオレンジを塗ってニス塗りを再現します。結構うまく言ったんじゃないかなと。


デカールの馴染みが良く、シルバリングも起きませんでした。


以上、OY-2センチネルでした。




【AZモデル】1/72 スティンソンOY-2センチネル【プラモデル製作】

2024-04-05 22:53:00 | 航空機模型製作記
今回はAZモデルの1/72スティンソンOY-2センチネルのプラモデルを作ります。
AZモデルはチェコのメーカーです。同社のキットを作るのは初めてです。OYのようなマイナー機からBf109のような有名機まで幅広い飛行機キットを展開しています。AZモデルを取り扱っている店頭の商品棚を眺めていると目移りして楽しいものです。なにげに、日本語の注意書きがPKGに書かれているのも珍しいかも。




ランナーはこんなかんじ。日本のキットとは見た目の印象が違いますね。形状も全体的にもっさり。たぶん簡易金型を使った成形品だと思います。


風防はバリエーションに対応した2種類入り。2分割にすることでスライド金型の使用を避けています。作る方はちょっと大変なのですが・・・。


樹脂は柔らかめです。機内のトラス構造を割と再現しているのでこういう骨組み上の部品もあります。折らないように気をつけないと・・・。


操縦席にはシートベルトの彫刻あり。ちょっとしたことですが嬉しいです。
計器盤には彫刻はありますがデカールがありません。計器盤を黒く塗って、計器には白の塗料を垂らすように乗せてそれっぽく見せます。目盛りまで再現する必要はないでしょう。


機内の骨組みと風防が普通に合わないので困っています。どうして。


骨組みの脚を一部切ってしまい、どうにか収めました。


風防の付け根にも盛大な隙間があり、これだと塗料が吹き込んでしまいますのでラッカーパテを盛って塞ぎます。


施工後です。


各部品の取り付けには基本的にピンや穴は無く、芋付けです。なので垂直尾翼のように芋付だと強度的に不安が残る箇所もあります。そこで尾翼に真鍮線を埋め込みピンとして、胴体の方には穴を開けて接続軸とします。
脚の接続も芋付けと心許ないものです。特にOYの脚はか弱いので負荷のかかる脚を芋付けは破損の危険大なのです。ここにも真鍮線を仕込んで補強しています。
機体は小さいんですがこういうだるい作業が続くので製作に必要なカロリーは意外とあります。でも、ただ説明書通りに組み立てていく最近のプラモデルと比べると、作っている実感はよほどあるので意外と嫌いじゃないというのはあります。


風防の枠は完成後もよく見えるので、先に機内の色で塗ります。


主翼から脚から尾翼まで、塗装前に全て接着してしまうことにします。プラ用セメントを使った接着は、塗装後につける瞬間接着剤等よりも比較的強力なので、この段階で接着して強度を確保しておこうというわけです。塗装も単色なので塗り分けの手間もないという事情もあります。
やはり隙間が広いのでパテで埋めていきます。


ネイビーブルーで塗装しました。


デカールはこんな感じ。アメリカ空軍機とアメリカ海兵隊機から選ぶことができます。ネイビーブルーの塗装から想像できる通り、今回は海兵隊を選択。
デカールは発色が割とよく、貼る時の感触も良いことから結構好印象です。


つや消しクリアを吹いて最終組立をして完成です。
小さい機体ですが、私の持っている拙い工作スキルが結構入っています。噛みごたえのあるキットでした。


完成させてみると可愛らしいものです。連絡機のキットなんてプラモ市場では存在感が薄いですが、こういう脇を固めるキットがあってこそ世界観が広がるのです。そういうキットを多く出してくれるAZモデルは今後も応援していきたいのです。

というところで今日はここまで。
完成品はギャラリーにて。


<使用塗料>
機体:H54ネイビーブルー
機内:N58機体内部色
計器盤:N2ブラック
座席:N47レッドブラウン
シートベルト:N85セールカラー
排気管:H76焼鉄色
プロペラ:H79サンドイエロー
プロペラ木目:WC03ステインブラウン
プロペラ上塗:N92クリアオレンジ
タイヤ:N77タイヤブラック
ホイール:H8シルバー



【1/144】RMS-154バーザム(機動戦士Zガンダム)【ギャラリー】

2024-04-01 06:01:00 | 模型ギャラリー
キット:HGUC#204 1/144バーザム(バンダイ)
製作記はありません。

機動戦士Zガンダムより、ティターンズの量産型MSバーザムのプラモデルを作りました。
不遇なMS筆頭としてファンの間でイジられていた機体で、ガンプラとしての立体化も放送当時から約30年間一切ありませんでした。それゆえHGUCでの立体化はファンから熱狂とともに迎えられバカ売れし、バーザムショックと呼ばれたのはまだ記憶に新しいはず。

<使用塗料>
胴体:UG16ティターンズブルー1
腕・脚:UG17ティターンズブルー2
赤部品:C108キャラクターレッド
黄部品:C329イエローFS13538
関節:H68 RLM74グレーグリーン
バーニア:N18黒鉄色
シリンダー:H8シルバー
シリンダー:H9ゴールド
チューブ:H26デイトナグリーン



キットは全くの素組みで組み立てて、全身に塗装をしています。
量産型MSにしては異様なスタイルの持ち主。特に腰が存在しないのは全MSを見渡しても珍しい構造なのです。


ティターンズの徽章はガンダムデカールから、機体番号やマーキングは戦闘機のプラモデルを作った時に余ったものを流用しています。


後ろ。


これがどうしてガンダムMk-IIの量産型になるんだという変わり果てた姿。





股間の赤と黄色の部品は分割されていて、組み立て後も隙間が出ない素晴らしい精度。ここはバーザムのチャームポイントなので力を入れたんだと思います。


脚部。


脚部後ろ。


背面バックパック。


これもよく分からないビームライフル。前後の開発系譜が無く、突如現れてすぐ消えていった謎兵器です。


頭部の大きな鶏冠はティターンズの徽章と合っていて、好きですねえ。


ビームサーベルあります。ライフルと合わせて2種類のビーム兵器を同時運用できるところはハイザックよりも優れているんですが・・・。








以上、バーザムでした。




九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その16【2018/9/19~23】

2024-03-28 22:44:54 | 旅行・イベント記
2018年9月21日(金) 12時20分
熊本県人吉市 JR人吉駅
偶然出会った「ななつ星in九州」の出発を撮影するために人吉駅の外に出ます。駅前にあるのは、機械仕掛けの時計です。前に来た時は雪が降っていたような・・・。


先頭のディーゼル機関車DF200形7000号機が停まっていました。列車が長いのでホームからは見えませんでした。
JR貨物の貨物用ディーゼル機関車をななつ星用に特注した機関車です。主に装飾がななつ星専用です。機番も列車名に合わせて7000号機としています。日本の鉄道において、一番頭の番号の下一桁は1から始まることがほとんどなんですが、これは珍しく0から始まりますね。
このDF200が見られただけでも少なくとも良しとしましょう。



駅の駐車場に停まっていたのは、ななつ星専用の観光バスです。駅からの二次交通手段として各地に先回りして乗客を待ち受けるのです。
車両はいすゞ・ガーラ+西工92MCです。ボディは92MCですが、マスクが02MCに改造されていると言われています。また外観は列車と合わせてあります。内装も列車と合わせているようですが普通の4列座席のようで、ななつ星に乗るような方たちからすれば狭いのかも。それか、1人2席使用なのかもしれませんが。
ナンバープレートの番号が7なのは、ちょっとしたこだわりですね。


線路沿いを八代方面へ歩いていくと100mちょっとで「人吉鉄道ミュージアムMOZOCA」というところにたどり着きます。主に家族連れ用の遊戯施設のような場所です。
建物の屋上はテラスになっているのを見つけ、ここから俯瞰で撮影できるかもと登ってみた次第。するとやはり眺めが良く、ここを撮影地としました。
人吉駅名物の石造りの車庫もよく見えます。8620形58654号機も折り返し運転へ向けてしばし休憩を取っていました。
余談ですが2024(令和6)年に廃車になった58654号機は、どうやらこの車庫に保存されるみたいですね。


12時45分ごろ、「ななつ星in九州」が人吉駅を出発しました。客車列車らしいゆっくりとした引き出しで構内を少しずつ加速していきます。
機関車と客車で統一された塗装なのは、アメリカのかつての大陸横断鉄道のような雰囲気も感じられて、良いものです。屋根の高さやRが揃っているのも見どころです。
どうにか限られた時間と場所の中にしてはまともな写真を撮ることができて、やれやれというところです。
列車が行き去ったら、踵を返して人吉駅へ再入場します。途中下車可能な長距離切符なのでこういう小技もできるわけです。


第28走者:JR肥薩線普通「いさぶろう」3号吉松行(キハ40系)人吉13:22→吉松14:48
駅の中に入ると、もう次に乗る列車が私を待ち構えていました。肥薩線おもしろ列車2号の「いさぶろう」です。右側の漆色の気動車がそれです。人吉~吉松を一日2往復走ります。吉松行が「いさぶろう」、人吉行が「しんぺい」と上り下りで列車名が変わる珍しい列車です。どうでもいいですが人吉も吉松もどちらも吉が入っているので、一瞬混同しがちになりませんか?
左側はさっき八代駅で見た特急「かわせみやませみ」です。八代駅ですれ違ってから追いついてきたんですね。
肥薩線の中でも特に矢岳越えと呼ばれるような山間部を走る区間で、スイッチバックやループ線といった重厚な線路設備が目白押しです。もちろん景色もよいです。
本数の少ない同区間の普通列車も兼ねているためか、この手の観光列車には珍しい普通列車で、自由席車も連結されています。


このフォグランプを追加したキハ40系は見た目のバランスが良く、好きです。原型の芋っぽさを打ち消し垢抜けた印象を与える秀逸な改造ですね。
矢岳越え区間は実は一度乗ったことがあります。でもその時は夜間でした。明かりひとつ無い山間部、特殊な線路設備も絶景も何も見えないまま吉松駅まで運ばれるだけでした。なのでこの「いさぶろう」に乗ることは念願だったのですね。


車内は割とキハ40系の原型を留めていると思います。もちろん座席や照明や化粧板などは交換されていますが。
座席は生来の4人がけボックスシートに毛が生えたようなやつ。普通列車ならこんなもんでしょう。
なおこの列車、1往復は車庫への送り込みと返却を兼ねて人吉~熊本も走るんですが、その区間は特急列車扱いです。正直、これで特急料金を取るのかという内容です。同区間には特急「かわせみやませみ」も走っていますが、これは特急では一般的なリクライニング付き回転座席です。
同じ区間、同じ料金、同じ車種なのに接客設備に格差があるんですから、遜色特急と言われても仕方ないでしょう。
閑話休題。


食堂に入って昼ご飯を食べる時間が今日はないので、人吉駅のホームで立売していた駅弁を買いました。その名も「鮎ずし」です。
ここらへんでは鮎の弁当が多いですね。この鮎ずしは人吉駅で1950年代から販売されているベテラン駅弁です。


酢飯の上に酢締めされた鮎の開きが丸ごと乗っている、ビジュアル抜群の弁当です。鮎は程よく引き締まった固さで、骨も取り除かれているので食べやすいです。これは食べてみてよかった駅弁でした。また食べたいな。


人吉駅を出発して20分、距離にして10km、ここまでずっと山を登ってきて、最初の停車駅が近づいてきました。スイッチバック駅なので隣から線路が迫ってきます。
写真は、奥の線路は吉松方面への本線、手前の線路は駅へ延びています。


大畑駅に着きました。「おこば」と読みますが、書くのは簡単でも読み方が特殊で初見では読めないパターンです。



駅舎は開業当初からの建物だそうな。おびただしい数の名刺が貼られていますが、名刺を貼っていくと出世するらしいです。出所不明、本当かいなそれ。


名刺のない方がいいですね。
必ず列車が停車しなければならないスイッチバック駅ということで、駅舎はそれなりにあります。ここが鹿児島本線だった時代はもっと多くの設備や建屋があったんだと想像が膨らみます。


駅前にレストランがありました。なんでまたこんなところに。列車での利用を想定しているのかな?でも時刻表を読んでみるとちょっと難しそうだ。


大畑駅を発車して、来た道を後退します。一度本線から分岐する折り返し線に入ります。
この線路は人吉方面の本線です。線路の枕木が半分だけPC枕木になっていますね。たぶんここを七つ星が走るようになったので線路を強化したんだと思います。


折り返し線で停車して再度進行方向を変更、吉松方面の本線へ転進します。その際に大畑駅の構内がよく見えました。


慰霊碑のようなものが見えました。肥薩線建設時の殉職者のためのものかもしれません。


大畑駅を出発するとすぐに肥薩線名物のループ線に入ります。ここでまた一気に標高を稼いでいくのです。

というところで今日はここまで。


その17へ→


 
 
 

九州project 2 ~Phantom in Kyushu. その15【2018/9/19~23】

2024-03-22 05:45:55 | 旅行・イベント記
2018年9月21日(金) 10時32分
熊本県八代市 JR八代駅
私とその他大勢を乗せたJR九州の蒸気機関車の観光列車「SL人吉」は、熊本を出発し、次の停車駅八代駅で停車。ここまで鹿児島本線を走ってきましたが、八代駅からいよいよ肥薩線へ入ります。
八代駅では肥薩線から来た特急「かわせみ・やませみ」熊本行と列車交換します。2017(平成29)年3月に登場した観光特急です。車両はキハ47形を改造の上使用しています。キハ40系改造の観光列車も続々と増えている時期です。


2両編成の前後で車体塗装が異なっていて、緑色のほうが「やませみ」、青色のほうが「かわせみ」です。


八代駅に停車中の8620形58654号機と50系客車。


八代駅を出発して肥薩線を走ります。客車の最後尾は展望席になっていて、後方展望を楽しむことができます。180度ガラス張りになっていて開放度が高く、最前席でなくとも流れる車窓を堪能できます。これはいい改造ですね。
展望デッキと言うと車外に設けられた開放型を思い浮かべますけども、欧米だと人吉号のような密閉型も多かったですし、これはこれで良いものです。特に今日は雨天なので、密閉型日和なのです。


特等席は子供用の椅子が据えられています。水戸岡列車のこういうところは共感できますね。一方大人用の椅子も意外としっかりした作りなので長居しがち。普通は長居できないように座り心地の悪い椅子を置きがちなんですけども。なので適度なところで次の人に譲りましょうね。


坂本駅で停車。


球磨川沿いを走ります。昨日からの降雨で球磨川は増水しています。この時も結構増水しているな~と思っていたんですが、まさかその後豪雨であんなことになるなんて・・・。


球磨川第一橋梁で球磨川の本流を渡ります。肥薩線は今や超のつくローカル線ですが、元々は鹿児島本線の一部だった区間です。東海道線で言うところの御殿場線です。なので地上設備は立派なものが施工されています。
第一橋梁も立派なアメリカ製トラス橋の威容を誇っていましたが、2020(令和2)年7月豪雨による球磨川氾濫により、橋の一部が落ちてしまいました。被災した肥薩線復旧の大きな支障のひとつです。


川沿いの険しい地形を進んでいるのです。一方の岸には肥薩線、対岸には国道が走っています。


蒸気機関車のばい煙が登っていくでも散るわけでもなく、長いこと留まり続けているな、と思って撮った写真。


白石駅で停車。対向式ホームなので、今まで撮れていなかった編成写真をここで押さえます。停車時間長くはないので手早く済ませます。


渋いですねえ。こういうのがいいんだ。


ホームの間は構内踏切で結ばれているので、真正面の撮影もできました。


次に一勝地駅に停車。ここで約10分間停車します。
縁起の良い駅名なので、ゲン担ぎに来る観光客がいるんだとかで。意外にも無人駅じゃなくて球磨村が管理している簡易委託駅なのでゲン担ぎグッズを売っているのです。
肥薩線の観光促進に注力してからは観光列車も止まるようになったので、グッズや特産品を売る店も有りにけり。


一部改築していますが、基本的には1914(大正3)年に建てられた2代目駅舎が現役でいます。


一勝地駅に停車中の58654号機。


定刻で終点の人吉駅に到着しました。これで肥薩線おもしろ乗り物1号とはおさらばです。
そしてここでサプライズ!JR九州の豪華周遊列車「ななつ星in九州」と並びました。これの運用は調べずに来たので偶然の出会いです。見るのも初めてだったので、人吉号がホームに滑り込む時にななつ星の客車が見えたときはびっくりしました。
機関車の連結向きから進行方向は熊本方面と分かったので、人吉号の到着と同時に出発する可能性もあり、人吉号の余韻に浸る間もなく急いで58654号機と客車の並びを押さえに行きました。


存在感が他の列車と違いますね。水戸岡鋭治も、何かと制約のある既存車両の改造と違って新造車両なので、これは好きなように設計できたんじゃないんでしょうか。
駅の発車標を見てみると、自分が乗り継ぐ列車の出発までの合間に発車するようなので、駅を出て撮影できるところをどうにか探してみたいと思います。
本当に人吉号の余韻に浸る間はなさそうです。この時はまた乗りに来ればいいやと思っていたのですよ・・・。


八代行のキハ40形(40-8103)。前照灯がHID化された車両でした。

というところで今日はここまで。




北米project 5 ~How do you like Canada? その46【2016/6/15~22】

2024-03-20 06:26:49 | 海外旅行記
メッサーシュミットBf109F-4 (Messerschmitt Bf 109F-4 ) です。試作機の初飛行は1935年。
ドイツ機を複数見れるなんて、ここはいいところですね。アメリカやカナダと違ってドイツは敗戦国なので、現存機はどうしても少なくなりがちなんですよね。
でも私はドイツ機には疎いのであまり書けることはないです~。これもスピットファイアに劣らず派生型の数が多いですし。


スピットファイアも大概小さめの機体ですが、Bf109はそれ以上に小型の印象があります。小型軽量は正義で、それを活かした戦法を駆使する戦闘機なのだろうなと。


Bf109名物、プロペラスピナーから放たれるモーターカノンはこのF型からやっと搭載されるようになりました。なので、見切れていますが銃口が見えますね。


Bf109も脚の間隔が狭いのです。まあ空力や軽量化にはこれの方が有利なんですよね。

この個体は1942年製。ソ連との戦いで撃墜されて不時着。それ以降の記録はよくわからんようで、次の記録ではソ連の博物館で修復されていたそうな。テキトーな修復だったらしく、どうやら資料性についてはあまり期待しないほうが良さそう。その後イギリスの復元団体が買い取って、マシになるよう修復しています。
当館が2つ持っていたMe163のうちひとつとこのBf109を交換する形で手に入れ、今に至るそうな。


ただでさえ小さい機体なのにコックピットはめちゃ狭そう!デカいドイツ人があの中に収まるとは思えないっす。それに、枕の高さと風防の天地寸法からして、前方視界なんてほとんどないんじゃない?どうやって空戦していたの?



後ろから。実際、ゼロ戦と比較しても小さいです。


Bf109のエンジンですね。ユモエンジンなのかダイムラーのエンジンなのか、よくわからず。


たぶんモーターカノンの機関砲ですかね。これもいろいろな種類を使っていたそうで、特定するのは私にはできないっす。


続いて、ハインケルHe162A-1フォルクスイェーガー (Heinkel He 162A-1 Volksjäger) です。1944年初飛行。
人呼んでドイツの断末魔5号くらい。国民自動車(フォルクスワーゲン)ならぬ国民戦闘機として、安く大量に造れて、操縦は簡単で、それでいて米英の戦闘機よりも強くて、というお前はかぐや姫か!という無茶をドイツ空軍は出してきたのです。それでハインケル社が出してきた回答がジェット戦闘機というのがドイツらしいと言うかなんというか。
開発着手から90日で初飛行に漕ぎ着けるというロボットアニメのような日程で開発を進め、実戦投入も間に合ったそうな。でも撃墜記録はないみたいっす。


安くてたくさん造れることが命題の一つだったので、機体規模は同世代のレシプロ戦闘機と比べても小さいです。本当に小さい、Bf109も大概小さいですがHe162はそれよりも小さそう。これだけ小さいと航続距離も短いんですが、ドイツを焼きに来る連合軍の爆撃機を迎撃する局地戦闘機として使うつもりだったので無問題でした。もはやイギリスに攻め込む気は無かったのです。
あと機体はだいたい木製で、経験の浅い工員でも製作できるような設計になっていたそうな。
その割にジェットエンジンを背負っているのは、連合軍の爆撃機が飛んでいる高高度飛行対策でしょうね。ドイツのレシプロ戦闘機ではハイオクガソリンの入手難から高高度飛行ができないんですが、ジェットエンジンならそれでなくても高高度まで飛べてしまうので、まさにジェットは念願のエンジンだったわけです。


変形H字尾翼とでもいうべきか、変わった形状です。ていうか垂直尾翼の舵面は2つに分かれているのか。妙に手のこんだことをしてますね。
上反角がついているのは、尻もち対策でしょうかね。なお、水平尾翼の付け根部分の胴体の下に突起が出ているのがわかると思います。あれは尻もち防止用のそり的な部品です。
・・・開発期間の驚異的短さに比例して、泥縄的というかその場しのぎ的な設計が見え隠れしているような気がする機体でもあります。この尻もち対策なんてどうも後付けの対策っぽく見えるじゃないですか。


機首の赤い矢印の付け根で部品の分割線が入っていますね。分割線よりも機首側は木製部品で、そこから後ろが金属製だそうな。
He162は20mm機関砲と30mm機関砲を搭載したものに大別されるようですが、これはA-1型なので30mm機関砲搭載型、ということになります。機体が小さい割に強力な武装なわけです。でも、機関砲射撃時の反動を受け止められていたいのかな?

ところでこの個体はやけに塗装がくたびれています。博物館に飾るにはちょっと汚らしいんですが、もしかすると当時の塗装が留められているのであえて下手な修復をしないでこのままにしている可能性もあります。機体の修復歴はよく分からなかったので、可能性程度にとどめておきます。

この個体は1945年2月か3月にハインケルのノルド工場で生産された機体です。実戦投入の有無は分かりませんが、同年5月8日に連合軍に機体が鹵獲されます。その後イギリスが戦利品としてかっぱらっていき、ロンドンのハイド公園で飾られたそうな。飛行試験はしなかったのかな?
1946年9月にカナダ空軍に移管されて、カナダで保管されていました。で、1967年の博物館の所有となり今に至ります。


主翼は泥縄設計が色々されていると言われています。翼端が折れているのもそんな感じがします。他では見ない設計ですよ。直進安定性か揚力増加かが目的のような気がしますけど、よー分からんです。

背中に背負っているのが、BMWの004型ジェットエンジンです。Me262のエンジンとはまた別の種類です。エンジン補機類を詰め込んだために前方上部がやや膨らんでいているのが猫背的に見えて有機的というか、他の機体にはない印象を与えます。
エンジンを外付けにしたのが超短納期設計のミソとも言えそうです。でも機体の重心部にエンジンを乗っけるのは外付けという点を除けば先見性がありましたね。

プロペラが無くなったおかげで超短足になった主脚にも注目です。脚なんて飛行中は死重も同じですから、短いに越したことはないんですね。まあ短すぎて今度は尻もちつくようになっちゃったんでしょうけど、たぶん。


次はホーカー・タイフーンMk IB (Hawker Typhoon Mk IB) です。1940年初飛行。
ホーカー・ハリケーンの後継機として開発された戦闘機でしたが、ダメ性能だったので戦闘爆撃機に転職してどうにか命脈を保ちました。ただイギリスはタイフーンをそんなに気に入っていなかったようで、戦後に全部解体処分してしまっています。スピットファイアとの扱いの差を見るに、本当は黒歴史と思っていたんじゃない?
ただし、1944年に性能試験のためにアメリカに渡っていた1機が戦後スミソニアン協会から、イギリスが持っていたハリケーンと交換という形で帰還しています。なのでタイフーンってイギリスに1機しかいないわけですよ。

・・・・・・あれ、じゃあ目の前のこれ何だ?

当時は気にもしなかったけど、これじゃ辻褄が合わないですね。レプリカだったってオチ?
撮影した写真から機体番号を探すと、「MN235」でした。これ、イギリス空軍博物館(RAF博物館)にある唯一の現存個体と同じです。なにイギリスくん、やっぱり黒歴史はいらないと考え直して、カナダに売っちゃったの?
戦後当時はともかく、自国の兵器はとにかく褒め倒す今のイギリス人がそんなことするとも考えにくく、もうちょい調べてみることに。
するとどうも、2014年6月のDデイ70周年を記念してRAF博物館から当館へ一時的に貸与されたんだそうな。なんと、2014年5月にカナダ空軍のC-17輸送機に詰め込まれて空輸したんですと!ある程度解体して運んだんだろうけど、あれに載せられるんだ。
それで今日は2016年6月なので、その後も数年間継続して展示を続けていたということですね。あれま、これはラッキーなことだったんですね。2024年時点では、もうイギリスに帰っていてカナダにはいないそうです。

下記、ソースです。


ロケット弾と機関砲です。戦闘爆撃機なので、これで地上のドイツ軍をけちょんけちょんにしてやります。


もうちょい下から。
タイフーンはカナダ空軍でも使用されていて、第440飛行隊はオタワが本拠地でしたから、タイフーンがここへ来たのはそういうつながりもありそうです。


タイフーンと言えばそう、顎ですね。顎にはエンジンを冷却するためのラジエーターなんかが入っています。
戦闘爆撃機というのは低空を飛んで対地攻撃するわけですが、地上側もただやられるわけにはいかないので対空砲火などで応戦するわけですね。それで、一番当たりやすいような位置にこの顎が付いているんですね。ラジエーターなんて銃弾1発当たっただけでラジエーターが液漏れすることもあるそうなんで、そうなるとたちまちエンジン本体も駄目になって飛べなくなります。タイフーン最大の弱点じゃないでしょうか。


正面から。顎のお陰で前面投影面積が広くなっちゃってるのが分かるかと。迫力が出て見た目には好きな顎ですが、乗るかと聞かれれば願い下げですね。


最後にランカスターをば。
これで第二次世界大戦コーナーはおしまいですね。歴史的経緯からイギリス系の機体が多い展示でした。同じ北米大陸でもアメリカ産の博物館とは大きく様相が異なるわけです。つまり北米大陸にありながらイギリス機を多く見ることができるのがカナダの博物館の魅力と言えるわけです。
イギリスが手癖でドイツからかっぱらってきた戦利品もいくつか流れてきているのも抑えておきたい所。

というところで今日はここまで。


その47へ→


 
 
 

【告知】「第8回旅チケット」にサークル参加します【2024/3/23】

2024-03-17 22:56:01 | 日常記
「第8回旅チケット」に黒鉄重工がサークル参加します!

◆会場
埼玉県川口市 川口市民ホール「フレンディア」
◆開催日時
2024年3月23日(土)11:30~15:00
◆配置位置
旅56「黒鉄重工」

旅行・地理系の同人誌即売会にサークル参加します。
これも初めて参加するイベントとなりますので楽しみにしています。

今回はこれに合わせて新刊を投入しようと思います。
見出し画像がサークルカットなのですが、そこにあるように駅のコインロッカーに関する本にするつもりです。まだ思うように取材に行けていないので、内容を練り上げるのはこれからです。頑張ります。原稿が完成したらまた告知します。


2024/3/17追記

新刊「鉄道駅コインロッカー調査録① 東海道線(熱海~豊)編」
頒布価格500円
旅チケット8で頒布する新刊です。無事に出来上がりました。
東海道線(熱海~豊橋)の区間にある全駅のコインロッカー設置状況を自分の足を使って調査しました。つまり全駅下車というわけです。
この本があれば、どの駅にどの大きさのコインロッカーがいくつあるのかが丸わかりです。旅行中でも携帯しやすいA5判サイズです!


黒鉄重工温泉見聞録 ①十津川温泉編
頒布価格100円
2023年12月の「メモラーズサミット3 in 上諏訪」にて頒布したコピー本です。十津川温泉とそこの温泉むすめ十津川飛香について書いてあります。
コピー本ということもあるのでこちらは少数部数の発行です。ご注意ください。

追記終わり。


余談ですが今年8月開催のコミックマーケット104にもサークル参加申し込みをします。当選したらまたご連絡します。

以上となります。当日「旅56 黒鉄重工」でお会いしましょう!


北米project 5 ~How do you like Canada? その45【2016/6/15~22】

2024-03-04 07:23:00 | 海外旅行記
カナダ航空宇宙博物館の続きです。
続いてこちらは、メッサーシュミットMe163B-1aコメート (Messerschmitt Me 163B-1a Komet) です。初飛行1943年。
ドイツの断末魔2号です。第二次世界大戦で運用された唯一のロケット推進戦闘機です。敵の爆撃機が飛んでいる高高度までチョッパヤで上昇できる迎撃機なんですな。
まさに彗星のごとし上昇力と高速性を持ちますが、ロケット燃料が使えるのは点火後たった8分間のみ、まさに彗星のごとく。ガス欠になったらもう着陸するしか無いんですが、滑空して降りていました。敵からすればいい的なので、狙い撃ちされていたみたいっす。そういう性能もあって、運用はなかなか難しかったみたいです。
この個体は1945年製で、ドイツの敗戦後にイギリスがかっぱらっていき性能試験をしました。翌1946年に戦利品としてカナダのモントリオールへ渡りました。こう、戦争の戦利品をかっぱらって連邦諸国へ渡らせるのは、イギリスの手癖なんですかね。第一次世界大戦のときも同じことしてましたよね。
カナダへ渡った後はカナダ空軍へ移管され、様々な場所で保管されていました。1964年に当館を安住の地と決めて展示されるに至っています。その際に実際にこれが配備されていたドイツ空軍JG400部隊の塗装に復元されています。


脚です。いや厳密には脚と言える部分は無いです。車輪は離陸すると外れてしまい、着陸時は黒いそりを展開して軟着陸させるっていう、そういう仕様です。


1941年式フォード・GPトラック (1941 Ford GP Utility Truck) です。
なんだ、どこにでもあるMBジープか・・・おや、なんだか変だな?と思ったあなたはジープ通ですね。これは、いわばMBジープの先行量産型とでも言うべき、フォード・GPなのです!
第二次世界大戦で馬車馬のごとく使われたいわゆるMBジープは、1940年アメリカ陸軍からのコンペで開発が始まりました。設計図提出まで49日、試作車提出まで75日っていういくら戦争だからって無茶苦茶なスケジュールで、100社以上に呼びかけてそれに応札したのはアメリカン・バンタムだけでした。
結果、バンタムが落札して試作車を作ったんですが、バンタムは3社の中で一番小さい会社でした。自分で落札しておいて勝手に会社規模の小ささに不安を覚えた陸軍は、バンタムの設計図をウィリス・オーバーランドとフォードに渡してしまい、結局3社がそれぞれ1500台ずつ試作車の発注を受けることに。バンタムはキレていいと思うんですよ。
1941年1月、じゃあいよいよ発注するよって時に3社の仕様の標準化が求められたので、設計を改めることになりました。その時の車種が、バンタムはBRC-40型、ウィリスはMA型、そしてフォードはこの写真のGP型です。標準化と言ってもまだ形状はそれぞれ異なっていたんですけどね。この3車種は2回目の試作車、あるいは先行量産型とも言われているやつです。各社1500台と言われていたのに大量生産バカのフォードだけは我慢できなかったのか4400台も作りましたが・・・。
ジープは全部で65万台造られたんですが、そのうちフォード生産分が28万台で、その中でGPは4400台と極わずかです。しかも、造られたGPはとっととヨーロッパにレンドリースで1941年の戦地に送られていったので、さて現存数はいかほどか・・・と考えると貴重なわけです。これが戦地帰りなのかそもそもアメリカ大陸から出たことがないのか、そういう説明はなかったので知りませんが。一応、フォード・カナダ製なのと、車台番号19970113-014というのは確認できたので、気になる諸兄は各自お調べくださいまし。

余談ですが、戦争省(すごい名前!今の国防総省)から「ジープ3種類もいらない、1種類に絞りなさい」とお達しがあったので、一番優れていたウィリスMAが選ばれ、改良の上でMB型(に加えてそれと完全互換性を持つフォード・GPW型)が量産型として大量生産されることになりました。バンタムは泣いてもいいぞ。
ジープ社(クライスラー)が「ジープはウチが開発したんでござい」という顔をしていますが、元々はイギリスのオースチン社の系列のアメリカン・バンタムが開発した車だということだけ覚えて今日は帰ってください。なので、ジープの何割かはイギリス車の血統が入っていると思いますよ。


スーパーマリン・スピットファイアMk IX LF (Supermarine Spitfire Mk IX LF) です。御存知、イギリスの名戦闘機です。1936年初飛行(試作機)。
Mk IXぐらいなら前にもどこかで見たことあるだろうと思ったら、意外なことに初めてらしい。マークナンバーが多すぎて終わっているスピットファイアですが、このMk IXは有名です。というか、スピットファイアのナンバーは、基本的にMk I, Mk V, MK IX (XVI)だけ覚えていれば大半は事足り、あなたも明日から近所のスピットファイア博士を名乗れます。

Mk IXは大雑把に言えば、マーリン61型を搭載したスピットファイアのことです。マーリン61は二段二速の新型過給器を積んだ究極のマーリンエンジンです。今までのマーリン45は一段一速でした。ほんで、究極のエンジンには究極のドンガラを、ということで専用ボディのMk VIIIを開発することになりました。でも、これの開発は難航してしまいました。エンジンは完成しているのに、機体の方でもたもたしているうちにもドイツ軍は続々と新兵器を投入してくるぞ。
ふと隣を見てみると、Mk Vの機体が転がっていました。これとマーリン61を合体させればいいんじゃね?と気がついたら早い、半ば戦時急造型として1942年に出来上がったのがMk IXだったのです。取ってつけたような機体とは思えない高性能ぶりを発揮して、大戦後半の主力機としてドイツをけちょんけちょんにしたのでした。事実上のスピットファイアの完成形で、生産数もMk Vに次ぐ5,900機です。
ちなみに、アメリカのパッカードでライセンス生産されたいわゆるパッカード・マーリンを載せた機体はMk XVIと言います。


尾翼。機体は基本的には、Mk Vのままです。それはつまりMk Iのままと同義語です。事実上エンジン換装だけで第二次世界大戦を通じて第一線の機体に留まり続けたのです。機体設計の秀逸さが光ります。


風防もマルコムフードのまま。


二段二速式過給器は今までのものよりも大きいので、その分機首も若干長くなっています。エンジンが強力になったので、プロペラも4枚に増えています。ここらへんがMk Vとの識別点でしょう。
ちなみにこの個体はマーリン76型を搭載しているらしく。マーリン70型の派生型で、70型は63型(61型の派生型)を高高度向けに調整したものだそうな。LF型なのになんで・・・。というか76型はどうやらモスキート等の双発機向けのエンジンらしいんで、ますます謎。うーんよくわからないですが、損傷時の修理でテキトーに転がっていたエンジンに載せ替えられたんでしょうか?


機銃口は塞がれています。戦後にベルギー空軍の練習機に使われたんですが、その時の改造でしょうか。


左右の間隔の狭い脚です。
ちなみに、主翼下のラジエーターも2つに増えています。

この個体は1944年製で、納品後はカナダ空軍の飛行隊で実戦投入されました。でもD-Day時のドイツの対空砲火で損傷して以降、実戦には出れなかったそうな。1946年にイギリス空軍からオランダ空軍へ売却、インドネシアで運用されます。1952年にはベルギー空軍へ売却、今度は練習機になりますが1954年に墜落事故を起こして用途廃止になります。1961年にカナダの民間人が購入してカナダへ持ってきて復元、1964年に当館へ寄贈されたとのこと。


これは低空用に調整されたLF型です。外観では主翼翼端が短く切られた形状が特徴。これでロール性能が爆上げされて、Fw190相手にも渡り合えたそうな。でも本質はエンジンを低空用に調整しているところです。


ホーカー・ハリケーン Mk XII (Hawker Hurricane Mk XII) です。1936年初飛行。これも御存知、イギリスの有名な戦闘機です。名戦闘機かはともかく。
ハリケーンについては今までもこっぴどく書いているので、それをまた書くこともないでしょう。
Mk XIIはカナダで生産された機体で、エンジンもアメリカのパッカード・マーリン29型を載せています。


Mk XIIは7.7mm機銃を12丁も載せた、弾幕番長です。通常は主翼内側の片側4丁の機銃だけですが、Mk XIIでは前照灯の外側にも片側2丁を追加しています。収まりきらなかったんでしょう、銃口は主翼の外にはみ出ています。ちょっとかっこ悪いね。


機首側面の上に鉄板が貼り出ています。あれは、エンジン排気管のバックファイアの光からパイロットを守るための遮光板です。あれがないと夜間飛行時には目が眩んでしまうみたいです。


スキー板が履けるようでした。これで雪上離着陸ができるというものです。


この個体は1942年カナディアン・カー&ファウンドリー製で、ヨーロッパの戦地には行かずにカナダのいろいろな場所を転々としていたようです。
カナダ製ハリケーンは、カナダ国内に5機、国外を見渡しても6機しか現存しないそうです。

というところで今日はここまで。


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【1/24】キャデラック・ドゥビル 1966年式 ローライダー【ギャラリー】

2024-02-26 21:38:54 | 模型ギャラリー
キット:1966 アメリカン ローライダー タイプC (ハセガワ)
製作記は下記から。

アメリカンマッスルカーの代表的車種のひとつ、キャデラック・ドゥビルを作りました!全長も全幅も何しろ大きいですね!
ハセガワのカーモデルとしては古参の物ですが、そのかわり手軽にアメ車を楽しめるようなキットになっています。


側面に描かれたド派手なファイアパターンです。初めはこのデカールを貼るか迷いました。結局、シャコタンな外観によく似合うだろうと思い貼り付けました。魅力が増したと思います。


ボンネットもトランクも広いですよね。コンパウンドで磨きやすかったです・・・。





ヘッドライトからテールまでの縦長のサーフラインが美しいです。こういう文字通り尖ったボディを作れたのがこの時代の良いところです。


何もかも長いという印象。日本車なら半分くらいで収めてしまうでしょう。
少し尻下がりなのがローライダーらしいといいますか。


フロントは押し出しが強くて好き。製作記でも書きましたが縦二連ヘッドライトがアメ車のアイコンの中でも一番好きです。デカい車でなければこういう意匠は採れないでしょう、たぶん。デカいは正義なのです。


エンブレムのV字マークはハセガワのミラーフィニッシュを貼りましたが、結構会心の出来だと鼻が高いです。


それでも、一時期のキャデラックのアイコンだったテールフィンは先代と比べて大人しめなんですよね。


シャーシは全く手を抜いております。えっへん。


というわけでキャデラック・ドゥビルでした。